んのにおいがするじゃござんせんかい」
「だから不思議だといってるんだ。飛びこんできたのは、りっぱな男のお侍だよ。それだのに、持ってきたこの紙には、れっきとした女の移り香が残っているんだ。しかも、この手跡をみろい。見取りの図面はめっぽうまずいが、ところどころへ書き込んである字は、このとおりめっぽううまいお家流の女文字だ。さてはこいつ、手数がかかるなと眼《がん》がついたればこそ、考えこんでもいたんじゃねえか。気をつけろい。やぶいりやっこめ、おいら、同じこたつにあたっても、ただあたっているんじゃねえやい。とっととしたくしな」
「ウへへ……うれしいね。しかられて喜んでいやがらあ。このやぶいりやっこめ、気をつけろいときたもんだ。へえ、帯でござんす。お召しものでござんす。――気をつけろい、ときたもんだ。おいら同じ雪駄《せった》をはくにしても、ただはくんじゃねえやい。へえ、おはきもの! おぞうり、雪駄、お次は駕籠《かご》とござい……」
「どこにいるんだ。まだ駕籠屋来ねえじゃねえかよ」
「おっと、いけねえ。呼びに行くのを忘れちまったんだ。めんどうくせえ。行ったつもりで、来たつもりで、乗ったつもりで、あそこまで歩いていっておくんなさいましよ。――いい天気だね。たまらねえな。小春日や……小春日や……伝六女にしてみてえ、とはどうでござんす……」
行くほどに、急ぐほどに、町はやぶいり、日はぽかぽかびより、――湯島のあたり突く羽子の音がのどかにさえて、江戸はまたなき新春《にいはる》でした。
2
絵図面どおりに、引祥寺のわきから小道を折れて、加賀家裏門の前までいってみると、あたりいっぱいの人にかこまれて、なるほどその裏門の左手前に、新しいこもをかぶった長い姿がころがっているのです。
しかし、出張っているのはもよりの自身番の小役人が三人きりで、加賀家のものらしい姿はひとりも見えないのでした。
「ちと変じゃな。ずっとはじめから、おまえらだけか」
「そうでござります。加州さまのかたがたは顔もみせませぬ。知らせがあって駆けつけてから、わたくしどもばかりでござります」
不思議というのほかはない。変死人の素姓身分はどうあろうとも、たとい路傍の人であろうとも、このとおり屋敷の近くに怪しい死体がころがっているとしたら、せめて小者のひとりふたり、見張らせておくがあたりまえなのです。ましてや、駆け込み訴訟をしたものは、たしかに加州家の者と名のっているのに、その家中の者がひとりもいないとは奇怪千万でした。
「よしよし、なんぞいわくがあろう。こもをはねてみな」
気味わるそうにのけたのを近よって、じっとみると、変死人がまた奇怪です。
羽織、はかま、大小もりっぱな侍でした。
しかも、その死に方が尋常ではない。
手、足、顔、耳、鼻、首筋、外へ出ている部分は、端から端まで火ぶくれとなって、一面にやけどをしているのです。
「さあいけねえ。たしかにこいつアやけどだ。やけどだ。道ばたにれっきとしたお侍が、やけどをして死んでいるとは、なんたることです。とんでもねえことになりやがったね。気をつけなせいよ。あぶねえですぜ。眼《がん》をつけ違いますなよ」
たちまちに伝六が目を丸めました。
まことや奇怪千万、路傍にれっきとした二本差しが、やけどを負って死んでいるとは、古今にも類のないことです。
しかし、不思議なことには、全身火ぶくれとなって焼けただれているのに、着ている着物には焼け焦げ一つ見えないのでした。ばかりか、はかまも、羽織も、ぐっしょりとぬれているのです。死体のまわりの道も、また一面にぬれているのです。
「さてな。大きにおかしなやけどだが、ねえ、おい、伝あにい」
「へえ……?」
「今は冬かい」
「冗、冗、冗談いうにもほどがあらあ。とぼけたことをいうと、おこりますぜ、ほんとうに! 一月十五日、冬のまっさいちゅうに決まっているじゃねえですかよ」
「江戸は降らねえが、さだめし加賀あたりは大雪だろうね」
「なにをべらぼうなこというんです。加賀は北国、雪の名所、冬は雪と決まっているんだ。加賀に雪が降ったらどうだというんですかよ」
「べつにどうでもないが、おかしなやけどなんでね、ちょっときいてみたのさ。さてな、どのあたりかな」
突然、不思議なことをいって、伸びあがり、伸びあがり、加賀家の屋敷のもようをしきりと見しらべていたが、なにごとかすばらしい眼《がん》がついたとみえて、さわやかな笑いがのぼりました。
「ウフフ……なんでえ、そうかい。なるほど、あれか。とんでもねえやけどのにおいがしてきやがった。しかし、弱ったな。百万石のお屋敷へ素手でもはいれまいが、どなたかご家中のかたはいませんかのう……」
つぶやくようにいった声をきいて、群れたかっていた群衆のうしろから、つかつ
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