かりませなんだが、紛失するといっしょに大口様がふいっと国もとから姿を消しましたゆえ、はておかしなこともあるものじゃと、不審に思っておりましたところ、人のうわさに、まもなく当加賀家へ祐筆頭《ゆうひつがしら》としてお仕官なさいましたと聞きましたゆえ、変死を遂げた夫ともども、わたくしたちも国を離れて、つてを求め、同じこの加賀家に仕えまして、内々探っていたのでござります。ところが、ようやく二、三日まえになって、その証拠があがり、あまつさえたいせつなすずりはこの依田様のところへ、祐筆頭に取りなしてもらったお礼がわりの進物として贈られているということがわかりましたゆえ、どうぞして取り返そうと、夫ともども心を砕いておりましたところ、じつに大口様は人外なおかたでござります。その夫を、あろうことか、あるまいことか――」
「よし、それでわかりました。あばかれては身は破滅、いっそ毒食わばさらまで、事の露見しないうちに、やみからやみへ葬ろうと、依田の重三郎に力を借りて、あのとおり雪で焼き殺したというのでござりまするな」
「ではないかと存じまして、けさ早く変死を遂げておりましたのを知るといっしょに、あの絵図面をわたくしが書きしたためまして、あのふびんな死にざまをなさいましたおかたに、あなたさまのところへ、飛んでいっていただいたのでござります。さっそくにお出役くださいましたゆえ、もうだいじょうぶと心ひそかに喜んでおりましたら、依田様もいいようのない人非人でござります。秘密を知られてはならぬと、あの鐘楼の上から恐ろしい矢を射かけたのでござります。そればかりか、ふたりでしめし合わせて、このわたくしをこんなところへ、手ごめ同様に押しこめ、妻になれの、はだを許せのと、けがらわしいことばっかり、今まで責めさいなんでいたのでござります。わたくしには何から何までのご恩人、ただもううれしくて、あなたさまのお顔も見ることができませぬ。お察しくだされませ」
 言うまも悲しみ喜び、いちどきにこみあげてきたとみえて、おこよはよろめきながら床の間へ近づくと、子持ちすずりの桐箱を抱きすくめるように取りあげて、おろおろと泣きつづけました。
「ちくしょうめッ。これで伝六様も早腰を抜かさずに済んだというもんだ。これからが忙しいんだ。野郎どもはなわにするんでしょうね」
「決まってらあ。ふたりとも並べてつないで引っ立てな!」
 立とうとしたところへ、不意に庭先へ、すうと人影が浮きあがりました。うしろに若侍をふたり従えて、眼《がん》のくばり、体のこなし、おのずから貫禄《かんろく》品位の見える老武家です。ずいと静かに、名人右門のほうへ歩みよると、重々しく呼びかけました。
「いろいろとお手数ご苦労でござった。ふらちなその両名、てまえにお渡しくださらぬか」
「あなたさまは!」
「なにも聞いてくださるな。名も名のりとうはない。当加賀家に仕えておる者じゃ。さればこそ、加賀家の面目思うて、この一条、世にも知らさずに葬りたいのじゃ。家臣の者が顔を見せなんだのもそれがため。お渡しくださらば、てまえ必ずおこよどのに力を添えて、夫のあだ討たせましょう。いかがでござる。ご不承か」
 いうことばのはしばし、名は名のらなかったが、まさしく加賀家のお重役です。名人の顔に会心げな笑《え》みがのぼりました。
「なるほど、筋の通ったおことば、しかとわかりました。百万石のご家名に傷がついては、一藩を預かるおかたとして、さぞやご心痛でござりましょう。ご所望ならば、お渡しする段ではござりませぬ」
「かたじけない。――すぐさまその両名をひっ立てて、あだ討ちの用意させい! おこよどのも参られよ」
 あい、とばかりに、おこよは泣き喜びながら、子持ちすずりをしっかとかかえて、なわつきのふたりのあとを追いました。
「うれしいことになりゃがったね」
 見ながめて、伝六がくすりとやりました。
「でも、ちょっとあっしゃ気になることがあるんだがね」
「なんだよ」
「あの美しいおこよさん。うれしそうに子持ちすずりを抱いていったはいいが、きょうから赤い信女のおひとり者になるんだ。どんな仏さまから子宝を授かるかと思うと、気がもめるんですよ」
 しかし、名人はにこりとも、くすりともせずに、黙々ともう五、六間先でした。



底本:「右門捕物帖(四)」春陽文庫、春陽堂書店
   1982(昭和57)年9月15日新装第1刷発行
※誤記は、『右門捕物帖 第四巻』新潮文庫と対照して、訂正した。
入力:tatsuki
校正:はやしだかずこ
2000年4月20日公開
2005年9月24日修正
青空文庫作成ファイル:
このファイルは、インターネットの図書館、青空文庫(http://www.aozora.gr.jp/)で作られました。入力、校正、制作にあたったのは、ボランテ
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