「あっ、なるほど。わかりました。おしらべの筋は?」
「これじゃ」
手にしていたひとそろいをどさりと目のまえへ投げ出しながら、むだをいわずに三蓋松《さんがいまつ》の紋を指さしました。
店の者もまた、ここらあたりに勤めている手代となると、諸事むだがないのです。たもとの裏の絹糸をしらべて、自分のところで仕立てた品であるのをたしかめると、大きな横帳をしきりに繰っていたが、ようやく捜しあてたとみえて、声をひそめながら答えました。
「たしかにござります。先月の二十一日にご注文うけまして、当月二日にお届けいたしました品でござります」
「注文主はだれじゃ」
「ちとご身分のあるおかたでござりまするが」
「承知のうえでしらべに参ったのじゃ。奥仕えのお腰元か」
「いいえ、奥ご医師でござります」
「ほほう、お脈方とのう。しかし、ご医師にもいろいろある。お外科、お口科、お眼科。お婦人科。いずれのほうじゃ」
「いいえ、お鍼医《はりい》の吉田|法眼《ほうげん》さまでござります」
「当人か」
「ご後室さまでござります」
「なに、ご後室とのう。なるほど、そうか。やはり、女だったか! 住まいはいずれじゃ」
「法眼さまがおなくなりになりましてから二年このかた、小石川の伝通院裏にご隠宅を構えて、若党ひとりを相手に、ご閑静なお暮らしをしていらっしゃるとかのことでござります。この品もそちらへお届けいたしました」
「よし、わかった。口外するでないぞ。――駕籠屋《かごや》! 伝通院裏じゃ」
なぞの道は、はしなくも紅糸二本から解けかかってきたのです。
「ありがてえね。ちゃんとこういうふうに骨を拾ってくださるんだからな。お眠くはござんせんかい。お疲れなら肩でももみましょうかい」
「つまらねえきげんをとるな。駕籠に乗って肩がもまれるかい」
「いいえね、もめねえことは万々わかってるんだが、気は心でね。これでもあっしゃ精いっぱいおせじを使っているんですよ。――そらきた。伝通院の裏に二つはねえ。あの三軒のどれかですぜ」
たぶんそのあたりだろうと見当をつけていってみると、案の定、いちばん奥が捜し求めたその隠宅でした。隠宅というとふた間か三間の小さな家にきこえるが、法眼《ほうげん》といえば位は最上、禄《ろく》は百五十石、はぶりをきかした大奥仕えのお鍼医《はりい》の未亡人がこの世を忍ぶ住まいです。門の構え、広い庭、むしろ邸宅といいたいような広大もない住まいでした。
その広い庭の中を通りがかりに、建仁寺垣《けんにんじがき》のすきからひょいとみると、人影がある。
女です。
切りさげ髪に、紫いろの被布を着て、今をさかりに咲きほこっている菊の中を、しゃなりくなりとさまよっている様子は、まさしく当のご後室でした。
だが、いかにも変な女なのです。
たしかにホシとにらんだお高祖頭巾の女は二十七、八のべっぴんといったのに、伝六のしてやられた男も同じ二十七、八ののっぺりとしたやさ男だったというのに、これはまた似てもつかぬ四十すぎの大年増《おおどしま》なのでした。そのうえに肉はでっぷり、顔は寸づまり、押せばぶよんと水気が出そうなほどにもあぶらぎって、どんなにうまく化けたにしても、とうていやさ男なぞに化けきれるような女ではないのです。
「ちくしょうめ、さあいけねえぞ。鯨の油につけたって、いちんちひと晩でこうはこやしがきかねえんだ。くやしいね、急にまた空もようが変わりましたぜ」
「ちっとあぶら肉が多すぎるな」
「おちついた顔をしている場合じゃねえんですよ。たしかにこの隠宅へあの三蓋松《さんがいまつ》のひとそろいを届けたというからにゃ、首尾の松の首っつりもこの家のうちに根を張っているにちげえねえんだ。お城御用まで承る後藤の店でうそをつくはずはねえ。乗り込んで、ひと洗い洗ったらどうでござんす」
「やかましい! だれだッ。そんなところでがんがんいうやつあ!」
そのとき、ぬっと門わきの下男べやからのぞいた顔がある。
三十四、五のふてぶてしい男でした。後藤の店で話した若党にちがいないのです。
伝六の目から、当然のごとくに火が飛びだしました。
「がんがんいうやつたア何をぬかしゃがるんだ。人を見てものをいいねえ! うぬアこのうちの下っぱか!」
「下っぱならどうだというんだ。これみよがしに十手をふりまわしているが、うぬア、不浄役人の下っぱか!」
「野郎。ぬかしたな! 不浄役人の下っぱたアどなたさまに向かっていうんだ。詮議《せんぎ》の筋があって来たんだ。うぬのうちア三蓋松か!」
「知らねえや。とちめんぼうめ! かりにも法眼《ほうげん》の位をいただいたおかたさまのご隠宅なんだ。うぬらごとき不浄役人の詮議うける覚えはねえ。用があったら大目付さまの手形でも持ってきやがれッ。ふふんだ。ひょうろく玉めがッ」
「野郎ッ。
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