ない。ちりめんも普通。染めも普通。しかし、その目がたもとの裏へいったとき、ちらりと見えたものがある。
何のまじないか、着物のたもとにも、羽織のたもとにも、その裏のすみに、赤い絹糸が二本縫いこんであるのです。
同時でした。
「なんでえ。べらぼうめ。おいらがすこうし念を入れて調べると、たちまちこういうふうに知恵箱が開いてくるんだからなあ。さあ、眼《がん》がついたんだ、駕籠《かご》の用意しろ」
「かたじけねえ。行く先ゃどっちですかい」
「一石橋《いっこくばし》の呉服|後藤《ごとう》だよ。この絹糸をようみろい。江戸にかずかず名代はあるが、呉服後藤に碁は本因坊、五丁町には御所桜と手まりうたにもある呉服後藤だ。ただの呉服屋じゃねえ。江戸大奥お出入り、お手当米二百石、後藤《ごとう》縫之介《ぬいのすけ》と、名字帯刀までお許しの呉服師だ。位が違います、お仕立ても違いますと、世間へ自慢にあそこで縫った品には、このとおり紅糸をふた筋縫い込んでおくのが店代々のしきたりだよ。このひとそろいの着手も、おそらくは城中お出入り、大奥仕えに縁のある者にちげえねえ。早く呼んできな」
「ちくしょうめ。さあ、事が大きくなったぞ。いつまでたっても、だんなの知恵は無尽蔵だね。やあい、人足! 人足、江戸一あしのはええ駕籠屋はいねえかよ!」
飛び出した声の騒がしさ。右門の知恵も時知らずに無尽蔵だが、伝六の騒々しさも時知らずです。まもなく仕立てた駕籠に乗ると、名人はなぞのひとそろいをたいせつにうちかかえながら、ひたすらに一石橋へ急がせました。
4
呉服後藤に金座後藤、橋をはさんで向かい合っているふたりの後藤が自慢の金で掛けた橋だから、五斗と五斗とをあわせて一石橋と名がついたというお江戸名代の橋です。
この橋たもとに、総格子《そうこうし》六間の間口を構えて、大奥御用呉服所と染めぬいた六間通しののれんが、堀《ほり》から吹きつける風にはたはたとはためきながら、見るからにいかめしい造りでした。
もちろん、お客も町人|下賤《げせん》の小切れ買いではない。城中お出入りの坊主衆、大奥仕えの腰元お局《つぼね》、あるいはまたお旗本の内室といったような身分|由緒《ゆいしょ》のいかめしいお歴々ばかりなのです。
駕籠を乗りつけて、ずいとはいっていくと、黙って名人は八丁堀目じるしの巻き羽織をひねってみせました。
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