した。さそくに沐浴《もくよく》斎戒いたしまして、焼き直したところ、未熟者ではござりましたが、父も槍師《やりし》、さすがはお名代のお宝物だけありまして、穂先、六尺柄の飾り巻きともどもいかにもおみごとな業物《わざもの》ぶりに、なんと申しましょうか、魅入られたといいまするか、心奪われたと申しまするか、ゆゆしきご宝物と知りつつ、父が手ばなしかねたのでござります。なれども、いかように執心したとて、ものがもの、日限参らばお倉へ納めねばならぬお品でござりますゆえ、とつおいつ思案したうえに、とうとう父が恐ろしい悪心起こしました。穂先、飾り柄ともににせもの打ち仕立て、そしらぬ顔で納めましたるところ、かりにもご宝蔵を預かるお番士の目に、真贋《しんがん》のわからぬ道理ござりませぬ。わけても中山さまは若手のお目きき、ひと目ににせものとお見破りなさりましたが、人の世のまわり合わせはまことに奇《く》しきものでござります。その中山さまが、ふつつかなわたくしふぜいにとうから思いをお運びでござりましたゆえ、女夫《めおと》の約束すれば一生口をつぐまぬものでもないと、父をおどし、わたくしをお責めなさりましたのが、運のつき、父の悪業ひたかくしに隠そうと、心染まぬながらとうとうこの飾り綿まで受け取らねばならぬようなはめになったのでござります。なれども、恋ばかりは……真実かけた恋ばかりは……」
「ほかにまえから契った男でもござったか!」
「あい。名はいいませぬ! たとい死ぬとも、あのかたさまのお名はいいませぬ! 同じお城仕えのさるかたさまときびしいご法度《はっと》の目をかすめ、契り誓ってまいりましたものを、いまさら中山さまのごときに身をまかするは、死ぬよりもつろうござりましたゆえ、いっそ、もう事のついでに――」
「よろしい。わかった。毒くらえばさらまでと、数馬に一服盛ったというのであろうが、しかしちと不審は女手一つで中山数馬の死体をあの濠《ほり》ぎわまで運んだことじゃ。名をいえぬその男にでも力を借りたか!」
「いいえ、結納つかわしたならば、式はまだあげずとも、もうわがもの同然じゃ、意に従えと口くどうお責めなさりますゆえ、では、あの牛ガ淵の土手のうえでお待ちくださりませ、心を決めてご返事いたしますると、巧みにさそい出し、お菓子に仕込んだ毒をそしらぬ顔で食べさせたのでござります。あとはおしらべがおつきでござりますはず、ただ一つ死体を沈めるおりに、あやまって懐中のふた品を濠に落としたのが、悪運の尽きでござりました……」
「あたりめえよ。悪運が尽きねえでどうするかい。その八束穂《やつかほ》のご宝物はどこへやった」
「いえませぬ! そればかりはいえませぬ!」
「なに! また強情張りだしたな。では、親の助宗はどこへうせた! 姿が見えぬようじゃが、いずれへ逃げた?」
「そ、それもいえませぬ! 父はあのお槍に魅入られておりまする。思えばその心根がいっそふびん、せ、せめてもこのわたくしが、ふびんなその父への孝道に、最、最後の孝道までに、いいませぬ! 口がさけても申しませぬ……ご、ごめんくださりませ!」
いったかと思うや、ひそかに用意していたとみえて、懐中から一服を取り出すと、あっというまもあらず、みずから毒を仰ぎました。
「やい! な、な、何をしやがるんだ。たいせつな玉に死なれちゃ、あとのほねがおれらあ。吐けッ、吐けッ」
うろたえて伝六がまごまごとしながらしかりつけたが、もうおそい。
「死ねば罪のおわびもかない、父への孝道もたちますはず。たって父の居どころ、お槍のありかを知りたくば、ともども、あの世へおいでなさりませ……」
凄婉《せいえん》な笑《え》みを見せると、岩路はほどたたぬまに黒血を吐きながら、父助宗の行くえと八束穂槍《やつかほやり》の行くえを永遠のなぞに葬りつつんで、ぐったり前へうっ伏しました。
しかし、右門の目が二つある。
「しようがねえや。ぴかりと二度ばかり光らしてやろうよ」
おどろきもせずに、へやからへやを調べてみると、弟子《でし》がいたらしい大べや、小女がいたらしい小べやとも、事露見と知って岩路が城中から駆けもどり、いちはやく暇をとらせて立ち去らせたものか、急いで荷物をまとめ、急いで出ていった形跡があるのです。
助宗もまた同様、いちはやく姿を消したにちがいない。その居間とおぼしき一室にはいってみると、まず目に映ったのは大きな仏壇でした。
しかし、位牌《いはい》がない! いくつかあったと思われる跡が残っているのに、仏壇にはつきものの位牌がもぬけのからとなって一つもないのです。
そのかわりに、無言のなぞを秘めながら、弘法《こうぼう》大師のご尊像が正面にうやうやしく掛けられてあるのでした。見ながめるや同時です。
「ウフフ。どうだよ、伝あにい。まずざっとこんなものだ。むっつり右門の目が光ったとなると、事は早いよ。野郎め、お槍をひっかついで高野《こうや》へとっ走ったぜ」
「はてね、高野とね。お大師さまが何かないしょでおっしゃりましたかい」
「いったとも! いったとも! あの女、なかなかしゃれ者だよ。行き先を聞きたけりゃあの世へ来いとぬかしたが、お大師さまがこのとおりちゃんとあの世からおっしゃっていらあね。このご尊像があるからには、宗旨は高野山だ。おまえなぞ知るめえが、高野はこの世のあの世、ひと足お山の寺領へ逃げ込めば、この世の罪は消滅、追っ手、捕《と》り手、入山禁制のお山だ。この世を逃げても、せめてご先祖だけはいっしょにと、位牌を背負ってとっ走ったにちげえねえよ。山へ入れたら指をくわえなくちゃならねえ! まだとっ走って一刻《いっとき》とはたつめえから、早だッ。宿継《しゅくつ》ぎ早の替え駕籠二丁仕立てろッ。ここからすぐに追っかけるんだ」
「ちくしょうッ。たまらねえね。とっ走りを追っかけて、遠っ走りとはこれいかにだ。お大師さま、たのんますぜ! さあ来い、野郎だッ」
うなりをたてながら飛び出していったかと思うまに、伝六得意の一つ芸、たちまちそろえたのは替え肩六人つきの早駕籠二丁です。
「できましたよ! ひと足おくれりゃ、野郎め、ひと足お山へ近くなりゃがるんだ。急いだッ、急いだッ」
「あわてるな」
制しておいてふところ紙を取り出すと、どこまでも行き届いているのです。
「町役人衆に一筆す。
八丁堀右門検死済み。死体はねんごろに葬ってとらすべし。
ただちにお城内、お濠方畑野|蔵人《くらんど》、三宅平七御両名へ、右門、二、三日中によき生きみやげ持参つかまつると伝言すべし」
さらさらと書きしたためて、岩路の背にのせておくと、ひらりと駕籠へ。
「早だッ 早だッ。じゃまだよ! のいた! のいた!」
かけ声もろとも、ひた、ひた、ひたとまっしぐらに品川めざして駆けだしました。
4
その品川を駆けぬけたのが朝の五ツ。
次は川崎、これが二里半。ここで宿継《しゅくつ》ぎの駕籠を替えて、次の宿、神奈川へ同じく二里半、お昼少しまえでした。
一里九町走って程《ほど》ガ谷《や》の宿。二里九町走って戸塚《とつか》。さらに二里飛ばして藤沢《ふじさわ》。よつや、平塚《ひらつか》と走りつけてこの間が二里半。大磯《おおいそ》、小田原と宿継ぎに飛ばして、ここが四里。日あしの長い初夏の日にも、もう夕ばえの色が見えました。
普通の旅なら、むろんここで一宿していい刻限であるが、追えど走れど、行徳助宗とおぼしき姿も影も見えないのです。
「ああ苦しい、なんとか鳴りつづけていきてえんだが、声が出ねえや。だんなえ! このあんばいじゃ、助宗の野郎も、早駕籠を飛ばせていったにちげえねえですぜ」
「決まってらあ。だからこそ、こっちも早にしたんじゃねえか。いよいよ箱根だ。一杯ひっかけて、景気よく走ってくんな!」
人足たちがどぶろくをあおる間に、名人主従ははや握りのむすびで腹をこしらえて、いよいよ箱根八里の険所にさしかかりました。のぼり、くだり、合わせて八里とあるが、正確にいえばお関所までの登りが四里八町。下りの三島までが三里二十八町。
坂にかかったとなると、いかに屈強、早足自慢の人足たち六人が肩を替えつつ急いでも、今までのようにはいかないのです。
あえぎあえぎ、夜道を登りつづけて、天下名代のお関所門を、おりからの星やみに見つけたのは、かれこれもう真夜中近い刻限でした。もとより、門はもう堅く閉まって、わきには名代のお制札がある。
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定
一 この関所通行のやからは、笠《かさ》、頭巾《ずきん》を脱ぐべきこと。
一 乗り物にて通る面々、乗り物の戸をひらくべし。
一 鉄砲、長柄物所持の面々は、お公儀定めどおりの証文なくして通行かなわざること。
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右この旨あい守るべきものなり。よって下知くだんのごとし
[#ここで字下げ終わり]
[#地から2字上げ]奉行
そういうものものしいお札です。
「お槍を持って逃げたとしたら、長柄物所持うんぬんのお定め書きにひっかかって、お取り調べをうけているはずじゃ。伝六、大声で呼びたてろッ」
「よしきた。ご開門を願います。江戸よりの早駕籠でござります。この木戸、おあけ願いまする!」
「なにッ、また早駕籠とな! よく早駕籠の通る晩じゃな。まてッ、まてッ。そらッ、はいれッ」
つぶやきながらあけた小役人のそのつぶやきを聞きのがす右門ではない。
「ただいま、異なことを仰せられたな。よく早駕籠の通る晩じゃというたようじゃが、われらの駕籠の前にも通りましたか」
「一刻《いっとき》ほどまえに一丁通りおった。それがどうしたのじゃ」
「われら、ちと不審あって江戸より追っかけてまいったもの。もとより、お改めのうえお通しでござろうが、人相風体、通行申し開きの口上はどのようでござった」
「どのようもこのようもござらぬわい。年のころは五十がらみ。御用|鍛冶《かじ》、行徳助宗、将軍家|御台所《みだいどころ》のお旨をうけ、要急のご祈願あって、高野山へお代参に参る途中じゃ、とこのように申し、御台さまのお手形所持いたしおったゆえ、否やなく通行許したのじゃ」
「なに! お手形まで所持しておったとのう!……」
おどろくべき早手まわしでした。みずから果てたあの岩路こそは、御台所お付きの腰元なのです。事露見と察して、早くも父を高野へ落とすべく、御台所お手形までももらいうけてきたものにちがいない。問題はお槍です。
「長柄物、所持してはおりませなんだか」
「長柄物?」
「槍でござる」
「おらぬ、おらぬ。そのようなもの目にかからば、おきてお定め書きにもあるとおり、証文の吟味もうけるべきはず、いっこう見かけなんだわい」
「それはちと奇態、なんぞ変わったところ、目にとまった覚えござらぬか」
「さようのう……いや、あるある、一つ覚えがござるわい。駕籠の肩棒が並みよりも少々太めで、きりきり白布で巻いてござったが、変わったところといえばそのくらいじゃ」
「それこそまさしくお槍! 六尺柄の肩棒とは、ちょうどあいあいの長さじゃ、容易ならぬことになり申したぞ。番のおかた! 上役のおかたはおりませぬか! おはようこれへお出会いめされいッ」
声にあわただしく姿を見せたのは、番頭《ばんがしら》次席あたりとおぼしき関所役人です。
「容易ならぬくせもの、まんまと当関所を破ってござる。お力借りたい、火急にお手配くだされたい」
「貴殿は?」
「江戸八丁堀、近藤右門と申す者じゃ」
「なに、ご貴殿がのう。ご姓名は承っておらぬでもないが、関所のおきて、なんぞお手あかし拝見つかまつりたい」
「取り急いでまいったゆえ、ご奉行さまお手判は所持しておらぬが、これこそなによりの手あかし、ご覧召されい」
取り出したのは、きのう朝、お濠方《ほりかた》畑野|蔵人《くらんど》から火急の招致をうけたその招き状です。
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「城中、内濠にていぶかしき変事|出来《しゅったい》、即刻おん越し待ちあげ候《そうろう》。
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