宅平七が伴ってきたのは、大奥|名代《なだい》のおしゃべり坊主|可賀《べくが》でした。
「これはこれは、わざわざてまえをお名ざしで御用とは、近ごろ冥加《みょうが》のいたりでござりやす。八丁堀ご名物むっつり右門とおっしゃりますそうなが、御用の筋はなんでおじゃります。てまえはお鳥係り。烏は唐《から》の金鶏鳥、四国土佐のおながどり、あるはまためじろ、ほおじろ、うぐいすならば鳴き音が千両、つるに、ひばりに、恋慕鳥、別して大奥のお女中がたは、この恋慕鳥が大の好物でござりやす。御用はその鳥に何か?」
「アハハ。なるほど、ききしにまさるお口達者でござりまするな。そのぶんならば、ずんと頼みがいもありましょう。ちと異なお願いでござりまするが、てまえは今おおせのその右門、けさほど牛《うし》ガ淵《ふち》でゆゆしき変事がござりましたのでな。ぜひとも今明日中に、大奥仕えのお女中残らずをお詮議《せんぎ》いたさねばなりませぬ。それゆえ、じつは、そなたさまのお口達者なところを見込んで、今より大奥女中残らずへ――」
「吹聴《ふいちょう》せいとのお頼みでござりますか」
「さようさよう、なにしろたくさんなご人数、それにとつぜん参りましたら、お気の小さいお女中がたでござりますゆえ、さぞかし肝をお冷やしなさるであろうと存じまして、特に前もってお吹聴願いたいのでござります。いかがでありましょうな」
「いや、ぞうさもないこと。千人、二千人おりましょうとも、この可賀が引きうけましたからには、お茶の子さいさいでござりやす。あなたさまはいま八丁堀でお名うての知恵巧者、むっつり右門が乗りこんだからには、ただでは済みませぬぞ、と、このように少しく色をつけて、すみからすみまでずいと触れ歩きまするでござります。ご用はそれだけで?」
「さようじゃ。なるべくお早くのう」
「心得まして候《そうろう》じゃ。では、またのちほど」
「いや、ちょっと待たれよ」
 不意に横から呼びとめて、あやぶむように三宅平七が名人に念を押しました。
「なんぞお考えあってのことでござりましょうが、城内の手入れはいうまでもないこと、大奥お手入れとならば、手続きがなおさらめんどう、あのように吹聴させて、大事ござらぬか」
「そのご懸念ならば、手つづきせずとも、たぶん伊豆守様が――」
 莞爾《かんじ》と笑っていったことです。
「いずれは伊豆守様のお耳へはいるは必定、はいればたぶん伊豆守様がにやりとお笑いあそばしまして、右門やりおるなと、お黙許くださるに相違ござりませぬ。可賀どの、ではなにぶんともによろしゅうな」
「万事は可賀が胸のうち、お羽織のひもでござりやす」
 駆けだしていったのを見送って、さっと立ち上がると、じつに奇怪でした。
「三宅氏、お手数でござった。伝六! 用はすんだ。八丁堀へ帰ってひと寝入りしようぜ」
「ね……!」
 可賀のすさまじいおしゃべりに、さすがの伝六も音が止まったと見えるのです。「ね!」とただいったきりで、ぼうぜんとしながらあとを追いました。

     3

 不思議なのは右門です。まさかと思ったのに、八丁堀へほんとうに引き揚げていくと、そのままふた品のことも、下手人|詮議《せんぎ》のことも忘れ果てたかのように、寝るでもなく起きるでもなく、ただごろごろとその日一日を黙り暮らしました。
 伝六がまた穏やかでない。あのうるさい男が、可賀のおしゃべりにすっかり当てられたとみえて、ぼんやりとしたまま、おしゃべりらしいおしゃべりは、ひとこともいわないのです。
「ね……! ね……!」
 と、ただときおり首をひねっては、思い出したように焦心するばかり。
 一夜がすぎて、同じようにつゆ上がりの霧の深い朝があけました。――その朝まだき。
「行ってこい!」
 右門の唐突な命令が、不意に伝六へ下りました。
「早く行くんだよ」
「どこへ行くんですかい」
「おまえの兄弟分のところへ、大急ぎに行くんだ。きのうのあのお番屋へ行って、だれかに取り次いでもらえば会えるから、至急に駕籠《かご》で可賀をここへ連れてくるんだよ」
「…………」
「変にしょげているな。おまえらふたりがしゃべりだしたら、年の暮れでなくちゃ帰ってこねえかもしれねえ。いい気になってしゃべりはじめちゃいけねえぜ」
「あれにゃとてもかなわねえんです。だから、しょげもするじゃねえですか。なんとなく、おら、おもしろくねえや……」
 とぼとぼと出かけていったその伝六が、駕籠をつらねて可賀ともどももどり帰ったのは、半刻《はんとき》とたたないまもなくでした。
「いや、これはこれは。またまたお名ざしのお呼びたてで、可賀、恐縮でござりやす。きのうお申し伝えのことをな――」
「ご披露《ひろう》くださりましたか」
「それはもうてまえのこと、そこに抜かりのあるはずはござりませぬ、さっそくに奥女中がた残らずへ吹聴いたしましたら、みな、みなもう――」
「どんな様子でござった」
「色も青ざめて震えあがり、なんでござりましょうと、おどろくかと思いのほかに、女というものはなんともいやはや奇態な生き物でござります。ふふんと横を向いて相手にいたしませぬのでな、愚老もとんと張り合いぬけいたしまして、おしゃべり損かと思うておりますると、ここにいぶかしきはただひとり――」
「来ましたか! うろたえて、そなたに、なんぞ聞き尋ねに参った者がござったか!」
「ござりました、ござりました。名は岩路、御台《みだい》さま付きの腰元が、なにやらうろたえ顔にこっそりと参りましてな、いやはや、根ほり葉ほりききますことききますこと。右門とやらは何を詮議《せんぎ》にお越しじゃ、どのようなことをそなたにおいいじゃ、牛《うし》ガ淵《ふち》で何をお見つけじゃ、と、おしゃべりのてまえもほとほともて余すほどうるさくききましてござりやす。そのうえ、急にけさほど――」
「宿下がりいたしましたか!」
「さようでござりやす。気分がすぐれぬとか申して、てまえがこちらへ出かける半刻《はんとき》ほどまえに、親もとへ帰りましたげにござりやす」
「家はどこじゃ!」
「神田|鍛冶町《かじちょう》、御用お槍師《やりし》、行徳|助宗《すけむね》というが親でござりやす」
「よしッ。それだ! 伝六ッ」
 莞爾《かんじ》と笑って身を起こすと、断ずるごとくいったものです。
「ホシはその女だ! 駕籠《かご》だよ! 駕籠だよ!」
「偉い! さすがだね」
 止まっていた水が吹きあげでもしたように、伝六がまたにわかに活気づいて、珍しやずぼしをさしました。
「黙っていると、われながら勘がよくなるとみえらあ。偉いね、さすがにだんなですよ。密々に詮議をしなきゃならんものが、わざわざ吹聴《ふいちょう》させて何をするかと思っていたんですが、これこそほんとうに右門流だね。だんなが乗りこむと聞いたら、胸に覚えのある女がさぞかしあわてだすだろうというんで、ちょっとひと出し、知恵の袋を小出しにしたんですかい」
「決まってらあ。お鳥係りのお坊主を使って鳥網を張ったというなこのことよ。近ごろ珍しい、ほめてつかわす。お駄賃《だちん》に駕籠をおごってやるよ」
「かたじけねえ! 可賀の大将、こうなりゃおしゃべりっくらに負けはとらねえんだ。小道具に使ってしまえばもう用はねえからね、口もとの明るいうちにとっとと帰ってくんな!」
 パンパンとはぜるようにまくしたてられて、ぼうぜんと目を丸めている可賀をあとに、伝六、名人二つの御用駕籠は、時を移さず神田鍛冶町へはせ向かいました。
 表通りはなかなかの構えで、柳営御用|槍師《やりし》と、なるほど大きな看板が見える。
 案内を請うてはいるような名人ではない。ホシとにらめば疾風迅雷、ずかずかとはいっていくと、
「あッ……」
 姿を見ると同時に、かすかなおどろきの叫びをあげながら、奥座敷目がけて逃げはいろうとした女の影がちらりと目にはいりました。せつな――。
「しゃらくせえや。おれを知らねえかよ」
 伝六、じつに生きがいいのです。押えているまに、名人はあちらこちらそれとなく見ながめたが、ほかにはひとりも家人の姿はない。親の行徳助宗がいないばかりか、かりにも将軍家御用槍師といえば、弟子《でし》の二、三人ぐらいはもとよりのこと、下働きの小女も当然いるべきはずなのに、どうしたことか、ひとりも見えないのです。
「この様子では、ちと手数がかかりそうだな。よしよし、伝六、相手はお女中だ。手荒にするんじゃねえよ」
 制しておいて、奥の座敷の片すみに、必死と顔を伏せている女のところへ静かに近よりながら、まず穏やかにいったことでした。
「おまえさんが岩路《いわじ》というんだろうね」
「…………」
「ほほう。親が槍師だ。武物を扱う稼業《かぎょう》だけに、いくらか親の血をうけているとみえて、強情そうだね、そっちが一本槍で来るなら、こっちは七本槍で責めてやらあ。まずお顔を拝見するかね」
「…………」
「手向かったら、だいじなお顔にあざがつきますよ。おとなしくこっちへ向けりゃいいんだ。――ほら、こうやって、そうそう。ほほう、なかなかべっぴんさんだね。いい女ってえものには、とかく魔物が多いんだ。むだはいわねえ。なんだって中山数馬さんをあんなむごいめに会わしたんですかい」
「…………」
「思いのほか手ごわいね。女が強情張るぐれえたかがしれていらあ。むっつり右門の啖呵《たんか》と眼《がん》の恐ろしさを知らねえのか! べらぼうめ、責め道具は掃くほどあるんだ。名こそ書いてはねえが、この扇子もおまえさんの品のはずだ。この懐紙入れもおまえさんがたいせつにしていた持ち物のはずだ。いいや、もっと急所があらあ、やましくもねえものが、可賀に張らした網にひっかかって、目のいろ変えながらこんなところへ逃げだすはずはねえんだ。べっぴんならべっぴんらしく、きれいにどろを吐きなせえよ」
「…………」
「笑わしやがらあ、おいらを相手にどうあっても強情を張るというなら、手近な責め道具をほじくり出してやりましょうよ」
 あちらこちら見捜していたその目が、はしなくもその床わきの地袋の、二枚引き戸の合わさりめから、ちらりとはみ出している金水引きの端を見つけました。同時です。がらりあけて中を見ると、島台に飾られた紅白ふたいろの結納綿が名人の目を射ぬきました。いや、飾り綿ばかりではない。
「寿《ことぶき》、中山数馬」
 はっきりと、あの毒死をとげたご宝蔵おん刀番の名が見えるのです。
「こりゃなんだッ、この名はなんだ」
「あッ! 知りませぬ。知りませぬ。なんといわれても……なんといわれましても……」
 ぎょッとなりながら必死に抗弁していたその口が問うに落ちず語るに落ちて、おもわずも口走ったのは笑止でした。
「いかほど、どれほど責められましても、わたくし、中山様に毒など盛った覚えござりませぬ」
「それみろッ。とうとういっちまったじゃねえか。それが白状だ。身に覚えのねえものが、中山数馬の毒死を知っているはずはねえ。だれからそれを聞いたんだ」
「えッ……」
「ウフフ、青くなったな。りこうなようでも、女は女よ。可賀にさえも毒死の一件はあかさなかったんだ。話しもせず、しゃべらせもしなかった毒のことを、おまえさんばかりが知っておるはずはねえよ。手間をとらせりゃ、こっちの気もたってくる。気がたてば、情けのさばきもにぶる。どうだ、むっつり右門とたちうちゃできねえぜ。もうすっぱりと吐いたらどんなものだよ」
「…………」
 面を伏せてすすり泣きつつ、やがてしゃくりあげつつ、ややしばし泣き入っていたが、ついに岩路の強情が理づめの吟味に折れました。
「申、申しわけござりませぬ……いかにもわたくし、下手人でござります。なれども、これには悲しい子細あってのこと、父行徳助宗は、ご存じのように末席ながら上さま御用|鍛冶《かじ》を勤めまするもの、事の起こりは富士見ご宝蔵お二ノ倉のお宝物、八束穂《やつかほ》と申しまするお槍《やり》にどうしたことやら曇りが吹きまして、数ならぬ父に焼き直せとのご下命のありましたがもと、そのお使者に立たれましたのが中山数馬さまでござりま
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