近づいてよくよくみると、二つとも女の持ちものなのです。
 一つはなまめかしい紅扇子。
 いま一つは、これまたなまめかしい白|綸子《りんず》づくりの懐紙入れでした。
「水死人があるかもしれぬぞ」
「のう……!」
「いずれも懐中にさしている品ばかりじゃ。このようなところへ捨てる道理がない。入水《じゅすい》いたした者の懐中から抜けて浮きあがったものに相違ないぞ。土手に足跡でもないか」
 足跡はなかったが、この二つの品を見て、ただちに水死人と断じたのはさすがです。
「だれか一騎、すぐに屯所《とんしょ》へ飛べッ」
「心得た。手はずは?」
「厳秘第一、こっそりお組頭《くみがしら》に耳打ちしてな、足軽詰め所へ参らば水くぐりの達人がおるに相違ない。密々に旨を含めて、五、六人同道せい」
 パカパカとひづめの音を鳴らして、事変突発注進の一騎が、霧のかなたに消え去りました。
 同時に、一騎は半蔵御門へ。一騎は反対の竹橋御門へ。
 すべてがじつに機敏です。ご門詰めの番士に事の変を告げて、出入り差しとめ、秘密警戒の応急てはずを講ずるために、たちまち左右へ駆けだしました。
 見張りに残ったのは三宅平七ただひとり。この男、旗本の次男でまだ二十三になったばかりだが、諸事みな采配《さいはい》ふるって、なかなかおちついているのです。
 あちらへ漂い、こちらへ漂っているふた品を見ていると、どうも少し変なことがある。濠のまんなかごろのある一カ所から、間をおいてときどき思い出したようにぶくぶくとあわが浮きあがって、さながらそのあわの下に何か気味のわるい秘密でもあるかのように、ふたつの品がまた浮き漂いながらも、その一カ所のぐるりを離れないのでした。
「死骸《しがい》!」
 もしもそこに品物の持ち主の死骸が沈んでいるとするなら、怪談ものです。ふたつの品に何かのぶきみな怨念《おんねん》でもが残っていると思うより思いようがない……。
 いやなことには、まだ霧がなかなか晴れないばかりか、注進にいったものたちの帰りもおそいのです。
 待ち遠しい四半刻《しはんとき》でした。
 ぶきみな思いをしながら待ちあぐんでいたところへ、前後して三騎がはせ帰ってくると、城内屯所へいったのが馬上から呼び呼び伝えました。
「城外へ漏れてはならぬゆえ、そのことくれぐれも心して、たち騒がずに見張りせいとのお達しじゃ。お組頭はあとからいますぐ参
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