らね。言問とことが決まりゃ、七年めえからのかたきをいっぺんに討つんだ。駕籠屋《かごや》駕籠屋。墨田までとっぱしるんだよ」
 せきたてて名人ともども、待たしておいた御用駕籠に飛び乗ると、まことに食べものの恨みたるやそら恐ろしいくらいです。七年まえのだんごのかたきを伝六は捕物《とりもの》で晴らすつもりか、雨の道をもものともせずに、ここをせんどと急がせました。

     3

 川は長雨に水かさを増して、岸を洗う大波小波、青葉に茂る並み木の土手を洗いながら、雨はまた雨で墨田のふぜいなかなかに侮りがたい趣でした。
 駕籠をすてて、言問までは渡し。
「名物、だんご召し上がっていらっしゃいまし」
「雨でご難渋でござりましょう。一服休んでいらっしゃいまし」
 赤い前だれをちらちらさせて、並み木茶屋の店先から涼しげに客を呼ぶ娘の声が透きとおるようです。
「わるくないね。あれが言問だんごですよ。娘もべっぴんどもじゃないですかい。――許せよ」
 伝六、殿さま気どりで、許せよといったもんだ。しかし、はいりかけてひょいと見ると、いぶかしいことには、茶屋のその店先の人目につきやすいところに、巡礼笠《じゅんれいがさ》が二つ、何かのなぞのごとくにかかっているのです。
 坂東三十三カ所巡礼、同行二人と、あまりじょうずでない字でかいて、笠は二つともにまだ一度もかぶったことのない真新しいものなのでした。
「はてね。ちくしょう、だんご茶屋にゃ用もねえものがありますぜ」
 伝六にすらも不思議に思われたものが、名人の目に止まらないというはずはない。つるしてあるのも不審なら、新しいところも奇怪、しかも笠の主の巡礼は、どこにもいるけはいがないのです。――きらりと光った目の色をかくして、ほのかな微笑をたたえながらはいっていくと、物柔らかな声とともに赤前だれの娘に問いかけました。
「雨で客足がのうていけませぬな。あの笠は?」
「あれは、あの……」
「おうちのものか」
「いいえ、あの、闇男《やみおとこ》屋敷の七造さまがお掛けになっていったものでござります」
「なにッ、不思議なことをいうたが、今のその闇男屋敷とやらはなんのことじゃ!」
「ま! だんなさまとしたことが、向島《むこうじま》へお越しになって闇男屋敷のおうわさ、ご存じないとは笑われまするよ。ここからは土手を一本道の小梅へ下ったお賄《まかな》い長屋に、市崎《いちざき》友次郎さまとおっしゃるお旗本がござりまするが、そのお組屋敷のことでござります」
「なぜそのような名がついたのじゃ」
「それが気味のわるい。なんでも人のうわさによりますとな、ご主人の友次郎というは、お直参はお直参でも二百石になるかならずのご小身で、お城の賄《まかな》い方にお勤めとやら聞いておりましたが、ついこのひと月ほどまえから、まだ二十五、六のお若い身そらでござりますのに、奇妙な病に取りつかれまして、なんでも昼日中お出歩きなさりまするとそのご病気が――」
「決まって出ると申すか」
「そうなんでござります。お年も若くて、まだおひとり身で、このあたりまでもひびいたご美男のお殿さまでござりますのに、どうしたということやら、日のめにお会いあそばすと、にわかにからだが震えだすのじゃそうでござります。それゆえもうお勤めも引き下がり、昼日中はまっくらなお納戸《なんど》へ閉じこもったきりで、お出歩きは夜ばかり、明るいうちはひと足も外へお出ましにならず、このひと月あまりというものは友次郎さまのお姿も見たものがござりませぬゆえ、だれいうとなく闇男じゃ、闇男屋敷じゃといいだしたのでござります」
 奇怪だ!
 じつに奇怪なうわさだ!
 日に当たると震いだすという男!
 日中もまっくらな納戸べやに閉じこもって、人に姿を見せぬという男!
 しかも、奇妙なその病気にかかるまえまでは、年も若くて、ひとり身で、このあたりまでも評判の美男旗本だったというのです。
「いやだね。青っちろい顔をして、ひょろひょろになりながら、くらやみばかりに生きておる男の顔を思い出すと、ぞーっとすらあ。昔からある日陰男ってえいうのは、きっとそれですよ。何かつきものでもしたにちげえねえですぜ」
 物知り顔にさっそくもう始めた伝六をしりめにかけながら、ずかずかはいっていくと、
「奥を借りるぞ」
 何思ったか、不意に言い捨てて、どんどん奥座敷へ通りながら名人は、そのままごろりと横になりました。
「またそれだ。きょうばかりゃゆうちょうに構えている場合じゃねえんですよ。あば敬と張りあってるんだ。まごまごしてりゃ、今度こそほんとうにてがらをとられちまうじゃねえですかよ」
「…………」
「ね! ちょっと! いらいらするな。ホシゃ七造だ。あの巡礼笠の主の七造めがどこへうせたか、はええところ見当をつけなくちゃならねえんですよ。あごな
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