江戸の女がおらに断わりもしねえで、かれこれと浮いたまねをするってえ法はねえんだ。ね! ちょっと! しゃべってまたうるせえですかい」
ここをせんどとやかましく始めたのを、名人は柳に風と聞き流しながら、子細に六地蔵の傷個所を見しらべました。――どの傷もどの傷も、ぐいとひと欠けに欠けて、使った得物はどうやら金づちらしく、しかもところきらわずめったやたらにぶちこわしているところを見ると、ただのいたずらだったら格別、もし故意にやったことならば、遺恨のもとがなんであるにしろ、下手人はまた何者であるにしろ、まさしくこれを人目にさらして、この六地蔵|菩薩《ぼさつ》と、その寄進者を恥ずかしめようという目的のもとに行なわれた暴行にちがいないのです。
「ウフフ。手がかりは何もない。落とし物もなに一つない。あるものはおつむにのっかっている古わらじばかりだとすると、頼みの綱はおいらの知恵蔵一つだ。――干そうぜ!」
「え……?」
「おまえにいってるんじゃねえ。まだちっと季節に早いが、早手回しに知恵蔵の虫干ししようかと、おいら、おいらに相談しているんだ。――珍念さん」
「はい。朝のお斎《とき》いただかずに駆けだしてまいりましたゆえ、少しおなかがひもじゅうなりました」
「おきのどくにのう。もうこれでご用済みになるゆえ、はよう帰ってたんといただきなさいよ。そなたのお寺はどこでござる?」
「興照寺ならば、あの……あの、あれでござります。あそこの火の見やぐらの向こうに見える高いお屋根がそうでござります」
指さした川下の左手に目をやると、なるほど、川にのぞんで水もやの中からくっきりと空高く浮き上がりながら、朝日にきらきらと照りはえているいらかの尾根が見えました。橋からの距離は約六、七町ばかり。
「一真寺は?」
「ご本堂は、ほら、あの、あれでござります。川をはさんでうちのお寺とにらめっこをしている右側の、あの高いお屋根がご本堂でござります」
いかさま、ちょうどその真向かいの、松平|越前《えちぜん》侯お下屋敷とおぼしきひと構えのこちらに、さながら何かの因縁ごとででもあるかのごとく、黙々として屋根の背中を光らせながらそびえ立っている堂宇が見えるのです。
「にらめっことはうまいことをいいましたね。ほんとうに、屋根と屋根とがけんかをしているようだ。分かれ地蔵がこのありさまならば、一真寺のお残り地蔵も気にかかる
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