込んでいたところを見ると椋鳥《むくどり》ゃおおぜいさんかもしれねえや。かまわねえから、ほっときな」
「だ、だいじょうぶですかい」
「いま騒ぎだしゃ、えさがなくなるじゃねえかよ。草香流が節鳴りしてるんだ。こわきゃ先へ飛ばしな」
 ゆうゆうとうち乗ったまま急がせて、ほどなく乗りつけたところは、並木町のかどのかざり屋から三軒めの、お蘭が宿下がりしているというそのしもた屋です。――同時でした。見えがくれにつけてきた足早男が、ちらりとそれを見届けるや、いっさんにまたいずれかへ姿を消しました。
「ウフフ。おいらを相手に回して、古風なまねをしていやがらあ、久しぶりにあざやかなところを見せるかね。ついてきな」
 おどろきもせず、案内も請わずにずかずかはいっていくと、しいんと家のうちが静まり返っているのです。――と思われたその静かな屋内の奥から、よよとばかりに忍び泣く女のすすり音がきこえました。
 声をたよりに奥へはいってみると、へやは内庭にのぞんだ離れの六畳。見る目も婉《えん》にくずおれ伏して、ひとりしんしんと泣きつづけていたのは、ひと目にそれとわかるお蘭です。
「おどしの手がもう回ったね」
 えッ――というように、おどろき怪しみながら、ふり向いたお蘭の美しい泣き顔へ、さわやかに微笑を含んだ名人の声が注がれました。
「だいじょうぶ、幸助殿御から始終のことはもう承りましたよ」
「そういうあなたさまは!」
「むっつりとあだ名の右門でござんす」
「ま……それにしても、そのあなたさまがまた何しにここへ!」
「心配ご無用。幸助どんからおむつまじい仲を聞きましたんでね。いいや、あんたへ届けるはずの仕掛けしごきが人手に買われて、どうやらその買い主が文《ふみ》を種にあんたをおどしつけていやしねえかとにらみがついたんで、ちょっくらお見舞いに来たんですよ。泣いていたは、にらんだとおりそいつの手がもう回ったんでしょうね」
「そうでござりましたか! それで何もかもはっきり納得が参りました。まちがえて人手に買われたら買われたと、どのようにでもしてひとことそれをわたくしにお知らせくだされば、手だても覚悟もござりましたものを、いきなりさる男がやって参りまして、不義密通の種があがったとおどしの難題言いかけられましたゆえ、どうしようとお宿下がりを願って、このように生きたここちもなく取り乱していたのでござります」
「やっぱりね。おどしのその相手は、いったい何者でござんす」
「それが、じつは少し――」
「だいじょうぶ! おいらが乗り出したからにゃ、力も知恵も貸しましょうからね。隠さずにいってごらんなせえよ。どこのだれでござんす?」
「めぐりあわせというものは不思議なもの、もと同じ加賀様に仕えて、二天流を指南しておりました黒岩清九郎さまとおっしゃるかたでござります」
「やっぱり二本差しだったね。どうしてまたそやつの手にはいったんですかい」
「それも不思議なめぐりあわせ、じつは黒岩さまが今のようなご浪人になったのも、家中のご藩士をふたりほどゆえなくあやめたのがもとなのでござります。さいわい、その証拠があがりませなんだゆえ、ご処分にも会わず浪人いたしまして、今はここからあまり遠くもない下谷|御徒町《おかちまち》に、ささやかな町道場とやらを開いてとのことでござりまするが、そのご門人衆のひとりの姪御《めいご》さんとやらが買ったしごきの中に、わたくしあての恥ずかしい文があったとやらにて、不審のあまり清九郎さまに見せましたところ、同じ家中に仕えていたおかたでござりますもの、わたくしの名を知らぬはずはござりませぬ。このあて名のお蘭ならばまさしくあれじゃと、すぐにご見当がつきましたとみえ、ついおとついの日でござります、鬼の首でも取ったような意気込みで不意にお屋敷のほうへたずねてまいり、このとおり不義密通の種があがったぞ、ご法度《はっと》犯した証拠は歴然、殿のお手討ちになるのがいやなら、くどうはいわぬ、いま一度加賀家の指南番になれるよう推挙しろ、でなくばみどものいうがままにと――」
「けがらわしいねだりものをしたんですかい」
「あい。恥ずかしいことをいいたてて、どうじゃ、どうじゃと責めたてますゆえ、思案にあまり、きょうの晩までご返事お待ちくだされませと、その場をのがれて、ただ恐ろしい一心から、かく宿下がりをいたしましたが、幸助さまにご相談したとてもご心配をかけるばかり。ほかに力となるものとては、おじいさまおばあさまのおふたりがあるばかり、そのふたりもあいにくと善光寺参りに出かけまして、るすを預かっているのはたよりにならぬばあやがひとりきり、困り果ててこのように泣き乱れておりましたのでござります」
「そうでしたかい。黒岩だかどろ岩だか知らねえが、江戸っ子にゃ気に入らねえ古手のおどし文句を並べていやがら
前へ 次へ
全13ページ中11ページ目


小説の先頭へ
文字数選び直し
佐々木 味津三 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ 登録 ご利用方法 ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング