ひざもとにお慈悲をいただいておって、何をふらち申すかッ。そちこれなる紺屋《こうや》たれさまのご允許《いんきょ》受けて営みおるかッ、加賀宰相のお許し受けたと申すかッ。不遜《ふそん》なこと申すと、江戸まえの吟味が飛んでまいるぞッ」
「なるほど、いや、恐れ入りました。じつは、そちらのやかましいだんなが、――いや、これは失礼。そちらの威勢のいいだんなが、やにわとおかしなことをおっしゃってどなりつけましたゆえ、つい腹がたったのでございます。なんともぶちょうほうなことを申して、恐れ入りました。ご詮議《せんぎ》の筋は?」
「お蘭しごきだ。売れ行きはどんなか」
「飛ぶように、――と申しあげたいが、なんしろ物が駄物《だもの》と違いまして少々お値段の張る品でござりますゆえ、月々さばけるはほんのわずか、それに染めあげるてまえのほうから申しましても、染め粉はもとより、ちりめんからして吟味いたしまして、織り傷一本、染めみだれひと筋ございましてもはねのけますゆえ、染めあがる品もわずかでござりまするが、売れ行きも月ならしせいぜい三、四十本というところでござります」
「このごろはどうだ」
「さよう? この月の十一日でござりましたか、三十六本仕上がってまいりましたのが、ついさきおとついまでに、みんな売れ切れましてござります」
「買い主はおおよそどっち方面だ」
「下町、山の手、お娘御たちも町家育ちお屋敷者と、ばらばらでござりまするが、まとまったところでは加賀様がやはり――」
「御用があったか」
「へえ、それも珍しく大口で、いま申したさきおとついの日、ひとまとめにして二十五本ほどお納めいたしましてござります」
「なに、二十五本とのう! いちどきに二十五本とは豪儀とたくさんのようだが、加賀家の御用は毎月そんなか」
「いいえ、ちとご入用の筋がござりまして、今度は格別でござります。月々しごきはたかだか三、四本、それもごくふう主のお蘭さまばかりでござりましてな、ご器量もお屋敷第一でござりまするが、ぜいたくもまたお腰元第一とみえまして、同じものをそう何本も何本もどうするかと思いますのに、もうこの半年ばかりというもの、毎月毎月決まって三本ずつご用命いただいておりまするでござります」
「なに! 月に決まって三本ずつとのう! なぞはそれだな」
「は……?」
「いや、こちらのことよ。伝六ッ」
「へ……?」
「おまえのふところ日記のあれは、いつから始まっておったっけな」
「ひやかしゃいけませんよ。三月十二日があれの出始め、いと怪しのほうもその日が初日じゃござんせんか」
「なるほどな。十一日に三十六本染め上がってきて、あくる日から幕があいたか。ちっとにおってきやがった。では、おやじ、その三十六本はもう一筋も残っていねえんだな」
「へえ、さようでござります。毎日毎日のお花見騒ぎで、手代はじめ職人どももみんな浮かれ歩いておりますんで、ここ当分あと口の染め上げは差し控えておりますんでござります」
「いかさまのう――」
 いいつつ、じろりと移したその目に、はしなくも映ったのは、おやじのひざわきに積み上げてある型紙の山です。染めあげた日取りの順序に積み上げてでもあるとみえて、いちばん上に置かれてある一枚に不審な点が見えました。
 第一は紋、梅ばち散らしの紋が型ぬきになっているのです。いうまでもなく、梅ばちは加賀家のご定紋でした。
 第二はその長さ。まさしく型紙の長さは、手ぬぐい地の寸法なのです。――同時に、きらりと鋭くまなこが光ったと見えるや、名人のさえまさった声が飛んでいきました。
「おやじ! 妙なことがあるな」
「なんでござります?」
「そのいちばん上の型紙よ。たしかにそりゃ手ぬぐいを染めた古型のようだが、違うかい」
「さようでござります。ついきのう染め上げて、もうご用済みになりましたんで、倉入りさせようといま調べていたんですが、これが何か?」
「何かじゃねえや! 梅ばちは加賀家のご定紋だ。縮緬《ちりめん》羽二重、絹地のほかにゃ手もかけたことのねえ上物染め屋と名を取った紅徳が、下物《げもの》も下々の手ぬぐいを染めるたあ、不審じゃねえかよ。どうだい、おかしいと思わねえかい」
「アハハ。なるほど、さようでござりましたか。いかにもご不審ごもっともでござりまするが、いや、なに、打ち割ってみればなんでもないこと、よそへ頼むはやっかいだ、ついでに二十五本ばかり大急ぎに染めてくれぬかと、加賀家奥向きから、ご注文がございましたんで、いたずら半分に染めたんでございます」
「なに、やはり二十五本とのう。百万石の奥女中が、そればかりの手ぬぐいを急いでとは、またどうしたわけだ」
「あす、上野でお腰元衆のお花見がございますんでな、そのご用を仰せつかったんですよ」
「ウフフ。そうかい。――ぞうさをかけた。甘酒でも飲んで
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