伊豆守と、その明知に畏服《いふく》することだれにもまさる名人右門とのやりとりは、意気も器量もぴたりと合って、つねにかくのごとくさわやかでした。――騒ぎもまたぴたりと静まって、押えつけていた近侍の面々が手を引くと同時に、はじめて直訴人の姿が雪の中から現われました。
年のころは六十あまり、常人ではない。一見するに凛烈《りんれつ》、人を圧するような気品と凄気《せいき》をたたえて羽織はかまに威儀を正しながら雪の道に平伏している姿は、どうやら、一芸一能に達した名工、といった風貌《ふうぼう》の老人なのです。――ひざまずいたまま烱々《けいけい》とまなこを光らして名人は、ややしばし老直訴人の姿をじいっとうち見守っていたかと見えたが、さすがは慧眼《けいがん》無双、そちひとりおらばと名宰相が折り紙つけただけのことがあって、せつなのうちにもうあの眼《がん》がさえ渡りました。
「御前! 火急のお計らいが肝心でござります。必死の覚悟とみえまして、まさしく訴人は切腹しておりまするぞ」
「なにッ」
「みるみるうちに顔色の変わりましたが第一の証拠、直訴を遂げて気の張り衰えましたか、五体にただならぬ苦痛の色が見えます
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