くんなせえよ」
 うろたえ騒ぎつつ駆けだそうとしたのを、だが右門はおどろくかと思いのほかに、ごく静かでした。
「あわてるな、あわてるな。逃げたきゃ逃がしなよ。どこまで逃げたからとて、おいらの目玉がぴかりと光りゃ、勘どころをはずれたためしはねえんだから、じたばたせずとほっときなよ。それより、こっちを先にかたづけなくちゃならねえ。神妙にしていろよ」
 制しておいて、ぶきみも恐れず近よりながら、じいっと窯の中をさしのぞきました。同時に、その目を射たのは、ふびんな最期を遂げた弥七郎のむくろを守護でもするかのごとく、そのそばに置かれてあった一個の立ち人形です。
 しかも、そのすばらしさ!
 地はだ、色合い、仕上がりともに、一点の非も見えぬすばらしい男の立ち人形でした。あまつさえ、その色のよさ!――魂までも引き入れられるようなただひと色の、さえざえとした群青色なのです。いや、ひと色ではない。ひと色はひと色であっても、その群青色のなかに幽玄きわまりない濃淡があって、その濃淡がおのずから着付けのひだ、しまめを織り出し、人形ながらもそこにあやかな人の息づき、いぶきが聞かれるような玲瓏《れいろう》たる上作でした。
 自分といっしょに焼いたにちがいない!
 形もまた弥七郎自身の面影を写しとったのではないかと思われる、意味ありげな陶工姿の立ち人形でした。否! 台じりを返してみると、紛れもなく銘があるのです。ワガ姿ヲ写ス、――泥斎門人弥七郎作、というきざみ字が見えました。
「なぞはこれだな! よしッ、伝あにい!」
 ひしとかいいだくようにその青人形を胸に抱いて、さっと身を起こすと、静かに命じたことです。
「野郎をつかまえろッ。粂五郎のやつが、なぞのかぎを握っているにちげえねんだ。跡を追いかけろッ」
「跡を追いかけろといったって、とうに野郎はもうつっ走ったんですよ。ばかばかしい。だから、あっしがさっきあわてて呼んだんじゃねえですか。今ごろになって、そんな無理をおっしゃったっても知りませんよ」
「あいもかわらず血のめぐりが鷹揚《おうよう》だな。おいらのやることにむだはねえんだ。これをみろ。きょうは何が降ってると思ってるんだい。よく目をあけてこれを見ろよ」
 おちつきはらいながら表へ立って、笑《え》ましげにほほえみながら、静かに指さしたのは庭一面、道一面を埋めつくしている深い雪です。いや、銀白のその深い雪の上に、逃げ延びた先を物語るかのように点々と残されてあった粂五郎の足跡です。
「ちげえねえ。なるほど江戸じゅう雪が積もってるからには、どこまで逃げやがったってぞうさはねえや。おれの血のめぐりもちっとばかり鷹揚《おうよう》かもしれねえが、これに気がつかねえたア粂五郎もちゃちな野郎だね。さあ来い、奴《やっこ》! もう逃がさねえぞ」
 まことに、いつもながら名人右門のすることなすことには、そつがない。雪に足跡の残ることを心づいていたればこそ、騒がずに悠揚《ゆうよう》と構えて、追いかけようともしなかったのです。――十手を斜《しゃ》に握りとったあいきょう者を先頭にして、なぞのかぎを追う主従ふたりは、その場から点々と残されている粂五郎の足跡を拾いはじめました。

     4

「ウッフフ。ありますぜ。ありますぜ。バカだな。こんなでけえ足跡がおっこちているのも知らねえで、いい気になりながら逃げやがったんだからね。それにしても、なんてでけえ足だろうね。十一文甲高、仁王《におう》足というやつだ。ね! ほらほら。向こうへ曲がっておりますよ」
 伝六の悦に入ったこと、さながらに子どものようです。拾っていくうちに、
「はてな、ちきしょう、おつなところで止まっておりますぜ」
 てっきり表を町のほうへでも落ち延びたろうと思われたのに、足跡はぐるりと住まいのまわりを半分回って、ぴたり、そこの縁の下のところでとぎれました。――と見えたのが、迷ったにちがいない。もぐって隠れようか隠れまいかとためらったあげく、また逃げだしたとみえて、やはり足跡は表口から往来につづいているのです。
 しかし、そう思われたのもつかのま、出てからまたさらに迷ったとみえて、あちらにふた足、こちらに三足、行きつもどりつ、しどろもどろに逃げ惑ってから、くるり引っかえして、足跡はふたたび住まいの庭の裏口目ざしてつづきました。
「ウフフ。あきれけえった野郎だね。めくらが火事に飛び出したんじゃあるめえし、こりゃまたどうしたんですかよ。どこへ逃げやがっても雪ゃあるんだから笑わしゃがらアね」
 だが、名人右門の推断はまた別でした。
「やつめ、察するにおくびょう者だな」
「え? そんなことが、またどうしてわかるんですかい。足跡に肝ったまの大小がけえてあるんじゃあるめえし、だれの足跡でも雪に残りゃこういうかっこうをしているんですよ」
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