人の前へがちゃがちゃと駕籠を止めさせながらようやくに姿を見せたのは、寺社奉行所へお断わりにいった伝あにいです。
「早かったな。お奉行さまはなんておいいだ」
「どうもこうもねえんですよ。ほかならぬ右門のことなら、許す段ではない。詮議《せんぎ》の筋があったら気ままにせいとおっしゃいましたがね、それにしても、いってえ――」
「なんだよ」
「とぼけなさんな! あっしに汗をかかせるばかりが能じゃねえんですよ。わざわざと寺社奉行さまなんぞにお断わりをして、お寺の何をいってえ調べなさるんですかい」
「下手人の女よ」
「その女が、お寺のどこを詮議したらわかるんですといってきいているんですよ。おもしろくもねえ。昔からお寺は女人禁制と相場が決まってるんだ。その寺のどこへ行きゃ女がいるとおっしゃるんですかい」
「やかましいやつだな。広い江戸にも武芸者はたくさんあるが、槍《やり》や太刀《たち》と違って含み針なぞに堪能《たんのう》な者はそうたくさんにいねえんだ。数の少ねえそのなかで、山住流含み針に心得のある達人は、第一にまず四ツ谷|永住町《ながずみちょう》の太田《おおた》五斗兵衛《ごとべえ》、つづいては牛込の小林|玄竜《げんりゅう》、それから下谷竹町の三ノ瀬《せ》熊右衛門《くまえもん》と、たった三人しきゃいねえんだよ。くやしいだろうが、この紅絹《もみ》の袋をよく見ろい。持ち主のあたしはかくのとおり色香ざかりの若い女でござりますといわぬばかりに、憎いほどにもなまめかしくまっかで、そのうえぷーんといいにおいのおしろいの移り香がするじゃねえかよ。ひと吹きで大の男をのめらした手並みから察するに、おそらく下手人は今いった三人のうちのどやつかから一子相伝の奥義皆伝でもうけた娘か妹か、いずれにしても身寄りの者にちげえねえんだ。かりにそれが眼《がん》ちげえであっても、流儀の流れをうけた内弟子《うちでし》か門人か、どちらにしても、近親の若い女にちげえねえよ。ちげえねえとするなら、まず事のはじめに三人のやつらの家族調べ、人別改めをやって、下手人とにらんだ若い女のあるやつはどこのどれか、その眼をつけるが先じゃねえか。それをするなら寺だ。お寺だ。お寺の寺帳を調べてみたら、てっとり早くその人別がわかるはずだよ。どうだい、あにい。まだふにおちませんかね」
「はあてね。寺帳とね。亡者《もうじゃ》調べの過去帳なら話もわかるが、寺帳とはまた初耳だ。そんなものを調べたら、何のなにがし、娘が何人ござりますと、現世に生きている人間の人別がいちいちけえてあるんですかい」
「気をつけろ。お番所勤めをする者が、寺帳ぐれえをご存じなくてどうするんかい! 江戸に住まって江戸の人間になろうとするにゃ、ご藩士ご家中お大名仕えの者はいざ知らず、その他の者は、士農工商いずれであろうと、もよりもよりのお寺に人別届けをやって、だれそれ子どもが何人、父母いくつと寺受けをしてもらわなくちゃならねえおきてなんだ。さればこそ、まず四ツ谷から手始めに太田五斗兵衛のだんな寺へ押しかけて、やつに娘があるか、若い女の身寄りがあるか、その人別改めをするというのに、なんの不思議があるかよ。しかも、そのお寺までちゃんともう眼がついてるんだ。永住町なら町人は妙光寺、お武家二本差しなら大園寺と、受け寺がちゃんと決まっているよ。おいらの知恵がさえだしたとなると、ざっとこんなもんだ。どうです、あにい! 気に入ったかね」
「ちきしょう。大気に入りだ。あやまったね。恐れ入りましたよ。さあこい! 矢でも鉄砲でももうこわくねえんだ。駕籠屋! 駕籠屋! 何をまごまごとち狂っているんだ。大園寺だよ! 大園寺だよ! おいらもう尾っぽを巻いて小さくなっているから、ひとっ走りにやってくんな」
走らせて景気よく永住町のその大園寺へ乗りつけると、ものごし態度の鷹揚《おうよう》さ、あいさつ口上のあざやかさ、まことにみずぎわだった男ぶりです。
「許せよ。八丁堀同心近藤右門ちと詮議《せんぎ》の筋があるゆえ、寺社奉行さまのお許しうけてまかり越した。遠慮のう通ってまいるぞ」
不意の来訪にめんくらいながら、うちうろたえている小坊主たちをしり目にかけて、ずかずかと方丈の間へ通っていくと、貫禄《かんろく》ゆたかにどっかと上座へ陣取りながら、なにごとか、なんの詮議かというように怪しみ平伏しつつ迎え入れた方丈をずいと眼下に見下して、おのずからなる威厳もろとも、ずばりといったことでした。
「そちが住持か。役儀をもって、申しつくる。当寺の寺帳そうそうにこれへ持てい」
「はっ。心得ました。お役目ご苦労さまにござります。これよ、哲山。そそうのないように、はよう持参さっしゃい」
うやうやしくさし出したのを受け取って、目あての太田五斗兵衛の人別を巨細《こさい》に調べたが、しかしいない! 娘や妹も、それと思わしき若い女の名まえは見当たらないのです。
「まかり帰る! ご接待ご苦労でござった」
さっと立ち上がると、あっけにとられている寺僧どもをしり目にかけながら、さっそうとして待たせてあった駕籠にうち乗るや、間をおかずに命じました。
「牛込じゃ。宗山寺へ乗りつけい!」
いわずと知れたその宗山寺こそは、第二の目あてたる小林玄竜の受け寺なのである。
早い! 早い! 河童《かっぱ》坂をひと飛びに乗りきって、目ざした弁天町のその宗山寺へ息づえを止めさせると、
「許せよ」
ずいと通っていって、ことばもおごそかに小坊主へ浴びせかけました。
「住職に申しつけい。八丁堀同心近藤右門、吟味の筋あって寺社奉行さまのお許しこうむり、寺帳改めにまかり越した。そうそうに持参させい」
はっとばかりに平伏しながら小坊主が立ち去るやまもなく、入れ違いに住職が伺候してうやうやしくさし出したその受け帳をしらべてみると、――あるのです! あるのです!
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小林玄竜 四十三歳。左京流|小太刀《こだち》、ならびに山住流含み針指南。
同妻、かね三十八歳。
同娘、菊代、十九歳。
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その名もなまめかしく菊代、十九歳としてあるのです。同時に、莞爾《かんじ》として笑《え》みがのぼると、さわやかな声が放たれました。
「住持! 玄竜の所が見えぬようじゃが、これはなんとしたのじゃ」
「なるほど、ござりませぬな。いかい手落ちをいたしまして、あいすみませぬ。じつは、よくひっこしをいたしますおかたで、近ごろもまたお変わりのようでござりましたゆえ、あとから書き入れようと存じまして、ついそのまま度忘れいたしましたのでござります」
「お上にとってはたいせつな人別帳じゃ。以後じゅうぶん気をつけねばあいならんぞ。移り変わったところはどこじゃ」
「目と鼻の弁天町のかどでござります」
「手数をかけた。――じゃ、あにい!」
がらりと江戸まえの伝法に変わると、シュッシュッと一本|独鈷《どっこ》をしごきながら、はればれとしていったことです。
「眼《がん》に狂いのねえのが自慢よ。相手はとにもかくにも道場だ。十手もいるが、命も七、八ついるかもしれねえぜ。こわかったら、小さくなってついてきな」
ものもいえないほどに意気張りだした伝六をうち従えながら、ゆうぜんとして訪れたのは弁天町かど屋敷のそのひと構えでした。――見ると、なるほど、ものものしい看板があるのです。
「ウフフ、おどしているぜ。左京流小太刀ならびに山住流含み針指南所とふた道かけたこの看板がすさまじいじゃねえかよ。では、ひとつお嬢さまを拝見するかね」
取り次ぎも受けずにずいと上がっていくと、さっそくに目あての菊代なる女の姿を捜し求めながら、奥座敷にでも通るかと思いのほかに、むっつり黙々、ぬうと押し入ったところは、門人どもがけいこさいちゅうの道場大広間でした。
「なんじゃ! なんじゃ!」
「おかしなやつが来よったな!」
「案内も請わずにぬうとはいって、何用じゃ!」
同時に左右八方からけしきばんで門人たちが言い迫ったのを、
「騒ぐな。見物じゃ。諸公のお手並み拝見に参ったのよ」
うち笑《え》みながら静かにいって、しきりに門弟たちの首実検をしていましたが、そのとき計らずも名人の注意を強くひいたものは、わき目もふらず一心不乱に弟|弟子《でし》たちへけいこをつけている師範代らしい一人です。しかも、これが他の門弟たちとは群を抜いて、腕もたしか、わざもみごと、眉目《びもく》もきわだってひいでた若者でした。いや、それと知ったせつなです。
「源之丞《げんのじょう》さま! 源之丞さま! な! もし! 源之丞さま……!」
不意に廊下の向こうから呼びたてた声が、ハッと名人の耳を打ちました。娘です。娘です。それぞまさしく目ざした菊代と思われる、年もちょうど十八、九ごろの意外なほどにも美しい娘なのです。娘は、そこにおそるべき名人がさし控えているのも知らぬげに、ためらい、はじらいつつも顔をのぞかせると、一心不乱にけいこさいちゅうのその師範代を、恨みがましくにらめるようにして、さらに呼び立てました。
「なんというつれないおかたでござりましょうな! さきほどからわたくしが何度も何度も呼んでおりますのに、せめてご返事ぐらいしてくださってもいいではござりませぬか! けいこなぞいつでもできまする。な! もし、源之丞さま!――お聞こえになりませぬか! な! もし、源之丞さま!」
いいつつ、哀々と訴えるようににらんだその目の光!――慧眼《けいがん》並びない名人の目が、思いに悩み、もだえに輝く娘のその目を見のがすはずはないのです。
「ウフフ。おかしなほうへにおってきたな、あの目がなぞのかぎかい。――もしえ! ちょっと!」
さっと立ち上がりながら、すかさずにつかつかと追いかけると、源之丞と呼んだ師範代の若者が相手にしようともしないのを恨むように、おこったように、やさしくにらみにらみ奥の間へ立ち去ろうとしていた娘のあとから不意に呼びかけました。
「もしえ! お嬢さん! 用があるんだ。ちょっとあんたに用があるんですが」
「ま?――どなたでござります! 知らぬおかたが、わたくしになんの、なんのご用でござります!」
「これですがね」
聞きとがめるように振り返ったその目の先へ、ずいとつきつけたのは証拠のあの紅絹《もみ》の小袋です。
「これですがね。どうです? 覚えがござんしょうね」
「ま! いいえ! あの! あなたがそれをどうして! いいえ! あの! いいえ! あの!」
「しらをきるなッ。神妙にしろい」
ずばりと伝法にしかりつけて、やさしくぎゅっと草香流で、むっちりとしたその腕を押えておくと、手も早いが声も早い! なにごとかとばかり、けしきばみながらどやどやと木刀小|太刀《だち》ひっさげて駆け迫ってきた門人どもに莞爾《かんじ》とした笑《え》みを送ると、叱※[#「口+它」、第3水準1−14−88]《しった》したその一喝《いっかつ》のすばらしさ! すうと胸のすくくらいです。
「騒々しいや! 名を聞いてからにしろい! おいらがむっつりとあだ名の右門だッ。じたばたすりゃ、ききのいい草香流が飛んでいくぞ! 引っ込んでろい!」
せりふもききのいいとどめの針をぴたりと一本打っておくと、手を押えながらいざなっていったところは奥のひと間でした。
「玄竜、玄竜! あるじはおらぬか! 娘の詮議《せんぎ》にやって来たんだ。玄竜夫婦はどこだ!」
「…………」
「ほほう。声のねえのは、どこぞへご年始回りにでもいったとみえるな。るすならるすで、なおいいや。――お嬢さん! むっつりの右門はね、むだ責めむだ口はでえきれえ、意気ときっぷで名を売った江戸まえの男のつもりだ。うじゃうじゃしておりゃ、おたげえ癇《かん》の虫が高ぶるからね。すっぱりと何もかもおいいなせえよ」
柔らかく震えている菊代のふっくらとした肩先を押えるようにしながらそこへすわらせると、責め方がまたほどよく情にからんで、いいようがないのです。
「ぼうと首筋までがなにやら陰にこもって赤らんでおりますね、あかねさす色も恥ずかし恋心というやつだ。目
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