した。いや、それと知ったせつなです。
「源之丞《げんのじょう》さま! 源之丞さま! な! もし! 源之丞さま……!」
不意に廊下の向こうから呼びたてた声が、ハッと名人の耳を打ちました。娘です。娘です。それぞまさしく目ざした菊代と思われる、年もちょうど十八、九ごろの意外なほどにも美しい娘なのです。娘は、そこにおそるべき名人がさし控えているのも知らぬげに、ためらい、はじらいつつも顔をのぞかせると、一心不乱にけいこさいちゅうのその師範代を、恨みがましくにらめるようにして、さらに呼び立てました。
「なんというつれないおかたでござりましょうな! さきほどからわたくしが何度も何度も呼んでおりますのに、せめてご返事ぐらいしてくださってもいいではござりませぬか! けいこなぞいつでもできまする。な! もし、源之丞さま!――お聞こえになりませぬか! な! もし、源之丞さま!」
いいつつ、哀々と訴えるようににらんだその目の光!――慧眼《けいがん》並びない名人の目が、思いに悩み、もだえに輝く娘のその目を見のがすはずはないのです。
「ウフフ。おかしなほうへにおってきたな、あの目がなぞのかぎかい。――もしえ!
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