ちょっと!」
さっと立ち上がりながら、すかさずにつかつかと追いかけると、源之丞と呼んだ師範代の若者が相手にしようともしないのを恨むように、おこったように、やさしくにらみにらみ奥の間へ立ち去ろうとしていた娘のあとから不意に呼びかけました。
「もしえ! お嬢さん! 用があるんだ。ちょっとあんたに用があるんですが」
「ま?――どなたでござります! 知らぬおかたが、わたくしになんの、なんのご用でござります!」
「これですがね」
聞きとがめるように振り返ったその目の先へ、ずいとつきつけたのは証拠のあの紅絹《もみ》の小袋です。
「これですがね。どうです? 覚えがござんしょうね」
「ま! いいえ! あの! あなたがそれをどうして! いいえ! あの! いいえ! あの!」
「しらをきるなッ。神妙にしろい」
ずばりと伝法にしかりつけて、やさしくぎゅっと草香流で、むっちりとしたその腕を押えておくと、手も早いが声も早い! なにごとかとばかり、けしきばみながらどやどやと木刀小|太刀《だち》ひっさげて駆け迫ってきた門人どもに莞爾《かんじ》とした笑《え》みを送ると、叱※[#「口+它」、第3水準1−14−88]《しった》したその一喝《いっかつ》のすばらしさ! すうと胸のすくくらいです。
「騒々しいや! 名を聞いてからにしろい! おいらがむっつりとあだ名の右門だッ。じたばたすりゃ、ききのいい草香流が飛んでいくぞ! 引っ込んでろい!」
せりふもききのいいとどめの針をぴたりと一本打っておくと、手を押えながらいざなっていったところは奥のひと間でした。
「玄竜、玄竜! あるじはおらぬか! 娘の詮議《せんぎ》にやって来たんだ。玄竜夫婦はどこだ!」
「…………」
「ほほう。声のねえのは、どこぞへご年始回りにでもいったとみえるな。るすならるすで、なおいいや。――お嬢さん! むっつりの右門はね、むだ責めむだ口はでえきれえ、意気ときっぷで名を売った江戸まえの男のつもりだ。うじゃうじゃしておりゃ、おたげえ癇《かん》の虫が高ぶるからね。すっぱりと何もかもおいいなせえよ」
柔らかく震えている菊代のふっくらとした肩先を押えるようにしながらそこへすわらせると、責め方がまたほどよく情にからんで、いいようがないのです。
「ぼうと首筋までがなにやら陰にこもって赤らんでおりますね、あかねさす色も恥ずかし恋心というやつだ。目のでき、眼《がん》のつけどころ、慈悲の用意も人とは違うおいらですよ。隠さずおいいなせえな」
「…………」
「え! お嬢さん! 今のさきやさしくにらんで、な、もし、源之丞さまと呼んだあの声になぞがあるはずだ。一をきいて十を判ずる、勘のいいのはむっつり右門の自慢ですよ。いいなといったら、いいなせえな!」
「…………」
「ほほう。江戸娘にも似合わず強情だね。ならば、おいらがずばりと一本肝を冷やしてやらあ。あの橙《だいだい》に打ち込んだ山住流の三角針はなんのまねです!」
「ま! そうでござりましたか! あればっかりはだれも気づくまいと思いましたのに――さすがはあなたさまでござります。それまでもご看破なさいましたら、申します! 申します! かくさずに何もかも申します……」
はらはらとたまりかねたように、とつぜん露のしずくをひざに散らすと、消え入るように打ちあけました。
「お騒がせいたしましてあいすみませぬ。ご慈悲おかけくだされませ。それもこれも、ひと口に申しますれば、みな恥ずかしいおとめ心の――」
「恋からだというんですかい!」
「あい。それも片思い――そうでござります! そうでござります! ほんとに、いうも恥ずかしいあのかたさまへの片思いが、思うても思うても思いの通らぬ源之丞さまへの片思いが、ついさせたわざなのでござります。と申しましただけではご不審でござりましょうが、源之丞さまは父も大の気に入りの一の弟子《でし》、お気だて、お姿、なにから何までのりりしさに、いつとはのう思いそめましたなれど、憎いほどもつれないおかたさまなのでござります。武道修行のうちは、よしや思い思われましてもそのような火いたずらなりませぬと、ふぜいも情けもないきついこと申されまして、つゆみじんわたしの心くんではくださりませぬゆえ、つい思いあまって目黒のさる行者に苦しい胸をうちあけ、恋の遂げられますようななんぞよいくふうはござりませぬかときき尋ねましたところ、それならば七七の橙《だいだい》のおまじないをせいとおっしゃいまして、あのように七草、七ツ刻《どき》、七|駕籠《かご》、七場所、七|橙《だいだい》と七七ずくめの恋慕祈りをお教えくださったのでござります。それもただ祈っただけでは願いがかなわぬ、もめん針でもなんでもよいゆえ、落ち残りの橙《だいだい》捜し出して、人にわからぬよう思い針を打ち込むがよいとおっ
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