や妹も、それと思わしき若い女の名まえは見当たらないのです。
「まかり帰る! ご接待ご苦労でござった」
さっと立ち上がると、あっけにとられている寺僧どもをしり目にかけながら、さっそうとして待たせてあった駕籠にうち乗るや、間をおかずに命じました。
「牛込じゃ。宗山寺へ乗りつけい!」
いわずと知れたその宗山寺こそは、第二の目あてたる小林玄竜の受け寺なのである。
早い! 早い! 河童《かっぱ》坂をひと飛びに乗りきって、目ざした弁天町のその宗山寺へ息づえを止めさせると、
「許せよ」
ずいと通っていって、ことばもおごそかに小坊主へ浴びせかけました。
「住職に申しつけい。八丁堀同心近藤右門、吟味の筋あって寺社奉行さまのお許しこうむり、寺帳改めにまかり越した。そうそうに持参させい」
はっとばかりに平伏しながら小坊主が立ち去るやまもなく、入れ違いに住職が伺候してうやうやしくさし出したその受け帳をしらべてみると、――あるのです! あるのです!
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小林玄竜 四十三歳。左京流|小太刀《こだち》、ならびに山住流含み針指南。
同妻、かね三十八歳。
同娘、菊代、十九歳。
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その名もなまめかしく菊代、十九歳としてあるのです。同時に、莞爾《かんじ》として笑《え》みがのぼると、さわやかな声が放たれました。
「住持! 玄竜の所が見えぬようじゃが、これはなんとしたのじゃ」
「なるほど、ござりませぬな。いかい手落ちをいたしまして、あいすみませぬ。じつは、よくひっこしをいたしますおかたで、近ごろもまたお変わりのようでござりましたゆえ、あとから書き入れようと存じまして、ついそのまま度忘れいたしましたのでござります」
「お上にとってはたいせつな人別帳じゃ。以後じゅうぶん気をつけねばあいならんぞ。移り変わったところはどこじゃ」
「目と鼻の弁天町のかどでござります」
「手数をかけた。――じゃ、あにい!」
がらりと江戸まえの伝法に変わると、シュッシュッと一本|独鈷《どっこ》をしごきながら、はればれとしていったことです。
「眼《がん》に狂いのねえのが自慢よ。相手はとにもかくにも道場だ。十手もいるが、命も七、八ついるかもしれねえぜ。こわかったら、小さくなってついてきな」
ものもいえないほどに意気張りだした伝六をうち従えながら、ゆうぜんとして訪れたのは弁天町かど屋敷のそのひと構えでした。――見ると、なるほど、ものものしい看板があるのです。
「ウフフ、おどしているぜ。左京流小太刀ならびに山住流含み針指南所とふた道かけたこの看板がすさまじいじゃねえかよ。では、ひとつお嬢さまを拝見するかね」
取り次ぎも受けずにずいと上がっていくと、さっそくに目あての菊代なる女の姿を捜し求めながら、奥座敷にでも通るかと思いのほかに、むっつり黙々、ぬうと押し入ったところは、門人どもがけいこさいちゅうの道場大広間でした。
「なんじゃ! なんじゃ!」
「おかしなやつが来よったな!」
「案内も請わずにぬうとはいって、何用じゃ!」
同時に左右八方からけしきばんで門人たちが言い迫ったのを、
「騒ぐな。見物じゃ。諸公のお手並み拝見に参ったのよ」
うち笑《え》みながら静かにいって、しきりに門弟たちの首実検をしていましたが、そのとき計らずも名人の注意を強くひいたものは、わき目もふらず一心不乱に弟|弟子《でし》たちへけいこをつけている師範代らしい一人です。しかも、これが他の門弟たちとは群を抜いて、腕もたしか、わざもみごと、眉目《びもく》もきわだってひいでた若者でした。いや、それと知ったせつなです。
「源之丞《げんのじょう》さま! 源之丞さま! な! もし! 源之丞さま……!」
不意に廊下の向こうから呼びたてた声が、ハッと名人の耳を打ちました。娘です。娘です。それぞまさしく目ざした菊代と思われる、年もちょうど十八、九ごろの意外なほどにも美しい娘なのです。娘は、そこにおそるべき名人がさし控えているのも知らぬげに、ためらい、はじらいつつも顔をのぞかせると、一心不乱にけいこさいちゅうのその師範代を、恨みがましくにらめるようにして、さらに呼び立てました。
「なんというつれないおかたでござりましょうな! さきほどからわたくしが何度も何度も呼んでおりますのに、せめてご返事ぐらいしてくださってもいいではござりませぬか! けいこなぞいつでもできまする。な! もし、源之丞さま!――お聞こえになりませぬか! な! もし、源之丞さま!」
いいつつ、哀々と訴えるようににらんだその目の光!――慧眼《けいがん》並びない名人の目が、思いに悩み、もだえに輝く娘のその目を見のがすはずはないのです。
「ウフフ。おかしなほうへにおってきたな、あの目がなぞのかぎかい。――もしえ!
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