ぶるといいよ。――ああ、せわしいな。いつになったら、あっしゃもっと楽になれるんでしょうね」
 まったく、いつまでたってもせわしい男です。ぶ器用に赤ん坊をあやしあやし道いっぱいに広がるように歩きながら、すいすいと風を切って、日本橋へ急いだ名人のあとを追いかけました。

     2

 行きついてみると、いかさま橋のたもとはわいわいと文字どおり老若男女入り交じって、さすがの日本橋も身動きができないほどにいっぱいの人だかりでした。無理もない。一つ朝に、同じ場所へ三人もの捨て子をするとは、なにごとも日の本一を誇る江戸においても、まさに古今|未曽有《みぞう》前代|未聞《みもん》のできごとだったからです。
「かわいそうにね」
「そうよ。おいらはさっきからもう腹がたってならねえんだ。産むってこたあねえのですよ。産むってこたあね。え? 棟梁《とうりょう》! そうじゃござんせんか。捨てるくらいなら、なにも手数をかけてわざわざと産むってこたあねえでしょう」
「おれに食ってかかったってしょうがねえじゃあねえか。文句があるなら親にいいなよ」
「いいてえのは山々だが、その親がいねえから、よけい腹がたつんですよ。ね、ご隠居! おたげえ人の親だが、いくら貧乏したっても、おいらは子を捨てる気にゃならねえんですよ。え? ご隠居。ご隠居さんはそう思いませんかい」
「さようさよう。しかればじゃ、世の戒めにと思ってな、さきほどから一首よもうと考えておるのじゃが、こんなのはどうかな。朝早く橋のたもとに来てみれば、捨て子がありけり気をつけろ――というのはいかがじゃな」
「あきれたもんだ。油が抜けると、じき年寄りというやつは、歌だの発句《ほっく》だのというからきれえですよ。でも、子どもはまったく罪がねえや。捨てられたとも知らねえで、にこにこしながら、あめをしゃぶっておりますぜ」
 憤慨する者、同情する者、目にたもとをあててもらい泣きする女たち、――それらのささやきかわし、嘆きかわしているさまざまの物見高い群衆を押し分けながら、名人は面をかくすようにして近づくと、何をするにもまずひと調べしてからというように、いつものあの鋭いまなざしで、じろりじろりと残っているふたりの捨て子を見ながめました。――年のころはいずれも二つくらい。ひとりはどうやら女らしく、あとのひとりは伝六がいまだにまごまごして抱いているのと同様、まさしく男でした。しかるに、これが少しおかしいのです。十中十まで捨て子をするには、それが長い昔からのお定まりであるかのごとく、あとあとへの目印と証拠になるべきお守り札に、少なくも着替えの一、二枚は必ず添えてあるのが普通なのに、どうしたことか、いぶかしいその捨て子には、いっこうにそれらしい品が見当たらないのでした。のみならず、子どもそのものにも不思議な相違が見えました。左に寝かされている男の子のほうは、まるまると肥だちもよくて、ずきんから着物にいたるまでひと目に裕福な良家の生まれらしい節々が見えましたが、右に寝かされている女の子のほうは見るからにやせ細って、そのうえに着物も継ぎはぎだらけの洗いざらしなのです。
 ――せつな! 名人の目がきらりと光るや、同時にさえまさった声があいきょう者のところへ飛びました。
「抱いているその子も、いっしょに並べてみい!」
「え……?」
「おまえの抱いている赤ん坊も、そこへもういっぺん寝かせといってるんだよ」
「情なしだな。せっかく拾ったものを、また捨てるんですかい」
「文句をいうな。早くしたらいいじゃねえかよ」
「へいへい。お悪うござんした。並べましたよ。さあ、並べましたからね。お気のすむようになさいませよ。どうせ、あっしはいろいろと文句をいう変な野郎なんだからね。ええ、そうですとも」
「…………」
「ええ、ええ、どうせそうですよ。どうせあっしなんざあ人前でがみがみとしかられるようにできた野郎なんだからね。もっとしかりゃいいんだ。出世まえの男を人前でしかるのがりっぱなことなら、もっとしかりゃいいんですよ。――おやッ。はあてね。少し変だな。こうして並べてみると、三人の様子がおかしいじゃござんせんかい。いま捨てた子も、左の赤ん坊も、男の子はみんなまるまる太っていかにも金満家のぼっちゃまらしいが、それにひきかえまんなかの女の子ばかりは、やけに貧乏ったらしいじゃござんせんか。ね! ちょいと! どうしたんだろうね」
 すねながら見比べているうちに、血のめぐりの大まかなあいきょう者もそのことがいぶかしく思われたとみえて、必死と首をひねりだしました。まことに、これは不審といわざるをえない。まんなかのやせ細った貧しげな赤ん坊から推断すると、世のつねの捨て子のごとく貧ゆえに育てかねて捨てたらしく思われるが、それにしては右と左のまるまる肥え太ったふたりの子
前へ 次へ
全14ページ中3ページ目


小説の先頭へ
文字数選び直し
佐々木 味津三 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ 登録 ご利用方法 ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング