もあっしだって、ひとりごとをいうために生まれてきたんじゃねえんだ。ああでもねえ、こうでもねえと、いろいろやかましくしゃべっているうちにゃ、だんなの眼もはっきりついてくるだろうと思って、せいぜい年季を入れているんですよ。ね、ちょっと。ええ? だんな!」
 うるさくいうのを、名人は柳に風と聞き流しながら、しきりと右の畳御幣を朝日にすかしつつ見ながめていましたが、ふとそのとき、ありありと目に映ったのは、折りたたんだ紙の中にも何か書いてあるらしい墨の跡でした。これは書いてあるのがあたりまえです。畳御幣は中にご立願《りゅうがん》の文句を書いてたたみ込むのが普通ですから、墨の跡の見えるのが当然ですが、しかしその書かれてあった祈願の文句なるものが、すこぶる不審でした。
「母《かあ》よ。みんなひもじくてならねえんだ。はやくかえってきてくんな」
 そう書いてあるのです。それも、くねくねと曲がりくねった金くぎ流のおぼつかない文字で、一読|肺腑《はいふ》をえぐるような悲しい訴えと祈願が、たどたどしげに書いてあるのでした。――せつな! 名人がさわやかに微笑すると、なに思ったか不意にきき尋ねました。
「みなの衆! 隠しだてしてはなりませぬぞ。この子のしゃぶっている棒あめは、どなたが与えたのじゃ」
「…………」
「だれぞかわいそうに思うて恵んだ者があるであろう。とがめるのではない。ちと必要があっておききしたいのじゃ。見れば、しゃぶらしてからまだ間もないようじゃが、どなたがお恵みなすったのじゃ」
「いえ、あの、それはだれも恵んだのではござりませぬ。初めからしゃぶっていたのでござります」
 いっぱいの人だかりを押し分けながら進み出て、てがら顔に答えたのは、このあたりの者らしい町家のご新造でした。
「わたしがいちばん最初にこの捨て子を見つけた当人でござりますゆえよく存じておりますが、初めからまんなかのその子ばかりがしゃぶっておりましてござります」
「しかとさようか」
「あい、うそ偽りではござりませぬ。わたしが見つけたほんのすぐまえにでも与えたものとみえて、まだまるのままのを持ってでござんした」
 聞くや同時です。とつぜん、ずばりと生きのいい右門流があいきょう者のところへ飛びました。
「それがわかりゃ、もうぞうさはあるめえ。はだしではんてんを着ていねえ子どもがふたり、どこかそこらの人込みの中に隠れてい
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