こっそりご祈願かけにほこら回りをしていらっしゃるとこういうんですよ」
「それだッ。なぞは解けたぜ。今夜は最後の令の字人形ののろいの晩だ。伏せ網はあとの一つの三ツ又|稲荷《いなり》と決まったよ。駕籠屋《かごや》ッ。ひと飛びに湯島まで飛ばしてくんな」
 星、星、星。九ツ[#「ツ」は底本では「ッ」]下がりの深夜の道は、降るような星空でした。
「音を出しちゃならねえぞ」
 伝六を伴ってずかずかとはいっていったところは、最初の夜に伏せ網を張って待ちぼけ食わされた、あの三ツ又稲荷の境内奥の、しんちんとぶきみに鬼気迫るほこらのうしろです。
 一刻《いっとき》! 二刻! そして四半刻――。
「足音だッ。聞こえますぜ。だんな!」
 伝六のささやいた声とともに、ほんのり薄明るい星空下の境内の広庭へ、にょきにょきと黒い姿を現わしたのは、はかま、大小、忍び雪駄《せった》の藩士が三人。
「よッ。今夜は多いね」
「黙ってろ」
 しかりつつ様子やいかにと息を殺しながら見守っている名人のその一、二間ばかり先へ、くだんの三人はひたひたと歩みよると、なかのひとりが懐中から取り出したのは、まぎれもなくのろいの祈りのわら人形でした。――せつな! 濃いやみの木立ちの中から、ウシッ、ウシッというかすかな声が聞こえたかと思うやほえ声もあげず、うなり声もたてずに、疾風のごとく飛び出してきたのは、精悍《せいかん》このうえないまっくろな猛犬でした。と、見えるや同時です。人形出してのろい打ちに取りかかっている三人のうちのひとりののど首目ざしつつ、ぱっと虚空に身をおどらしたかと思うやいなや、がぶりとかみつきました。だが、その一せつなでした。
「また出たかッ」
 残ったふたりが叫びざまに抜き払うと同時に、手ができていたのです。よほどの剣道達者、腕に覚えの者たちであったとみえて、ひとりを倒したすぐとあとから、身をひるがえしつつ襲いかかろうとした猛犬をさッと一閃《いっせん》、薙《な》ぎ倒したかと見えるや浴びせ切りに切りすてました。といっしょです。
「ま! クロを仕止めましたな! もうこれまでじゃ、お家にあだなす悪人ばら、村井|信濃《しなの》が娘、田鶴《たず》がお相手いたしまする。お覚悟なされませい!」
 りんと涼しい叫び声もろとも、懐剣片手にふりかざしながらおどり出たのは、夜目にもそれと知られる二九二十《にくはたち》ごろのりりしくも美しい女性でした。
「さあ、出やがったッ。だんな! だんな! 犬使いの下手人が出たんですよ! 何をまごまごしているんですかい。草香流だッ。草香流ですよ!」
「とち狂うなッ。これまで来ても、おめえには善悪がわからねえのかッ。お家にあだなす悪人ばら成敗といまお嬢さんが名のったじゃねえかッ。――田鶴どの! おなごの身にあっぱれでござる! 八丁堀の近藤右門がおすけだちいたしまするぞッ」
 叫びざま、ぱっとおどり出すと、おちついているのです。ぽきりぽきりとおもむろに指鳴りさせながら、すいとふたりののろい侍の白刃下へ歩みよると、胸のすく伝法なあの啖呵《たんか》でした。
「犬でも三日飼われりゃ恩を忘れねえってんだ。お禄《ろく》をいただくご主君をのろうたア、世間のだれが許してもむっつり右門とあだ名のこのおいらの気っぷがかんべんできねえんだ。おひざもとを歩くにゃ、もっとりこうになって歩きなせえよ。そらッ。ぽきりと行くぜッ。これが江戸に名代の草香流だッ。涼むがいいやッ」
 ダッと急所の胸当てを一本。ばたり、ひとりを倒しておくと、まことにどうもいいようもなくよろしい啖呵でした。
「おあとのご仁! 江戸八丁堀にはね、大手、からめ手、錣正流《しころせいりゅう》、草香流、知恵たくさんのわっちみてえなのが掃くほどいるんだ。ついでにお涼みなせえよ」
 ぱっと飛び込みざまに、同じく急所へ一本。
「あっさりのめったな。どうやらかたづいたようです。お嬢さま、おてがらでござりましたな」
「ま! お礼もござりませぬ。ことばも、ことばもござりませぬ。この者たちは……」
 いいかけたのを、
「おっしゃらずに! おっしゃらずに! 人に聞かれちゃご家名にかかわります。おおかた、この連中がよからぬお家横領のたくらみを起こして、お殿さまをそそのかし、まずじゃまになるやつから先に遠ざけようと、忠義無類のあんたのお父御《ててご》さまを閉門のうきめに会わせたんでしょうね」
「はっ。そのとおりでござります。そればかりか、このように毎夜毎夜――」
「いいや、わかっておりますよ。このとおり毎夜毎夜人を替え、もったいないことにもお殿さまのお命を縮めたてまつろうとしているんで、おなごの身も顧みず、ひと知れずあなたおひとりで悪人ばらを根絶やしにしようと、ああして犬をお使いになったんでござんしょうが、それにしてもこのかわいそうな犬はよく慣らしたもんですね」
「お恥ずかしいことでござります。大の男を相手にわたくしひとりでは、とてもたくさんの悪人成敗はおぼつかないと存じまして、父がいつくしみおりましたこの秋田犬を、二十日《はつか》あまりもかかってひそかに慣らし込み、ようやくゆうべまでは首尾よう仕止めましたなれど、今宵《こよい》のこの危ういところ、ご助力くださりまして、田鶴は天にものぼるようなうれしさでいっぱいでござります……それにつけましても、クロを殺したことは……クロを殺しましたことは何より悲しゅうござります」
「お嘆き、ごもっともでござりましょう。そのかわり、このかわいそうなむくろをお殿さまにお目にかけて、それからこのわら人形でござります。これもいっしょにお見せ申したら、罪ないお父御《ててご》の閉門も解かれましょうし、お殿さまおみずから残った悪人ばらをご成敗あそばすでしょうから、お家もこれでめでたしとなりましょうよ。ここに涼んでおりまするふたりのご藩士は、あとから近所のつじ番所の者たちに引かして、こっそりお屋敷へ送り届けさせましょうからな。そなたは一刻も急がねばなりませぬ。はよう、犬と人形《ひとがた》をお持ち帰りになって、しかじかかくかくと申しあげ、クロの忠義をたてておやりなせえまし――伝あにい、早く手配しな。お嬢さまにはお駕籠《かご》を雇ってね。では、ごめんくだせえまし。八丁堀の右門はけっしてお家の秘密を口外するような男じゃござんせんからな。ご安心なさいませよ」
 ――すうと風にほつれた鬢《びん》を吹かして、秋虫をきききき帰っていった名人の姿のほどのよさ! ――。苦労をしたい。まったく江戸の女たちがこのゆかしく男らしい名人と恋に身を焼くほどもひと苦労したくなるのはあたりまえです。
 そうして八丁堀へ帰りついたのは、朝朗らかな白々あけでした。と同時のように、それを待ちうけながら、にこにこして名人を迎えたのは、あのあば敬のだんなです。
「おかげさまで――」
「おてがらでござりましたか」
「どうやら、一味徒党五人ばかりを捕えましたわい。やっぱり、そなたの眼のとおりでござったよ。八丈島から抜けてきたやつらが小判ほしさに、さっきのあの浪人めの入れ知恵で、騒動につけ込み、にせ手口の荒かせぎしたのでござったわい。ときに、そちらのホシはどうでござった」
「それもおかげさまで、しかし他言のできぬてがらでござります。それゆえと申しては失礼でござりまするが、どうぞあなたの捕物《とりもの》はあなたおひとりのおてがらにご上申なされませ。お奉行さまもお喜びでござりましょうよ。てまえのてがらは口外もできぬてがらでござりまするが、いちどきにあなたさまともども、二つの騒動が納まりましたのでござりまするからな。――伝あにいよ、二日分ばかりゆっくり寝るかね」
「ちげえねえ。敬だんな、ごめんなせえよ。お奉行さまからおほめがあったら、クサヤの干物でもおごらなくちゃいけませんぜ。てッへへへ。出りゃがった。ね、ほら、朝日がのっかりとお出ましになったんですよ。なんとまあ朗らかな景色じゃごんせんかね」
 こやつもきょうばかりは、あば敬だんなにたいそうもなくおせじがいいのです。――そこへうれしいたよりがぽっかりと訪れました。
「近藤右門様まいる。田鶴――」としてあるのです。
「はあてね。もうさっきのあのお嬢さまが、胸を焦がしたってわけじゃあるめえね」
「黙ってろ」
 開いてみると、次のごとき一書でした。
「さきほどは三ツ又稲荷にてうれしきお計らい、お礼申しあげまいらせ候《そうろう》。さそくに屋敷へ帰り、おさしずどおり、殿さまに申しあげ候ところ、万々のことめでたく運び候まま、お喜びくだされたくこのご恩は、田鶴一生忘れまじく、またの日、お身親しくお目もじもかないえばと、夢のまにまにそのこと念じまいらせ候。取り急ぎあらあらかしこ――」
「てへへへ。うれしいね。え! ちょいと、夢のまにまに念じまいらせ候とは、陰にこもって思いが見えて、うれしいじゃござせんか。いいや、なになに、お奉行さまからは表だってのご賞美はなくとも、こういうやさしいところが、夜ごと日ごとにぽうっとなって念じてくれりゃ、ね、だんな、いっそありがてえくらいじゃござんせんか。え? いけませんかね」
 だが、名人はにこりともしないで、なんの変哲もないというように、あごをもてあそんだままでした。――いい虫の音です。そのとき、いい秋虫の朝音が、チリチリと庭の茂みからきこえました。



底本:「右門捕物帖(三)」春陽文庫、春陽堂書店
   1982(昭和57)年9月15日新装第1刷発行
入力:tatsuki
校正:小林繁雄
2000年4月17日公開
2005年9月21日修正
青空文庫作成ファイル:
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