んなかのひときわ太い幹のひと目にかからぬうしろ側に、寸分違わぬ真新しいわら人形が、ぶきみにくぎづけとなっているのです。しかも、裏側の文字までがそっくりなのでした。急という不思議な文字を同じように、一つ書いて、その下にやはり巳年の男、二十一歳と、なぞのごとくに書いてあるのです。おもむろにそれを懐中するや、不意も不意なら意外も意外、じつにすさまじい右門流の命令が飛びました。
「十手だッ。十手だッ。伝の字、十手の用意しろッ」
 ひらり駕籠に乗ると、命じた先がまたさらにどうも容易ならぬ右門流でした。
「行く先ゃ忍《しのぶ》ガ岡《おか》の天海寺だ。急いでやりな」
 今の寛永寺なのです、[#「今の寛永寺なのです。」の誤り?]東叡山《とうえいざん》寛永寺というただいまの勅号は、このときより少しくあとの慶安年中に賜わったものですから、当時は開山天海僧正の名をとって、俗に天海寺と呼びならしていた徳川|由緒《ゆいしょ》のその名刹《めいさつ》目ざして、さっと駕籠をあげさせました。

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 むろんのことに肝をつぶしたのは、わが親愛かぎりなき伝あにいです。およそめんくらったとみえて、ごくりごくりとい
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