しいのろい参りをしなくたっていいじゃねえかよ。すぱりと切りゃいいんだ。生かしておくのがじゃまになったら、わら人形なぞを仕立てるまでのことはねえ、一刀両断に相手を切りゃいいんだよ。だのに、わざわざあんなまわりくどい丑の時参りなんかするのは、その相手が切れねえからのことにちげえねえんだ。切れねえ相手とは――、いいかい。のろい参りしたのは禄持ち藩士だよ、その禄持ちの藩士が切りたくても切れねえ相手とは、――おめえにゃ眼《がん》がつかねえかい」
「大つきだ、やつらがおまんまをいただいているお殿さまじゃねえんですかい」
「そうよ。眼の字だ。相手が身分のたけえ、手も出すことのできねえお殿さまだからこそ、陰から祈り殺すよりほかにはなき者にする手段はあるめえとひと幕書いた狂言よ。すなわち、その祈られているおかたが当年二十一歳、巳年の男というわけなんだ。としたら、武鑑を繰って二十一歳のお殿さまを見つけ出せば、どこの藩のなんというおかただか、ネタ割れすると思うがどうだね。いいや、そればかりじゃねえ、藩の名まえがわかりゃ、どうしてまたなんのために犬めがのろい参りの一党を毎晩毎晩食い殺してまわっているか、そのなぞも秘密もわかるはずだよ。いいや、そればかりでもねえ。まさしく、その犬はこの世にも珍しい忠犬だぜ。よくあるやつさ。忠義の犬物語お家騒動というやつよ。悪党がある。その悪党が一味徒党を組んでお家横領を企てて、おん年二十一歳の若殿さまをのろい殺しに祈ってまわる、そいつをかぎつけた忠犬が、かみころして歩いているという寸法さ。したがって、犬のうしろには糸をあやつる黒幕がなくちゃならねえはずだよ。お家だいじ、お国だいじ、忠義の一派というやつよ。だからこそ――、むすびを三つばかり大急ぎにこしらえてくんな」
「え? 犬をつり出すためのえさですかい」
「おいらが召し上がるんだよ、いただきいただき武鑑を繰って、ここと眼がついたら風に乗ってお出ましあそばすんだ。早く握りなよ」
「ちくしょうめ、どうするか覚えてろッ。へへえね、――ちょっとこいつあ大きすぎたかな、かまわねえや、つい気合いがへえりすぎたんだからね、悪く思いますなよ」
さし出したのをいただきながら、禄高、官職、知行所なぞ克明に記録された武鑑を丹念に繰り調べると、ある、ある。まさしく巳年に当たる二十一歳の藩主がひとりあるのです。
「ほほうね。三万石のご主君だよ」
「ちぇッ、三万石とはなんですかい。やけにまたちゃちなお殿さまだね」
「バカをいっちゃいかんよ。お禄高は三万石だが、藤堂近江守《とうどうおうみのかみ》様ご分家の岩槻藤堂《いわつきとうどう》様だ。さあ、忙しいぞ。駕籠だッ。早くしたくをやんな」
出るといっしょに打ち出したのはちょうど四ツ。いっさん走りに向かったのは、牛込|狸坂《たぬきざか》の岩槻藤堂家お上屋敷です。
「これからおめえの役だ。そこのお長屋門をへえりゃお小屋があるだろう。どこのうちでもいいから、うまいこと中間かじいやをひとり抱き込んで、屋敷の様子をとっくり洗ってきなよ」
「がってんだ。こういうことになると、これでおいらのおしゃべりあごもなかなかちょうほうなんだからね。細工はりゅうりゅう、お待ちなせえよ」
命を奉じて忙しいやつが吸われるように消えていったかと見えたが、ほどたたぬまに屋敷の中からおどり出てくると、得意顔に伝えました。
「眼《がん》の字、眼の字。やっぱりね。おかしなことがあるんですよ」
「なんだい。殿さまが座敷牢《ざしきろう》にでもおはいりかい」
「いいや、家老がね、なんの罪もねえのに、もう三月ごし、蟄居《ちっきょ》閉門を食っているというんですよ。しゃべらしたなあの門番のじいやだがね、そいつが涙をぽろりぽろりとやって、こういうんだ。閉門食っているおかたは村井|信濃《しなの》様とかいう名まえの江戸家老だそうながね。あんな忠義いちずのご老職はふたりとねえのに、やにわに蟄居のご処罰に出会ったというんですよ。だからね――」
「犬を探ったか」
「そのこと、そのこと。なにより犬の詮議《せんぎ》がたいせつだと思ったからね、このお屋敷には何匹いるんだといったら、六匹いるというんだ。その六匹のうちでね、いちばんりこうと評判の秋田犬が、今のそのご家老のところにいるというんですよ」
「ホシだッ。その犬の様子は聞かなかったかい」
「聞いたとも、聞いたとも、そこが肝心かなめ、伝六がてがらのたてどころと思ったからね、いっしょにおいらもそら涙を流しながら探りをいれたら――。そのね、なんですよ、そのね――」
「陰にこもって、何がなんだよ」
「いいえね、そのご家老さまのところのべっぴんのお嬢さまがね、その秋田犬とふたりして、毎晩毎晩夜中近くになってから、お父御《ててご》さまの蟄居閉門が一日も早く解かれるようにと、
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