物ですよ。例の一件のほうは、いましがた犬のしわざとようやく眼がつくにはついたが、どうやらこの先ひと知恵絞らなきゃならねえようだからね、あっしゃ正直に申します。おたげえてがらを争ってまごまごしていたら、ご覧のとおり、こういうにせ手口のあいきょう者が飛び出して、ますます騒ぎを大きくするばかりなんだ。しかも、聞きゃ四ツ谷でもふたりやられているというんだからね。このいれずみでもわかるとおり、八丈島流しの凶状持ちが互いにしめし合わせて、騒動につけ込みながら荒かせぎしているにちげえねんだ。だからね、こっちも手分けして詮議《せんぎ》に当たろうじゃござんせんか。この野郎を締めあげてみたら、いま四ツ谷のほうでかせいだ仲間のやつらの居どころもわかることでしょうから、あんたはあんたでひとてがらたてておくんなせえまし。ようござんすかい、くれぐれもいっておきますが、二兎《にと》を追う者は一兎を得ずだ。両方のあなを手がけて、両方のホシを取り逃がしたら、お上の名にもかかわるんだからね。あんたもすっぱりとお気持ちよく手を引いて、この野郎と一味徒党の巻き狩りをやっておくんなせえまし。しかし、お気をつけなせえましよ。こやつのつらだましいは尋常じゃねえからね。おそらく、切り取り強盗のこやつと一味のやつらもそれ相当手ごわい連中ばかりでしょうから、そこのところを抜かりなくじょうずにひと知恵絞ってね、ひと網にお捕《と》りのときもずんと腹をすえておかかりなせえましよ。お使いをくださりゃ、からだに暇のあるかぎり、必ずともにおてつだいもいたしましょうからね。じゃ、急ぎますから失礼いたしますよ」
条理の前には屈するのほかはない。われらが名人の腹を割り、事を分けての忠言に、いかなあばたの敬四郎もこのうえ横車は押せないとみえて、ようしとばかり心よく手を引きながら、にせ手口荒かせぎの浪人者を締めあげにかかったので、名人もまたあとになんの懸念も残さずさっさとお組屋敷へ帰ると、目をぱちくりさせている伝六へ、ずばりと一本まず見舞いました。
「いいか。これからがおいらのあごにものをいわせなくちゃならねえだいじなときなんだ。そばで破れ太鼓を鳴らしたら、主従の縁を切るぞ」
はあてね、というように小さくなりながら、へやのすみへ神妙に引きさがったのを振り向きもせず、名人はひざの前へあのぶきみなわら人形をずらずらと裏返しに並べておくと、いずれの人形のうしろ背にも同じようにしるされてある巳年《みどし》の男、二十一歳というあのなぞの文字をじっとにらめながら、霊験あらたかな名物あごを、思い出したようになでてはさすり、さすってはなでつつ一心不乱に考えだしました。
しかも、それが一刻《ひととき》や二刻ではないのです。寝もやらず、食事もとらず、新しい朝がやって来ても秋日の晴れた昼がやって来ても、そうしてやがてまた日が落ちかかっても、ひとつところにじっと端座したまま、身じろぎもせずにしんしん黙々と考えつづけたままでした。伝六またしかり。しゃべりたくて、鳴りたくて、たたきたくてたまらないのを必死にこらえながら、ちょこなんとへやのすみにちぢまって、小さく置き物のようにすわったままでした。――だが、とっぷり暮れて、宵五ツの鐘が遠くに消えていったせつな!
「いったッ。いったッ。伝公ッ、とうとうあごがものをいったぜ」
「てッ。ありがてえ! ありがてえ! ち、ちくしょうめッ――。は、腹が急にどさりと減りやがった。も、ものもろくにいえねえんです。なんていいましたえ。あごはなんていいましたえ」
「武鑑をしらべろといったよ」
「え……?」
「武鑑をおしらべあそばせと、やさしくいったのよ。わからねえのかい」
「はあてね。いちんち一晩寝もせず考えたにしちゃ、ちっと調べ物がおかしな品だが、いったいなんのことですかい」
「しようがねえな。このわら人形の裏の文字をよくみろよ。巳年の男、二十一歳とどれにも書いてあるんだ。書いてあるからには、この二十一歳の巳年の男が、のろい祈りの相手だよ。ところがだ、人を替え、日を替えてのろい参りに行った連中は、みんなそろってお国侍ふうの藩士ばかりじゃねえかよ。なぞを解くかぎはそこのところだよ。藩士といや、ご主君仕えの侍だ。その侍がああ何人もあやめられているのに、一度たりとも死骸を引き取りに来ねえのがおかしいとにらんで、ちょっくらあごをなでたのよ。そこでだね、いいかい、およそのろい祈りなんてえまねは、昔から尋常な場合にするもんじゃねえんだ。しかるにもかかわらず、お国侍の藩士がああもつながって毎晩毎晩出かけたところが不思議じゃねえかよ。ともかくも、ご本人たちはれっきとした二本差しなんだ。腕に覚えのある侍なんだからな、そのお武家が、人に恨みがあったり、人が憎かったり、ないしはまた殺したかったら、なにもあんなめめ
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