いちゅうだというんですがね。どっちにしてもまごまごしちゃいられねえんだ。お出かけなすったらどうですかい」
「よかろう。雨はどうだ」
「もう宵《よい》のうちから降りやんでいるんですよ」
「じゃ、遠くもねえところだ。眠けざましに、お拾いで参るとしようぜ。龕燈《がんどう》の用意をしてついてきな」
 じゃのめを片手に微行しながらやっていったのは、八丁堀から目と鼻のその問題の本銀《もとかね》町白旗金神境内です。いかさま不意打ちに会ったのが面目ないとみえて、そこの境内に尾を巻きながら、まごまごしていたのは、あば敬の命令によって、そのあたり一帯に伏せ網を張っていたつじ役人どもの五、六名でした。もちろん、まだそのままになっている死骸《しがい》のそばへ近づいていってみると、はかまに大小、白たび足駄《あしだ》の藩士姿に変わりはないが、倒れている位置が少し違うのです。いつものような社殿の前でなくちょうどそこはどろの道の境内の入り口でした。いぶかって懐中に手を入れてみると、ある、ある、出てきたのは背裏に、律と書いた巳《み》年の男、二十一歳のわら人形と、金づちと、三寸くぎです。
「ほほうな。のろいうちにはいろうとしたところをやられたとみえるな。伝六、龕燈《がんどう》をかしな」
 受けとりながら、ちかり、倒れている侍の胸もとを照らし出して見ながめるや同時でした。
「よよッ」
 さえまさったおどろきの声が、名人の口から放たれました。
「あるぞ、あるぞ。妙などろの足跡が腰から胸もとにかけてついているぞ」
 一見してけだものの足跡とおぼしき梅ばち型の小さいどろ跡が点々として死骸の着物の上についているのです。いや、着物の上ばかりではない。龕燈を照らしてその付近を見しらべると、雨上がりのどろの道にもところどころに消えやらぬ同じ四つ足の足跡がはっきり残っているのでした。――烱々《けいけい》とまなこを光らして、腰から胸へ、胸から首筋へ、そのどろの足跡と、あの疑問の槍傷《やりきず》でもない、突き傷でもない、刀傷でもない不思議なえぐり傷とを、見比べ見ながめ、じっと考えていたが、まことにこの慧眼《けいがん》、この断定こそは、われらが捕物名人むっつり右門にのみ許されるすばらしい眼のさえでした。
「犬だッ。この下手人は犬と決まったぞッ」
「え! こいつあたいへんだ。ど、ど、どこに犬だと書いてありますかい!」
「胸もと
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