の顔をやけにまじまじと見つめていやがるんだ。今、もしえといったじゃねえか。声の穴が通ってるんだろ、返事をしろ。どこから来たんだ。な、なんの用があって来やがったんだ」
たたみかけていったのを、不思議な男は一言も答えずにじいっと伝六の顔を長いこと見守っていましたが、とつぜん奇妙なことをずばりといいました。
「だんなは、江戸っ子でござんしょうね」
「なんだと!」
「だんなは江戸っ子かどうかとおききしているんでござんす」
「べらぼうめ。気をつけろ。余人は知らず、江戸っ子の中の江戸っ子のこの伝六様をつかまえて、だんなは江戸っ子でござんしょうかねとはなにごとだ。いま八百八町にかくれのねえ右門のだんなの一の子分といや、ああ、あの江戸っ子かと、名まえをいわなくともわかっているくれえのものなんだ。おれが江戸っ子でなかったら、ど、どう、どうしよってんだい。ええ、おい。ちっちぇえの!」
「あいすみませぬ。ただいま、ぽんぽんと景気よくおっしゃった啖呵《たんか》だけでも江戸っ子に相違ござりますまい。なら一つ――」
「なら一つがどうしたってえいうんだい。江戸っ子なら、べっぴんでも世話するっていうのかい」
「冗、冗談じゃござんせぬ。そんな浮いた話で来たんじゃねえんです。右門のだんなの一の子分の伝六様は江戸っ子だってことをあっしも聞いちゃいたんですが、ほんとうにだんなが江戸っ子だったら、あっしの話を聞いただけでもきっとむかっ腹をおたてになるんだろうと思って、じつあこうしておねげえに参ったんでござんす」
「こいつあおもしれえ。おめえ、がらはこまっけえが、なかなか気のきいたことをぬかすやつだな。なんだか知らねえが、その言いぐさが気に入った。頼みとありゃ、いかにもむかっ腹をたててやろうじゃねえか。事としだいによっちゃ、今からたててもかまわねえぜ」
「いえ、けっこうでござんす。けっこうでござんす。話を申し上げねえうちにぽんぽんとやられちゃ、ちぢみ上がっちまいますから、どうかしまいまでお聞きくだせえまし。じつあ、余のことじゃねえんですが、だんなはいま奥山に若衆|歌舞伎《かぶき》の小屋を掛けている大坂下りの嵐三左衛門《あらしさんざえもん》っていう役者のうわさをご存じですかい」
「べらぼうめ、知らねえでどうするかい。それがどうしたというんだい」
「じゃ、詳しく申し上げる必要もござんすまいが、あいかわらずあの気味のわるい水騒動が、今も毎晩毎晩絶えねえんです。だから――」
「ちょっと待ちねえ、待ちねえ。嵐三左衛門とか八左衛門というやつあ、いってえ何をしょうべえにしている野郎なんでえ」
「へ……?」
「今おめえがいったその奥山の若衆歌舞伎とかに出ている上方役者とかいう野郎は、何をしょうべえにしているんだい」
「役者だから、役者を商売にしているんでござんす」
「決まってらあ。役者はわかっているが、何をしょうべえにしているかといってきいているんだよ」
「こいつあおどろきましたな。じゃ、だんなはあの気味のわるい騒動のうわさも何もご存じないんですね」
「あたりめえだよ。かりにもご番所勤めをしている者が、知らねえといったんじゃ、お上の威光のしめしがつかねえから、大きに知っているような顔をしたまでなんだ。けれども、君子女人を語らず、町方役人どじょうを食せずと申してな、どじょうにかぎらず、町方役人となれば、そのほうたち下々の者へのしめしのためにも、知っておいてわるいことと、知らないほうがかえって役目の誉れになることがあるんだ。だから、おれが奥山くんだりの河原乞食《かわらこじき》のうわさを知らなくたって、何も恥にゃならねえんだろう。違うか。どうじゃ」
「恐れ入ました。いちいちごもっともさまでごぜえます。いえ、なに、ご存じないとなりゃ、なにもあっしだって口おしみするわけじゃねえんだから詳しく申しますがね、じつあ、こうなんですよ。ただいま申しました上方役者の嵐三左衛門っていうのがね、若衆歌舞伎の一座を引きつれて、はるばるとこの江戸へ下り、十日ほどまえから奥山に小屋掛けして、お盆を当て込んでのきわもの興行を始めたんでござんす。ところが、だんな、世の中にゃ、まったく気味のわるいことがあるもんじゃござんせんか。その嵐三左衛門が寝泊まりしている宿屋でね、毎晩水の幽霊が出るんですよ。水の幽霊がね」
「おどすねえ。お盆が近いからといって、人をからかっちゃいけねえよ。なんでえ、なんでえ、その水の幽霊ってえのは、いってえどんなしろものなんでえ。やっぱり、ヒュウドロドロと鳴り物がはいって、目も口も足もねえのっぺらぼうの水坊主でもが出てくるのかい」
「そうじゃねえんです。そんななまやさしい幽霊水じゃねえんですよ。朝起きてみるてえと、その三左衛門の泊まっているへやじゅうが、あっちにぽたり、こっちにぽたりと――、いいえ
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