いはん!」
「へ?」
「嵐三左衛門の紋はどんなやつじゃ」
「このとおり羽織にもございますが、うちの師匠はかたばみでござんす」
「江戸五郎のはどんな紋じゃ」
「江戸屋はんのはたしか――なんだっしゃったろな。ええと……?」
「だきみょうがか!」
「そうでござんす。そうでござんす。たしかにそのだきみょうがでございました」
 聞くや、名人はとつぜんかんからと笑いだすと、吐き出すようにいいました。
「暑いさなかを人騒がせするのにもほどがあらあ、おれが出かけるにもあたるめえ。のう、江戸のあにい、伝六親方、おめえだいぶべっぴんにご執心のようだったから、ひとっ走り駒形河岸へいって、気に入るように締めあげてきなよ」
「え……?」
「えじゃないよ、とんだ食わせ者にもほどがあらあ。幽霊水の下手人は、墨田舎二三春《すみだやふみはる》と事が決まったよ。おそらく、さっき駆け込み訴訟したちっこい野郎もぐるになって、何かひと狂言うったにちげえねえんだから、いっしょにぱんぱんと啖呵《たんか》をきってしょっぴいてきな」
「ちぇッ。だから、いわねえこっちゃねえんだ。たまにゃあごにも甘い物を食べさせておやんなさいよ。墨田舎の二三春が下手人とはなんですかよ。水芸達者の江戸屋江戸五郎に疑いがかかるというならまだ理屈にかなった話だが、三味線《しゃみせん》ひくのと忍術使うのとはわけが違うんだ。どこにあるんです、現の証拠は、どこにあるんです」
「この品さ。よく目をあけてごらんなよ」
「それがなんです。珍しくもねえ銀の平打ちかんざしじゃねえんですか。そんなもの、墨田舎の二三春でなくたって、いくらでもさしている女はありますよ」
「わからねえやつだな。紋だよ、紋だよ。そのどんぐりまなこをよくあけて、このだきみょうがの透かし紋をとっくり見なよ。江戸屋江戸五郎の紋だといっているじゃねえか。おれも二つしか耳はねえが、この江戸で女のかんざしをさしている男があるという話はまだ聞かねえよ。きのどくながら、やっぱりかんざしは女の持ち物とするなら、ほれた男の江戸屋の紋をかんざしにまで刻んでいるあだものは、まず十中八、九、二三春にちげえあるめえとホシをつけたって、しかたのねえことじゃねえかよ。はええところいってきな」
「へへえね。そういう理屈のものですかね」
「何を感心しているんだい。この暑気だ、まごまごしてりゃ腐っちまうじゃねえか。おおかた、二三春のやつめ、ほれた男の江戸五郎が、嵐の三左衛門に人気をさらわれちまったんで、それがくやしさに水まきして歩いているにちげえねえんだ。三味線ひくやつだって、忍びの得手《えて》がねえとはかぎらねえよ。夜忍びするは男と決まったもんじゃねえからな」
「ちげえねえ。当節は江戸で、女の色忍びがはやるっていうからね、べらぼうめ、べっぴんのくせに、ふざけたまねしやがって、どうするか覚えてろ。江戸っ子のつらよごすにもほどがあるじゃねえか。じゃ、なんですかい、兄貴だとかいったあのさっきのこくのねえ野郎も、いっしょにしょっぴいてくるんですかい」
「あたりめえよ。おれゃ八丁堀でひと涼みしているから、あっちへつれてきな」
 がってんとばかり伝六は宙を飛んで、その場に駒形河岸を目ざしました。

     3

 待つこと半刻《はんとき》――。
 気楽な八丁堀のひとり住まいのお組屋敷で、すだれごしに流れはいる涼風をいっぱいにあびながら、例の右手をあごのあたりに散歩させつつ、ごろり横になってうつらうつらとしていると、
「だんな! だんな! いけねえ! いけねえ! もようが変わったんだ。もようが変わったんだ。ホシの様子が変わったんですよ」
 脳天のあたりからがんがんと声を出しながら、目色を変えて駆け帰ってきたのは、二三春をあげにいったあいきょう者です。
「やかましいな。どうしたんだい」
「これがやかましくいわずにおられますかい。べっぴんがね、二三春のやつがね――」
「逐電《ちくでん》したか!」
「したんだ、したんだ。ちっと遠すぎるところへ逃げたんですよ。冥土《めいど》へ飛んじまったんですよ」
「へへえね。罪を恥じて、首でもくくったのかい」
「ところが、おおちがいなんだ。殺されたんですよ。殺されたんですよ。どいつかに匕首《あいくち》でね、ぐさりとやられているんですよ」
「えッ――」
 おもわず名人もぎょッとしながら、がばとはねおきました。あっさりかたがつくかと思われたのに、がぜん事件は急転直下したからです。しかも、殺されているというのだ。下手人とにらんだ二三春がみずから死んだのではなくて、何者にか殺されているというのです。
「したくしろッ」
 さっそうとして、蝋色鞘《ろいろざや》をにぎりとると、飛ばしに飛ばせて早駕籠《はやかご》を乗りつけたところは、いうまでもなく駒形河岸の二三春の住まいでした
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