ところにお力借ろうと飛び込んできたんでござんす。もうほかに何も隠していることはござんせぬ。どうか、おねげえでございますから、だれがいったいほんとうの下手人だか、幽霊水の正体ご詮議くだせえまし。このとおり、ちっちぇえからだを二つに折っての頼みでござんす、頼みでござんす……」
「いかさまな。夏場に外出はあんまりぞっとしねえが、正体のわからねえ幽霊水なんて、存外とおつな詮議かもしれねえや。じゃ、あにい! 伝六親方!」
「…………」
「へへえ。ちっとまた荒れもようだな。何が気に入らねえんだ。おれが横から飛び込んであごの講釈したのが気に入らねえのかい」
「バカにしなさんな。むっつり右門はあごのだんな、伝六だんなはおしゃべりだんなと、近ごろ軽口歌がはやっているくれえのものです。そのあっしが、だんなのお株を奪って、あごに物をいわせるようになりゃ、だんなのしょうべえは干上がっちまうじゃござんせんか。そんなことに腹たてているんじゃねえんだ。あっしの気に入らねえのは、このちっちぇえやつなんですよ。べらぼうめ、そんなべっぴんの妹がいるのに、なぜまた出しおしみして、おめえなんぞが、まごまごとこくのねえつら、さげてきたんだい。二三春とかが自身このおれに頼みに来たら、おれのあごだって油が乗ってくるんだ。油が乗りゃ、おのずと気もへえって眼もつくじゃねえか。これからもあるこったから気をつけろ」
「暑っくるしいやつだな。四の五のいっている暇があったら、はええところ長いのを持ってきな」
「え……?」
「のぼせるな、大小をはよう持参せい」
お組屋敷へ飛ばしておくと、名人は静かに小さい男を顧みてきき尋ねました。
「嵐三左衛門とかいう上方役者は、今どこに泊まっているんだ」
「ゆうべはたしか浜町|河岸《がし》の栗木屋《くりきや》っていう水茶屋に宿をとっていたはずでござんす」
「じゃ、幽霊水はゆうべも出たんだな」
「出たとのうわさを聞いたればこそ、こうしてお詮議のおねげえに参ったんでござんす」
「おまえのうちはどこじゃ」
「駒形河岸《こまがたがし》の妹のところにいるんでござんす」
「じゃ、道のついでだ、栗木屋のほうを洗って眼がついたら、吉左右《きっそう》しらせに寄ってやるから、帰って待っていな」
えいほうと、伝六ともども御用|駕籠《かご》をそろえながら飛ばしていったのは、浜町河岸のその栗木屋です。――さすがのおひざもと大江戸も、真夏の酷暑に物みなすべてが焼けついて、かげろう燃える町中は、行き来の人も跡を断ち、水い、水い、と細く呼ぶ水売りの声のみがわずかに涼味をそそるばかりでした。
「ほほう、いかさまゆうべも水騒動があったとみえて、だいぶ暇人がたかっているな」
ひょいと駕籠の中からからだを泳がしてのぞいてみると、河岸寄りのその栗木屋の前一帯は、ご苦労さまにも暑いさなかを、物見高い見物人が押しかけて、通行もできないほどの黒だかりです。それもまた無理からぬことにちがいない。一|顰《ぴん》一|笑《しょう》、少し大きなくしゃみをしても、とかく人気を呼びたがる役者にからまったできごとなのです。しかも、その役者が毎晩毎晩気味の悪い幽霊水に襲われるというのです。あまつさえ、それが実証あってのことであるかどうかは二の次として、同じ役者どうしの意趣遺恨に根を張ったできごとと吹聴《ふいちょう》されているだけに、わけても江戸娘たちの好奇心をあおったものか、恥ずかしげに面をかくしながら、あちらにこちらにのぞき見している姿が見えました。したがって、またわが伝六のことごとく活気づいたのはいうまでもない。
「どきな、どきな、だんながおいでだよ。おらが自慢のむっつり右門のだんながお出ましなんだ。あけな、あけな、女の子は近寄ってもさしつかえねえが、ろくでもねえ野郎ども雁首《がんくび》を引っこめな」
肩をふりふり通っていったあとから、名人は秀麗かぎりない面に、ほのかな笑《え》みをたたえながら、静かに通っていくと、案内も請わずずかずかとはいっていって、ずばりと宿の者にいいました。
「この巻き羽織見たら八丁堀《はっちょうぼり》衆ってことがわかるはずだ。嵐三左衛門の寝泊まりしていた座敷へ案内せい」
小女に導かれながらどんどんはいっていって、ひょいとその座敷の中を見ると、いかさまそこにある品々は一つ残らず、いまだにかわききらぬ水びたしになっているのです。しかも、へやにはまゆげの跡の青いくにゃくにゃとした若い男が汗みどろになって、せっせと荷造りを急いでいるさいちゅうでした。
「あっ、あの――」
不意の訪れにどぎまぎしながら、言いよどんだのを、いつものあのぎろりと光る鋭いまなこです。じいっと上から下へ見ながめていましたが、静かにさえた名人のことばが飛んでいきました。
「弟子《でし》だな」
「へえい、あいすみま
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