みに水をぶっかけてまわるなんて、そんなけちなまねゃしねえと思うんだ。べつに、なにもあっしゃ江戸屋の親類でも回し者でもねえんですが、あかの他人だっても同じ江戸っ子なら、贅六ふぜいにおひざもとっ子が、ほんとうにやったかどうかわかりもしねえことをかれこれいわれて、いいようにひねられていると聞いちゃ黙っていられねえんです。こうしてわざわざおねげえに来たのも、つまりはそれでござんす。だんなも江戸っ子なら、きっとお腹がたつだろうと思いましてね。たてば、ほかならぬ右門のだんなの一の子分の伝六親方のことだから、ぱんぱんと啖呵《たんか》をおきりなすって、朝めしまえにだれがまことの下手人だか、幽霊水の正体つきとめてくださるだろうと思って、暑いさなかもいとわず、わざわざこうしておねげえに来たんでござんす。ねえ、だんな! 同じおひざもとっ子一統の顔にかかわるんだ。ひとはだぬいでおくんなせえまし! ねえ、伝六だんな! いけませんか、ねえ、伝六親分!」
「…………」
 ぐいぐいと油をそそぎかけられて、一の子分の伝六親分、すっかりいい心持ちそうに黙り込みながら、必死と首をひねりにひねりだしました。まことに無理がない。伝えたところが事実とするなら、だいいち正体のわからぬその幽霊水からしてが、はなはだぶきみ至極なのです。しかも、ぶきみなうえに、事はふたりの役者のうえにからまっているのです。はたして、江戸屋江戸五郎がやったかどうか?――三左衛門が世間に吹聴しているごとく、人気をさらわれた腹いせに、事実江戸屋がかかる水いたずらをやったものなら、事はさしたる問題でないが、実証もつかまず、その現場も押えずに、単なる疑いのみから、不用意にこれを下手人のごとく吹聴しているとするならば、江戸っ子中の江戸っ子をもって任ずる伝六親方が、とうていこれを許せるはずはないのです。ましてや、一の子分の伝六親方のこと、大いに油をそそぎかけたばかりか、だんながご出馬しないことにはといわぬばかりに持ちかけたので、わが愛すべき親方は、ことごとくいいこころ持ちになりながら、おつに気どってすっかり考え込みました。
「まて、まて、せくでない、せくでない、せいては事をしそんじる。とかく、こういうときは、あれだ、あれだ、右門のだんなをまねるわけじゃねえが、あごをなでると奇妙に知恵がわくものなんだ。大船に乗った気でいろ。いまにぱんぱんと眼《がん》をつけてやるからな――」
 名人のいないのをいいことに、しきりと大きく構えながらあごをなでなで首をひねっているさいちゅう。
「ウフフ……」
 不意にそこのそでがきの向こうから聞こえてきたのは、いかにもおかしくてたまらないといったような笑い声でした。

     2

「なんでえ。何がおかしいんだ。顔も見せずに、いきなり笑うとは何がなんでえ。出ろ出ろ。どこのどいつだ」
 いいこころ持ちに納まっていたやさきでしたから、不意を打たれてぎょッとしながらききとがめようとしたのを、
「そう気どるなよ、親方。どうだな、だいぶごぎげんの体だが、ぱんぱんと眼《がん》がついたかな」
 笑いわらいのっそりとそでがきの陰から姿を現わしたのは、だれでもない捕物《とりもの》名人のわがむっつり右門です。しかも、その姿のさわやかさ! ――昼湯にでもいってひと汗流してきたばかりらしく、青ざおとした月代《さかやき》に、ふた筋三筋散りかかるほつれ毛を風になぶらせながら、夏なおりりしくすがすがしい姿をにこやかにぬっと現わしたので、すっかりめんくらったのは伝六親方でした。
「ちえッ、人のわるい。なんですかよ。だんなならだんなとおっしゃりゃいいんだ。隠れておって意地わるくウフフとやるこたアねえでしょ。あっしが気どろうと納まろうと、大きなお世話です。はばかりながら――」
「人並みにおれにだってもあごがあるというのかい。あるにはあっても、どうやら、一山百文のあごのようだが、どうだな、安物でも、なでりゃ眼がつくかね」
「ちぇッ、顔を見せたとなるともうそれだ。口のわるいってたらありゃしねえや。じゃ、なんですかい、何もかもその陰で立ち聞きしたんですかい」
「さよう。あんまりおめえがいい心持ちそうに気どっていたのでな、なにごとかと思って、幽霊水の話も、江戸屋の江戸五郎とかの話もみんな聞いたのよ、気に入らないかね」
「またそれだ。なにもいちいちとそんなに陰にこもった言い方でひねらなくたっていいでしょ。いくら主従の間がらにしたって、人の話を立ち聞きするっていう法はねえんです。これが男どうしの公話だったからいいようなものの、もしもかわいい女の子とふたりで、いっしょに逃げましょう、ああ逃げようぜと道行き話でもしていたのだったら、どうするんですかい」
「ウフフフ、ぬかしたな。べつにどうもしねえのよ。おめえみたいな男とでも道行きす
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