意外、あまつさえ美しくも可憐《かれん》な多根女の心意気に、したたか名人も胸を打たれたらしく、知らぬまの涙が知らぬまに秀麗たぐいなきその両ほおを伝わりました。泣きぬれながら、しかし名人は静かに多根女にきき尋ねました。
「では、そなた、お嬢さまとお兄人との恋が、憎うて妨げようとしたのではござりませぬな」
「それはもう、わたくしとてもおなごのはしくれ――、なんで恋が憎うてなりましょう。いっそ、わたくしにもそのような恋がと――、いえ、いえ、恥ずかしゅうござります。いえ、そうではござりませぬ。ただもうお嬢さまがいとしいばっかりに、身分のふつり合いは不幸不縁のもとと、涙を忍んで兄との恋を忘れていただこうと思うただけのことでござります……」
いよいよいでていよいよ美し! 名人はそのいじらしさ、可憐《かれん》さにしとどほおをぬらしながら、ことばを改めていいました。
「ご後室さま、お聞きのとおりでござりまするが、いかがお計らいあそばされます」
「計らいもくふうもおじゃりませぬ。わたくしまでも多根のかわゆらしい心根におもわずもらい泣きいたしました。ほんとうに、古島の婿どのが、しんそこ春菜がかわゆければ、雛一つぐらい失ったとて、あのように口ぎたなくはののしりませぬはず。いかほどたいせつな家の宝でありましょうと、人の子よりも雛のほうがたいせつじゃといわぬばかりのおことば聞いては、向こうがわびてまいりましょうと、こちらがもうまっぴらでおじゃります。それに、春菜がそれほどまでに敬之丞を好いているとあらば――いえいえ、そのようなことはもういわぬが花、恋に身分の上下隔てはおじゃりませぬものな。のう、春菜、そうでおじゃろう。こうならば、もうわしがそなたたちの味方じゃ。だれがなんと申しましょうと、必ずともに敬之丞どのと添いとげさせてしんぜまするぞ」
「いや、おみごと! おみごと! おさばきあっぱれでござります。そうなりますれば、もうただ一つ気になるは、お隠しなすった雛のことでござりますが、春菜さま、どこへおしまいでござります」
「ここにござります」
「ほうこれはまた?」
「なにも不審はござりませぬ。お屋敷裏の高円寺へそっと預けておきましたなれど、こうならばもうしょせんただでは済むまいと、先ほどこっそりまた持ちかえり、古島様のほうへきっぱりご返却いたしましたうえで、しばらくお多根ともども三人して、どこぞへ身を潜めるよりしかたがあるまいと存じましたゆえ、多根の身のまわりの品から先にまずここまで運び出して、その相談をしていたところなのでござります」
「それならばもう何も申しあぐることはござりますまい。この雛はたった今、すぐにご返却なさいませな。心の去ったおしるしに。さすれば古島家のほうでも察しましょうよ。――いや、これでもうてまえどもの役目は終わりました。恋のおふたりさん。それから、いじらしいお多根さん。おしあわせでお暮らしあそばしませよ。さ! 伝あにい! 何をまごまごしているんだ。じゃまだよ! じゃまだよ! 長居はじゃまっけじゃねえか」
しかるに、その伝六が表へ出ると、
「ね……!」
「ね……!」
「どう思ってもたまらねえね」
しきりにひとりでうなずきながら、しきりとひねりつづけていたものでしたから、名人の明るい声がとびました。
「何を感心しているのかい」
「いいえね、見ましたかい」
「何をよ」
「べっぴんたちの顔ですよ。内藤小町の春菜さんもくやしいほどべっぴんでしたが、お多根っ子も気がもめるほどあでやかでしたぜ。そのうえにまた、敬之丞っていうご浪人が、きりりっとこう苦み走っていてね、だんなの次くらいなべっぴん男なんですぜ」
「つまらねえことばかりを感心してらあ。だから――」
「いいえ、だからはこっちでいうことなんだ。べっぴんのなかにもああいう掘り出しものがいるんだからね、親のかたきみてえに、目の毒だの、如夜叉《にょやしゃ》だのと悪口いうもんじゃねえんですよ」
「そうよな。たまには顔も心もそろったべっぴんがいるのかな」
「ちぇッ、それほどものがわかっていたら、なんでだんなもはええところ五、六人見つけねえんですかよ。あっしが気がきかねえようで、江戸のみなさまにも会わする顔がねえじゃござんせんか。了見入れ替えて、お捜しなさいましよ!」
声の流れていくあとへ、夜桜ふぶきが無心にはらはらと散って流れて舞いました。
底本:「右門捕物帖(三)」春陽文庫、春陽堂書店
1982(昭和57)年9月15日新装第1刷発行
入力:tatsuki
校正:鈴木伸吾
2001年2月7日公開
2005年9月20日修正
青空文庫作成ファイル:
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