うでおじゃりました。だめでおじゃりましたか」
「いえ、どうやらめぼしがつきましてござりまするが、そのかわり」
「なんでおじゃります」
「おひざもとからとんだ悲しい科人《とがにん》を出さねばなりませんぞ」
「だれでおじゃりましょう。科人とやらは、だれでおじゃりましょう」
「お多根どのでござります」
「えッ――。でも、あの子が、あの子にかぎってそのような」
「ごもっともでござります。美しい子なら美しいだけに、そのような悪事はいたすまいとお思いでござりましょうが、疑うべき証拠があがってみれば、やむをえませぬ。擬物の男雛をあつらえてこしらえさせたことまでわかりましてござりますゆえ、念のため、お多根どののおへやを拝見させていただきましょうよ」
 しかるに、その居室へいってみると、これがはなはだよろしくない。一点の非も打ちどころがないと折り紙ついた当人ならば、万事が整然と行き届いていなければならないはずなのに、器具調度があちらこちらに乱れ散っているばかりか、たんすの引き出しが開いたままになっていたものでしたから、ぴかりと名人の目が光りました。
「お多根どのは、あなたさまがだいぶおほめのようでござりましたが、このふしだらはどうしたのでござります」
「いえ、これはほんの先ほど兄の敬之丞《けいのじょう》が参って、なにやらお多根に預けた品があるとか申し、捜して持ち帰ったようでおじゃりますゆえ、そのためこのように散らかしたのでおじゃりましょうよ」
「なに! お多根どのに兄がござりますとな! 兄はどのような男でござります」
「これもけっしてけっして疑うべき男ではおじゃりませぬ。今は禄《ろく》に離れまして、この近くに浪人住まいをいたしておりますが、家内の者同様に、ときおり屋敷へも参り、よく気心もわかった善人でおじゃりますゆえ、あれにかぎってはご詮索《せんさく》ご無用におじゃります」
 しかし、事実がこれを許さないのです。妹に預けておいた品というなら、兄自身のものでなければなるまいと思われるのに、持ち出していった品々は、妹多根の髪道具らしいもの、化粧用の品々、着物もたしかに二、三枚あいている引き出しの中から抜きとっていった形跡があったので、名人の声がさえました。
「とんだ善人のおにいさまさ。ねえ、大将!」
「フェ……?」
「べっぴんびいきのおまえさんは、さぞ耳が痛いことでござんしょうが、とかく美人と申すしろものが、外面如菩薩《げめんにょぼさつ》、内心如夜叉《ないしんにょやしゃ》というあのまがいものさ。まず上等なところでお多根|菩薩《ぼさつ》のやきもちというところかね。そろそろ春菜姫のおめでたが近づいたんで、やはり女は水ものよ、日ごろは忠義たいせつと仕えた主人であっても、目の前でうらやましがらせを聞かされちゃ、お菩薩さまとて番茶の出花だからな、ついふらふらと、やきもちねたみじるこに身をこんがりこがして、何か小細工をやったか、でなくばたいそうもなく善人の兄貴とふたりしての欲得仕事に預かり雛を売り飛ばし、代わりにまがい雛をまにあわせたというようなところが、まず話の落ちさ。とにらむのが順序だが、おまえさん気に入らないのかい?」
「知りませんよ。あたしゃお多根っ子の兄貴でも亭主でもねえんだからね、だんながそれに相違ねえとおっしゃるんなら、まだ先ゃなげえんだ。姫君も見つけ出さなきゃならねえし、ひょっとするてえと、きょうだいふたりゃ風をくらってずらかったかもしれねえんだから、急いで追っかけましょうよ」
「せくな! ここまで眼《がん》がつきゃ、もうひと息だ。ご後室さま、敬之丞とか申した兄の浪宅はどこでござります」
「いえ、ようわかりました。信用しすぎましたのが災いのもとやも知れませぬゆえ、どこここと申さずに、てまえがご案内つかまつりましょう」
 先へたって夜桜ふぶきの道をくぐりながら、導いていったところは、いかさま遠くない大木戸内の近くです。
「あれでおじゃります」
 いわれた一軒は路地奥のもちろんわび住まい――。しかるに、聞こえるのだ。その表まで歩みよると、こは不思議! お多根の身回り道具を持ち出していった以上は、十中八、九兄妹ふたりして出奔したか逐電したか、いずれにしても今ごろまで浪宅にいる気づかいはあるまいと思われたのに、家の中から、よよと泣き合う忍び音が漏れ聞こえるのです。しかも、声は三人! 女と、男と、そして女と、まさしく三人なのです。
「おや! ――。ちょっと変だな」
「ね!」
「おまえにも聞こえるかい?」
「ちぇッ、聞こえるからこそ、不思議に思って首をかしげているじゃござんせんか」
「とするてえと、またこれは眼《がん》ちげえかな」
 とにかくとばかりはいっていくと、さらに不思議! 泣いていたのは、お多根に兄の敬之丞に、そのうえ、あの春菜なのです。
「ま! 
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