てまたそいつをご存じですかい」
「また始めやがった。あの新しい位牌《いはい》の裏に、十二月十二日没と書いてあるじゃねえか。それもおそらく変死だろう」
「そうなんだ、そうなんだ。夫婦そろって首をくくったというんですよ。なんでも、ご先祖代代日本橋のほうでね、手広くかつおぶし問屋をやっていたんだそうなが、なんのたたりか、代代キ印の絶えねえ脳病もちの血統があるというんですよ。だから、それをたぶん気に病みでもしたとみえて、去年の十二月店をたたんでここへひっこすそうそう、いやじゃありませんか、ちょうどこの辺ですよ、今だんなのいらっしゃるあたりだというんですがね、跡取りの長男夫婦が急にふらふらと変な気になって、その鴨居《かもい》からぶらりとやったというんですよ」
「へへえ、この鴨居かい。おおかたそんなことだろうと思ったよ。夫婦ふたりが同じ日に仏となるなんて、そうざらにあるこっちゃねえからな、するてえと、さっきの気違いは、ぶらりとやった長男の兄弟なのかい」
「そうです、そうです。三人めの、つまり一番末のむすこだというんですがね。だから、あのかわいそうな子どもたちにゃ、気は狂っていても正銘の叔父貴《おじき》だというんですよ」
「というと、死んだ兄貴とあの気違いのまんなかにまだひとりあるはずだが、もしやそいつが、さきほどちらりと姿を見せたあの落としまゆの女じゃねえか」
「ホシ! ホシ! そのとおりですよ。どこかなんでも下町のほうへね、お嫁にいっている娘なんだそうですよ」
「よし、わかった。それで兄弟の人別調べははっきりしたが、もうひとりだいじな人があるだろう。年寄りのはずだが、聞かなかったか」
「気味がわるいな。あるんですよ、あるんですよ、おばあさんだそうながね、どうしてまたそれをご存じですかい」
「いちいちとうるせえな。あそこに水晶の数珠があるじゃねえか。年寄りででもなくちゃ、数珠いじりはしねえよ。するてえと――な、大将!」
「え……?」
「おめえ、変なことが一つあるが、気がついているかい」
「はてな……」
「しようがねえな。いねえじゃねえか! いるべきはずの、そのおばあさんがいねえじゃねえか! な! おい! 伝六ッ。どうだ! どうだ! 不思議に思わねえか!」
「ちげえねえ! さあ、事がややこしくなってきたぞ! だいじな孫が三人も殺されているのに姿を見せねえたア、ばばあめが下手人かもしれねえな。女の年寄りだっても、いんちきばくちのいかさま師がいねえとはかぎらねえんだからね。べらぼうめ! じゃ、もちろん――」
 駕籠だろうと駆けだしたのを、
「あわてるな、あわてるな」
 制しながら、名人は、疑問の赤、白、黄に染めた三つの玉と、金粉仕掛けのさいころを懐中すると、どこへ行くだろうと思われたのに、ずうと一本道にめざしたのは数寄屋《すきや》橋のお番所です。

     4

「へえ、下手人はここにいるんですかい」
「やかましいよ。敬公がどんな様子をしているか、ちょっとのぞいておいでな」
「え……?」
「よくよく目をぱちくりさせるやつだな。敬公の様子によっちゃ、けんかにならねえように陣立てしなくちゃならねえんだ。こっそりいって、空もようを探ってきなよ」
 駆け込んでいった様子でしたが、しかしまもなく帰ってきての報告は、悲しや一歩手おくれだった。
「いけねえ! いけねえ! ひと足先にもう――」
「あげてきたか」
「いいえ、あの変な落としまゆの女を締めあげてね、下手人のどろも吐かし、ありかも突き止めて、今のさっきしょっぴきに出かけたというんですよ」
「ほほう、そうかい」
 驚くかと思いのほかに、ゆうぜんたるものでした。
「いくら敬公だっても、そのくらいなてがらはたてるだろうよ。なにしろ、責め道具のネタを三つも持ってけえったんだからな。それで、女はどうしたのかい」
「かわいそうに! 大将のことだから、さんざん水責め火責めの拷問をやったんで、虫の息になりながら、お白州にぶっ倒れているんですがね。ところが、伝六あにいとんだ眼《がん》ちげえをやったんですよ。ちょっと変なことがあるんですが、だんなはいってえだれが下手人だと思ってるんですかい」
「決まってらあ。おめえは行くえ知れずのばあさんだろうとかなんとかさっき啖呵《たんか》をきったようだが、あの女の亭主野郎、すなわちこの懐中しているさいころの持ち主、詳しくいえばいんちきばくちうちの玉ころがし屋に縁のある野郎だよ」
「かなわねえな。どうしてまたそうぴしぴしとホシが的中するんだろうね」
「またひねりだしやがった。とっくりと考えてみねえな。女のなかにもいかさまばくちの不了見者はたまにいるかもしれねえが、かわいい孫を三人もひねり殺すような鬼畜生は、そうたんとねえよ。あの落としまゆの女が飛び出したときからくせえなとにらんでいたところへ、さいころは見つかる、玉ころがしの玉は出てくる、そのうえに下町へ嫁にいっているといったようだが、敬公のしょっぴきに行ったところもその下町じゃねえのかい」
「そうですよ、そうなんですよ。それも、奥山のたった一軒きりきゃねえその玉ころがし屋が、下手人の野郎のうちだといってね、おおいばりに出かけていったというんですよ」
「そうだろう。女はたぶん亭主と同罪じゃあるめえが、それまでは聞かなかったかい」
「いいえ、聞きました、聞きました。泣いて亭主をいさめたのに、悪党めどうしてもきかずに飛び出したんで、せめても甥《おい》たちの菩提《ぼだい》を弔おうと、ああしてさっき子どものむくろにすがりついたというんですよ。だから、もう死ぬ死ぬといってね、ほら、あのとおり――」
「なるほど、泣いているらしいな。それならひとつ――」
 疑問なのは老婆なのだ。いや、その行くえと、なにゆえにいなくなっているか、問題はそれです。もちろん、その場になぞを解くべく行くえ探索の行動を開始するだろうと思われたのに、何思ったか名人は反対でした。
「では、ひと寝入りするかな」
 あごをなでなでお番所の控え室へはいろうとしたとき――、意気揚々と引き揚げてきたのは、あば敬とその一党です。しかも、眼《がん》のとおり、一見していんちきばくちのいかさま師と思われる遊び人ふうの男をおなわにしていたものでしたから、あば敬の鼻の高いこと、高いこと。
「ご無礼したな、せいぜいあごでもなでるといいよ」
 いどみがましく通っていったのを、名人は柳に風と受け流しながら、なにごとか確信でもがあるらしく、にやにややったままでした。と同時のように、ぴしりぴしりとお白州から、あば敬がさっそくお手のものの拷問を始めたらしく、打ち打擲《ちょうちゃく》の音が聞こえるのです。
 聞いて、まごまごとあわてだしたのは伝六でした。
「泣きたくなるな。今のせりふがくやしいじゃねえですか! ご無礼されねえように、なんとかしてくだせえよ! ね! だんな、なんとか力んでくださいましよ!」
「うるせえな、てがらはこれからだよ。静かにしろ」
 その間にもいんちきばくち師を責めにかけつづけているとみえて、ぴしりぴしりとあば敬一流の責め音が聞こえたものでしたから、気が気でなかったとみえて、伝六太鼓があちらにまごまごこちらにまごまごと行ったり来たり、すわったり立ったり、しきりにお白州と控え席を行き来していましたが、まもなく血相変えてもどってくると、どもりどもり告げました。
「いけねえ! いけねえ! 下手人のいかさま野郎、いま舌をかみ切ろうとしたんでね、大騒ぎしているんですよ」
「なに! そうか! じゃ、ちっとも白状しねえのか」
「いいえね、あの三人の子どもを殺したのはいかにもおれだと、それだけは白状したというんですがね、それがまた、むごいまねをしたもんじゃねえですか。おちついているところをみるてえと、もちろんだんなはもう眼《がん》がついていらっしゃるでしょうが、あの玉ころがしの玉と、さいころをくれてやって日ごろから子どもたちを手なずけてからね、ゆうべすごろくで遊んでいるところへ、ぬっと押しかけ、グウともスウともいわさずに細ひもでくびり殺しておいてから、てめえの罪を隠すためにあくどい細工をしやあがって、さらに胸倉を出刃包丁で突き刺したうえに、あの気違いをいいことさいわいにしながら、役者に使ったっていうんですよ。その使い方も罪なまねしやがったもんだが、かわいそうな気違いさんがね、もちをくれろ、もちをくれろとせきついたんで、くれてやるかわりに、血のついた出刃包丁を持って、死骸《しがい》のそばに張り番しているかといったら、脳のわりい者は孔子様の口調をまねるんじゃねえが、ほんとうに憎めねえじゃござんせんか、うれしがって、ゆうべからさっきまで、なまもちをかじりかじり張り番していたっていうんですよ。けれどもね、どうしてまたそんなむごい子ども殺しをやったか、肝心かなめのそいつをちっとも白状しねえので、敬大将カンカンになりながら責めにかけているうちに、死んでもいわねえんだと、すごい顔をしながら、ぷつりと舌をかみ切ったというんですよ」
「ふん――」
 聞き終わるや同時に、ゆうぜんと立ちながら、シュッシュッと博多《はかた》のいきな茶献上をしごいていましたが、まことに胸のすくひとりごとでした。
「知恵のねえ男ほど、この世に手数のかかるやつはねえよ。あば敬さんが手を染めたあな(事件)だからな、恥をかかしちゃなるめえと、今までこうしててがらにするのを遠慮していたが、いつまでたっても火責め水責めを改めねえから、おきのどくだが、またこちらにてがらをいただかなくちゃならねえんだ。では、ひとつ生きのいいその知恵を小出しに出かけますかね」
「行くはいいが、どけへ出かけるんです」
「知れたこった。行くえしれずのおばあさんを堀り出しに行くんだよ。その玉さえ拾ってくりゃ、白状しねえで舌をかみ切ったなぞの玉手箱も、ひとりでにばらりと解けらあ。さあ、駕籠《かご》だッ」
 二丁並べて松の内正月二日の初荷の町を、われらも初出とばかり、ひたひたといっさん走り。しかも、目ざしたところは浅草の奥山のたった一軒しかない玉ころがし屋です。

     5

 降りると、なに思ったか用意の雪ずきんをすっぽりやって、堅くおしゃべり屋の鳴り太鼓を封じました。
「いいかい、ここがいかさまばくちのあの野郎がやっているうちのはずだ。ちっとこれから奇妙なことをするから、いつものように鳴っちゃだめだぜ。ごろごろと遠鳴りさせても、今度は本気でおこるよ」
 念を押しておくと、ずいとはいっていって、店番をしていた者に、ふいっといいました。
「五両かかっても、十両かかってもいいんだから、ゆっくり遊ばせてもらいますぜ」
 鷹揚《おうよう》にいいながら、赤、白、黄なぞたくさん並んでいた玉の中からむぞうさにその一つを手にすると、さっそくごろごろところがしはじめました。もちろんご存じのことと思いますが、この玉ころがしなる遊びは、坂になった台があって、そのところどころに無数の障害物たるくぎを打ち、坂の下に江戸、京都、大坂《おおさか》、長崎《ながさき》、名古屋なぞと地名を書いた穴を設け、上からころがした玉が、くぎの障害物に当たっては当たり、当たっては当たって、あちらへころがり、こちらへ突き当たりながら、下に設けた穴のうちの江戸へ首尾よくぽとりはいらば、江戸は日本一、したがって景品もまた一等で、おひざもとのひざのもとというのをもじった座ぶとんが五枚、大坂ならば浪華《なにわ》をもじって波の花の塩が五合、長崎ならば長く先までつづくというところからひもが一本、名古屋ならば金のしゃちにまねて、おもちゃの瀬戸焼きのしゃちが二個といったような景品のつく遊びなのです。もちろん、なかなかその穴に玉がはいらないので、一個ころがすのが一文というような零細な金高でもけっこう商売になる遊びですが、名人がまたひどくおもしろそうに、ころがしてはころがし、しきりに繰り返していたものでしたから、
「ちぇッ」
 あやうく鳴らそうとしたのを、目顔でしかりながら繰り返すこと四半刻《しはんとき》。――しかし、その目は絶えず鋭く
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