「なんじゃ! なんじゃ!」
せき込んで問いつめた伊豆守のおことばを、
「少々お待ちくだされませ」
制しながら向き返ると、静かに尋ねました。
「あれなるお娘ごは、なんという名にござります」
「小梅というのじゃが、あれになんぞ不審があるか」
「いえ、そうではござりませぬ。ちと尋ねたいことがござりますので――、のう! 小梅どの! 小梅どの!」
さし招くと、念を押しました。
「そなた、これなる二つの死骸《しがい》は見つけたときのままで、少しも動かしはいたしますまいな」
「あい。ととさまと、そちらのおかたと、お口のところへは手を触れましたが、そのままどこにもさわりませぬ」
「そういたしますると――」
「なんじゃ!」
「お驚きあそばしますな。ちょっと見は、これなる両名が、刃傷に及んだ結果、共に手傷を負うて落命いたしたように思われまするが、断じて相討ち遂げたものではござりませぬぞ」
「なに! 相討ちでないとな! なぜじゃ! なぜじゃ!」
「第一の証拠はふたりの肩傷でござりますゆえ、ようごろうじませ。相討ち遂げてこのように向き合うたまま倒れているならば、互いに前傷こそあるべきが当然。しかるに、両名の傷は申し合わせていずれも背をうしろから袈裟掛《けさが》けにやられているではござりませぬか」
「ふうんのう――しかし」
「いえ、断じて眼の狂いござりませぬ。第二の証拠は両名の太刀でござりますゆえ、比べてようごろうじなさりませ。両人が互いに相手を仕止めて落命したならば、二本とも太刀には血のあぶらが浮いているべきはずなのに、辰の得物にはそれが見えても、専介どのが所持の一刀にはなんの曇りも見えないではござりませぬか」
名人右門の明知によって、がせん事件はここにいくつかの不審がわき上がりました。死体は行儀よく顔と顔とをつき合わするようにして並びながら倒れているのに、受けているふたりの傷は向こう傷でなく、うしろからやられたうしろ袈裟とは、いかにも奇怪至極です。しかも、辰の刀には人を切った血の曇りがあるのに、相手の専介の一刀にそれがないとは、いよいよもって不審千万!――
「しからば――」
「なんでござります」
「専介を討ったは辰に相違ないが、辰を切ったはほかに下手人があると申すか」
「いえ、おめがね違いでござります」
当然の帰結として、伊豆守の下した推断を名人は軽く押えると、ずばりと言い放ちました。
「専介どのを討ったのは辰でござりませぬぞ」
「なにッ。辰でもないとな! たれじゃ! たれじゃ! しからば、ふたりとも他の下手人の手にかかったと申すか」
「はい。右門の見るところをもってすれば、まさしくそれに相違ござりませぬ。その証拠は、両名が握りしめている太刀《たち》の握り方でござりますゆえ、ようごろうじなさりませ。ほら! かくのとおり専介どのは握りしめたままで切られたと見えて、いかほど引いても抜けませぬ、辰のはこのとおり――」
引くと同時に、その手から所持の太刀がするすると抜けました。抜けたとすれば、いうまでもない――辰の手にしていたいっさいは、あとから握らせた証拠です。切っておいて、殺しておいて、むりやりあとから握らせたに相違ないのです。しかも、ふたりの受けている致命傷が、同型のうしろ袈裟とすれば、同一人が専介、辰の両人を切って捨てておいて、おのが犯行をくらますために、切った太刀を辰の手に握らせたうえ、さも両名が相討ち遂げて倒れたごとく見せかけて、いずれへか逐電したに相違ないのです。その推断に誤りなくんば、当然のごとくつづいて起きる疑問は次の一事でした。
なぜまた弓を取りに来た辰がこんな災禍に会ったか! どうして専介といっしょに、かような巻き添えくって、むざんな横死を遂げるにいたったか?――それです。なぞと不審は、その一事です。
だが、名人の明知は、真に快刀乱麻を断つがごときすばらしさでした。
「なわがない! 辰がはだ身離さず所持いたしている投げなわが、腰にも懐中にも見当たらない! 察するに、弓を取りにここまで参り、何者か専介どのにいどみかかっている敵を見つけ、すけだちに飛び出したところをやられたに相違ないゆえ、伝六ッ、雪をかいてこのあたりを捜してみろ!」
伝六もとより必死! けんめいに、辰の周囲の雪をかき分けたその下から、果然出てきたのは、日ごろ手なれのその投げなわの端です。たぐり寄せつつ雪の下から引き抜くと、先がない! 推断どおり、まんなかごろからプツリと一刀両断に断ち切られているのです。通りかかって専介と敵とが争っている現場でも見かけ、一度はきっとみごとに相手をからめ押えたのに、敵はよほど腕がさえてでもいたとみえて、プツリと投げなわを断ち切り、しかもその一刀で辰をも切りすて、かく相討ちのごとき形をよそおっておいてから、すばやく逐電したに相違ないのです。
「ふふうむ! さすがそちじゃな……」
名宰相の口からは、いまさらのように感嘆の声がほころびました。
しかし、名人にとってはこれからが明知の奮いどころです。
しからば、何者が専介と辰のかたきであるか?
なんのために[#「なんのために」は底本では「なんために」]、専介がいどまれるにいたったか?
いどんだ敵は、切った敵は、どこの者か?
鋭くその目を光らして、専介の死骸《しがい》を見調べていましたが、いつものあのからめ手攻めです。からめ手吟味のあの明知です。伊豆守を驚かして、ずばりとホシをさしました。
「よッ。これなる古橋専介どのは、絵のおたしなみがござりまするな!」
「そのとおりじゃ! そのとおりじゃ! 雅号を孔堂と申して、わが家中では名を売ったものじゃが、どうしてまたそれがわかった!」
「指に染まっている絵の具がその証拠にござりまするが、では、絵をもってご仕官のおかたにござりましたか」
「いや、わしが目をかけて使うていた隠密《おんみつ》のひとりじゃ」
「なんでござりまする! 隠密でござりますとな! 近ごろでどこぞにご内命をうけて、内偵に参られたことござりましたか」
「大ありじゃ。何をかくそう! 生駒壱岐守《いこまいきのかみ》の行状探らせたは、たれでもない、この古橋専介じゃわ!」
「えッ――」
名人右門はおもわず驚きの声をあげました。讃岐《さぬき》高松の城主生駒壱岐守に、不羈《ふき》不行跡の数々があったために、その所領十七万石を没収されて、出羽《でわ》の由利矢島に配流された事実は、つい最近のことだったからです。
「ふうん、そうでござりましたか! いったい、専介どのは何を探ってまいったのでござります」
「壱岐守が、ご公儀の許しもうけずに、せんだって中高松の居城に手入れをいたせし由、密告せし者があったゆえ、専介めが絵心あるをさいわい、隠密に放って城中の絵図面とらせたところ、ご禁制の防備やぐらを三カ所にも造営せし旨判明したゆえ、生駒家は名だたるご名門じゃが、涙をふるって処罰したのじゃわ」
「それでござりまするな!」
「なに! では、古橋専介をねらいに参ったのは、生駒の浪人どもででもあったと申すか!」
「まず十中八、九、それでござりましょう。ご公儀や御前さまに刃向こうことはなりませぬゆえ、せめても恨みのはしにと、筋違いの古橋どのをねらったに相違ござりますまい。いずれにしても、かような太刀《たち》を辰の手に残しておいたはなによりさいわい、これを手がかりにいたさば、おっつけ下手人のめぼしもつきましょうゆえ、とくと見調べまするでござりましょう」
取りあげて錵《にえ》、におい、こしらえのぐあいを、巨細《こさい》に見改めていましたが、その目が鍔元《つばもと》へ注がれると同時に、ふふん――という軽い微笑が名人の口にほころびました。
「わかったか!」
「たぶん――」
「なんじゃ!」
「この鍔《つば》をごろうじなさりませ。まさしく千柿《せんがき》名人の作にござりまするぞ」
「なに! 千柿の鍔とな」
伊豆守の驚かれたのも当然――当時千柿名人の千柿の鍔といえば、知る人ぞ知る、知らぬ者は聞いておどろく得がたい鍔だったからです。住まいは目と鼻の先浅草|聖天町《しょうでんちょう》、名人かたぎも名人かたぎでしたが、読んで字のごとく、鍔の裏と表に柿の金象眼を実際の数で千個刻みつけるために、早く仕上がって一年半、少し長引けば三カ年、したがってそのこしらえた今までの千柿鍔も、六十歳近いこのときまでに、せいぜい十個か十五個くらいのものでした。作品の数が少なければ、値段は高い! 値段が高価ならば、少禄《しょうろく》の者ではまず手中しがたい! しがたいとするなら、いうまでもなく高禄の者が、それもよほどの数寄者《すきしゃ》好事家《こうずか》が、買うか、鍛《う》たせたかに相違ないのです。相違ないとするなら――。
「伝六ッ」
「できました!」
いつのまにか敏捷《びんしょう》に借り出してきたとみえて、棒はなをそろえながら待っていたのは、お陸尺《ろくしゃく》つきのお屋敷|駕籠《かご》が二丁――。
「暫時拝借させていただきとうござります!」
「おう! いかほどなりとも!――吉報、楽しみに待ちうけているぞ!」
宰相伊豆守のおことばをうしろに残して、手がかりとなるべきそれなる千柿鍔の一刀をかかえ持ちながら、ごめんとばかり駕籠の人となると、主従ふたりは、今なお降りしきる雪を冒して、千柿老人の住まいなる浅草へ! 聖天町へ!
3
行きついたとき、初更のちょうど五ツ――
「ここだッ。ここだッ。ここが千柿老人の住まいでこぜえます! 今度ばかりゃ、いかなどじの伝六でもへまをするこっちゃねえから、あっしに洗わしておくんなせえまし! 石にかじりついても辰のかたきを討って成仏させてやらなくちゃ、兄分がいがねえんだから、伝六に男をたてさせておくんなせえまし!」
手がかりの一刀を名人の手から奪い取って、矢玉のようにおどりこむと、そこの細工場でこつこつと刻んでいた千柿老人に鍔元《つばもと》をさしつけながら、かたきが目の前にいでもするかのように、どもりどもりやにわといいました。
「こ、こ、これに覚えはねえか!」
「…………?」
「急ぐんだッ、パチクリしていねえで、はええところいってくれッ。この鍔は、どこのどいつに頼まれて彫ったか覚えはねえか」
「控えさっしゃい」
「控えろとは何がなんだッ。右門のだんなと、伝六親方がお越しなすったんだッ。とくと性根をすえて返事しろッ」
「どなたであろうと、まずあいさつをさっしゃい!」
「ちげえねえ! ちげえねえ! おいらふたりの名めえを聞いても恐れ入らねえところは、さすがに名人かたぎだな! わるかった! わるかった! じゃ、改めて、こんばんはだ。この鍔に覚えはねえか!」
「なくてどういたしましょう! まさしく、こいつはてまえが、大小そろえ六年かかって刻みました第八作めの品でございますよ」
「そうか! ありがてえ! 注文先はどこのどいつだ!」
「生駒《いこま》さまのご家来の――」
「なにッ。ああ、たまらねえな! だんな! だんな! 眼だッ、眼だッ、眼のとおりだッ――あっしゃ、あっしゃもう、うれしくって声が、ものがいえねえんです! 代わって、代わって洗っておくんなせえまし……! うんにゃ、まて! まて! やっぱりあっしが洗いましょう! 辰が喜ぶにちげえねえから、あっしが洗いましょう!――とっさん! 生駒のご家来の名はなんていう野郎なんだッ」
「権藤四郎五郎左衛門《ごんどうしろうごろうざえもん》様といわっしゃる長い名まえのおかたでございますよ」
「身分もたけえ野郎か!」
「野郎なぞとおっしゃっちゃあいすまぬほどのおかたでごぜえます。禄高《ろくだか》はたしか五百石取り、三品流《みしなりゅう》の達人とかききましたよ」
「つらに覚えはねえか!」
「さよう……?」
「覚えはねえか! なんぞ人相書きで目にたつようなところ、覚えちゃいねえか!」
「ござります。四十くらいの中肉|中背《ちゅうぜい》で、ほかに目だつところはございませぬが、たしかに左手の小指が一本なかったはずでござります」
「ありがてえ! ありがてえ!
前へ
次へ
全5ページ中3ページ目
小説の先頭へ
文字数選び直し
佐々木 味津三 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ
登録
ご利用方法
ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング