に、名人も伝六も、伊豆守の面前であるのを忘れたほどに、声をそろえておもわずあッと叫びました。また、なぜにこれが驚愕《きょうがく》しないでいられましょう! その菰の一つの下にはあの辰が、帰りのおそかったあの善光寺辰が、肩から背にかけて一面あけに染まりながら、見るもむざんなむくろとなっていたからです。いや、死骸《しがい》は辰のがひとつではない! 向き合った隣の菰の下には、いま一つ同じように肩先を袈裟《けさ》がけにやられたむくろがありました。しかも、その手は、しっかりと太刀《たち》を握りしめているのです。それをもってわれらが名人のなにものにも替えがたい配下を仕止めたらしく、必死と一刀を握りしめていたのです。辰もまたそれをもって相手を討ち止めたものか、その手には一刀が握られていたものでしたから、事のいかんはさておいて、伝六の口から、場所がらも人前もかまっていられない驚きと憤りとを一つにしたことばが、爆発するようにまず放たれました。
「これはいってえ、こ、これはいってえ、ど、どうしたんだッ。辰ッ。た、辰公! もうおめえは、も、もうおめえは息がねえのか! 息はねえのかッ……いってくれッ。な、なんとかいってくれッ。辰ッ……辰公……! 息はねえのかッ。もう息はねえのかッ……」
 控えろ! お人前をわきまえろ――! 伊豆守のお面前であるのをはばかって、いつもならそういってたしなめるのが普通でしたが、今度ばかりは名人右門も、伝六に愁嘆させたままでした。また、そうあるべきが当然です。配下の辰が難に会っていたとは、わけても配下思いの名人に、同じ嘆きの募ったのも当然なのです。――それに勢いを得たもののごとく、泣き上戸、おこり上戸の伝六は、おいおいと、手放しにやりながらつづけました。
「息はねえ! もう息はねえ! なんてまあ情けねえことになったでしょうね! なんとかしておくんなさい……。はええところ、なんとかしておくんなせえまし……ね! だんな! ね! だんな! 後生です……後生です!」
 その涙に誘われて、名人の秀麗な面にも、滝のようにしずくが流れ伝わりました。しかし、――泣いている場合ではない! いたずらに嘆き悲しんでいる場合ではないのです。急いで両ほおをぬぐうと、ことばを改めて伊豆守にきき尋ねました。
「かわいそうに、どうしてまた、このようなことになりましたのでござります」
「それがいっこうにわからぬゆえ、なにはともかくと、急いでそのほうを呼び招いたのじゃ。じつは、そちたちも知ってのとおり、この屋敷から小石川のほうへ弓を届けるよう命じたのに、これなる辰がいつまで待ってもお矢場に持参せぬゆえ、ようやくご用を済まし、不審に思いながら、ほんのいましがた帰ってまいったところ、このような仕儀になっていたのじゃ」
「お耳に達しましたのは、いつのことにござります」
「帰邸いたすとすぐさまじゃ」
「たれがお知らせ申し上げたのでござります」
「あの者じゃ――ほら、聞こえるであろう。あれが知らせた当人じゃ」
 いわれたそのことばとともに、そのとき、ぴたりと障子をしめきった暗い家の中から、急に情が迫りでもしたかのごとく、よよと忍び音に泣き忍ぶ人の声が漏れました。
「女でござりまするな。何者にござりまする」
「こちらに倒れている古橋|専介《せんすけ》のひとり娘じゃ。あれなる者が最初にこのさまを見つけ出し、わしにも知らせた本人ゆえ、遠慮のう尋ねてみい」
 最初に発見した者がその娘とするなら、いうまでもなくまず尋問してみるべきが事の第一です。名人はちゅうちょなく座敷へ押し上がりました。
 それとともに、暗かったへやの中には、けはいを知った娘の手によって、あわただしく短檠《たんけい》がともされ、じいじいと陰に悲しく明滅するあかりのもとに、その姿のすべてがパッと浮かび上がりました。――年のころはまだ咲ききらぬつぼみの十五、六歳。少禄《しょうろく》の者らしいが、容姿ふぜいは目ざむるばかり。しかも、それが泣きぬれているだけに、ひとしおの可憐《かれん》をまして、そのういういしさ、あどけなさ、一指を触るればこぼれ散りはしないかと思われるほどの美しさでした。
 むろんのことに、押し入った以上、すぐにも尋問が始められるだろうと思われたのに、しかし、いつものあの十八番です。見るような、見ないような目で、じろじろと小娘をながめていましたが、やがてずばり右門流でした。
「そなた、きょう寺参りに行きましたな!」
「えッ――」
 というように、ぎょッとなったのを押えてずばり――。
「身にお線香がしみついているは、たしかにその証拠じゃ――。のう、このとおり、どのようなことでも見通すことのできるわしゆえ、隠してはなりませぬぞ。見れば、家人とてはそなたおひとりのようじゃが、墓参りに行ったはお母ごか」
「あい
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