右門捕物帖
千柿の鍔
佐々木味津三

−−
【テキスト中に現れる記号について】

《》:ルビ
(例)お鷹狩《たかが》り

|:ルビの付く文字列の始まりを特定する記号
(例)大器量人|松平伊豆守《まつだいらいずみのかみ》

[#]:入力者注 主に外字の説明や、傍点の位置の指定
(例)[#ここから1字下げ]
−−

     1

 その第二十番てがらです。
 事の端を発しましたのは、ずっと間をおいて十一月下旬。奇態なもので、寒くなると決まってこがらしが吹く。寒いときに吹く風なんだから、こがらしが吹いたとてなんの不思議もないようなものなんだが、江戸のこがらしとなると奇妙に冷たくて、これがまた名物です。こやつが軒下をカラカラと吹き通るようになると、奇態なものできっと火事がある。寒くて火をよけい使うようになるんだから、火事が起きたとてべつに不思議はないようなもんなんだが、江戸の火事となると奇妙によく燃えて、これがまた名物です。それからいま一つこの季節に名物なのは将軍家のお鷹狩《たかが》り――たいそうもなくけっこうな身分なんだから、将軍家がお鷹狩りをやろうと、どじょうすくいをあそばそうと、べつに名物というほどのこともなさそうなんだが、人間は暑いときよりも寒いときのほうがいくらか殺伐になるとみえて、必ず十一月になると、このお鷹野の仰せいだしがあるから奇妙です。
 そこで、このときも二十六日に、尾久《おぐ》から千住《せんじゅ》を越えて隅田村《すみだむら》に、というご沙汰《さた》が下りました。お供を仰せつかったのがまず紀、尾、水のご三家。それからおなじみの大器量人|松平伊豆守《まつだいらいずのかみ》、つづいて勢州松平《せいしゅうまつだいら》、隠岐《おき》松平、出雲《いずも》松平などの十八ご連枝、それに井伊《いい》本多、酒井榊原《さかいさかきばら》の徳川四天王をはじめ二十三家の譜代大名。これらの容易ならぬ大名に、それぞれ各家の侍臣が付き添い、警固の者お徒侍《かちざむらい》の一統がお供するので、人数も人数なんだが、諸事万端の入費をくるめた当日のお物入りなるものがまたおろそかな高ではないので。ご本丸をお出ましになるのが明けの七ツ。すなわち今の四時です。お駕籠《かご》でずっと千駄木村《せんだぎむら》なる土井|大炊守《おおいのかみ》のお下屋敷へおなりになり、ここで狩り着にお召し替えとなって、吉祥寺裏のお鷹《たか》べやからお鷹をお連れになり、上尾久《かみおぐ》、下尾久、と川に沿って、ほどよく浩然《こうぜん》の気を養いあそばしつつ、お昼食は三河島《みかわしま》村先の石川|日向守《ひゅうがのかみ》のお下屋敷、そこから川を越えて隅田村に渡り、大川筋を寺島村から水戸家のお下屋敷まで下って、狩り納めのご酒宴があってから、めでたく千代田城へご帰館というのがその道順でした。
 おなりの順序が決まると、第一に忙しいのは、むろんのことに沿道沿道の警固に当たる面々ですが、それにつづいて多忙をきわめるのは、吉祥寺裏のお鷹べやで、お鷹のご用を承っている鷹匠《たかしょう》たちです。当時将軍家のおなぐさみ用として用意してあったお鷹べやは、東狩りのときのご用のこの吉祥寺裏と、西狩りの場合のご用の大久保とつごう二カ所あったもので、この二カ所に飼育されている鷹が六十六羽。これを預かっているお鷹匠が二十人。この二十人が、一年に一度あるか、二度あるかわかりもしないお鷹狩りをあてにしながら、いっこうおもしろくもおかしくもない鷹を相手に暮らして、けっこうりっぱなお禄《ろく》をいただいているんですから、世の中にお鷹匠くらいおよそばかばかしくて、めでたい職業というものはまたとないが、しかし事ひとたびお鷹野の仰せいだしがあったとなると、ばかばかしがったり、めでたがってはいられない。預かり鳥のできふできによって、いただく禄にも響き、家の系図にもかかわるんですから、水垢離《みずごり》とってはだし参りをするほどの騒ぎです。
 かくて、当日吉祥寺裏のお鷹べやから伴っていった隼《はやぶさ》は、姫垣《ひめがき》、蓬莱《ほうらい》、玉津島《たまつしま》など名代の名鳥がつごう十二羽。
「これよ、伊豆」
「はっ」
「あちらの畑で、百姓どもが珍奇な槍《やり》を振りまわしている様子じゃが、あれはなんじゃ」
「恐れ入ってござります。あれなる品は槍でござりませぬ。鍬《くわ》と申す農具にござります」
「なに、あれが鍬と申すか。ほほうのう。予はよい学問いたしたぞ」
 できるものなら二日《ふつか》ばかり将軍さまになってみたい。――たいそうもなく斜めないごきげんで鷹野をつづけていくうちに、下尾久へはいろうとするあたりから、年まえの江戸には珍しい粉雪が、ちらちらと舞いだしました。なんともふつごう千万な話です。せっかくの鷹狩りに雪が舞いだ
次へ
全11ページ中1ページ目


小説の先頭へ
文字数選び直し
佐々木 味津三 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ 登録 ご利用方法 ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング