づけている仙市のほうに目を移し、移してはまた刀のほうに目をやって、四半刻《しはんとき》、半刻と、ついには一刻近くもじっと考え込んでしまったものでしたから、鳴り屋の千鳴り太鼓が、陰にこもって初めは小さく、やがてだんだんと大きく鳴りだしました。
「ちぇッ」
「…………」
「じれってえな」
「…………」
「何がわからねえんだろうね」
「…………」
「まちげえならまちげえ、犯人《ほし》なら犯人と、ふにおちねえことがあるなら、バンバンと締めあげてみりゃらちがあくじゃござんせんか!」
「…………」
「達磨《だるま》さんのにらめっこじゃあるめえし、震えているめくらあんまを相手に、気のきかねえだんまりを始めて 何がおもしれえんですかい! まごまごしているうちに日が暮れちまったじゃござんせんか!」
いかさまつるべ落としの秋の日と、形容どおり、いつかもうたそがれかけてきたというのに、なおしきりと考え込んでいましたが、しかし、そのうちに名人の手がそろそろとあごの下にまわされだしました。まわれば、いうまでもなく眼のつきだした証拠です。知った千鳴り太鼓が、またどうして鳴らずにいられよう!
「よよッ。そろそろと潮が満ちかけたようですね。たまらねえな。ここが千両なんだッ。どうですかね。大漁ですかね。まだ駕籠《かご》にゃ早いですかね」
催促したところへ、
「伝六ッ」
果然、さえたことばが飛んできたものでしたから、
「さあ、忙しいぞ! 何丁ですかね! 一丁ですかね! 三丁ですかね!」
すっかり心得て、しりはしょりになったのを、しかし名人はクスリと笑いながらとつぜんいいました。
「なげえつきあいだったが、おめえとはもうこれっきり仲たがいしたくなったよ」
「何がなんです! やにわと変ないやがらせをおっしゃって、あっしがどうしたっていうんですかよ!」
「すわりな、すわりな。ふくれなくとも黙ってすわって聞いてりゃわかるんだ、おめえがあれこれとろくでもない献立をならべて迷わしたんで、狂わなくともいい眼がちょっと狂ったんだよ。ところで、仙市さんだがね」
じっくりとことばを向けると、ずばりと予想外なホシをさしました。
「おまえさん目あきだね」
「…………」
「だいじょうぶ、だいしょうぶ。目があいていたとて、疑いが濃くなるわけじゃねえんだから、震えていずとこっちをお向きなせえな。あんたの疑いはすっかり晴れましたよ」
「えッ。じゃ、あの、――そうでございますか! 向きます! 向きます! 疑いが晴れたとなりゃ向きますが、いかにもこのとおり目あきのあんまでごぜえます」
「やっぱりな。ぱっちりとりっぱなやつが二つくっついていらあ。それならそうと早く顔を見せりゃいいのに、頭をかかえて震えてばかりいなすったんで、すっかりあぶら汗をかかされましたよ。でもまあ、目あきであって大助かりだが、ときにおまえさんは妙なお道楽をお持ちだね」
「へえい、あいすみませぬ。あんまふぜいがとお笑いでごぜえましょうが、こればっかりゃ病みついたが因果とみえて、女房一匹飼う金までもおしみながら、刀を集めているのでごぜえます」
「そうだろう、おめえさんが顔をかくしていたからわるいんだ。どうもこいつが変だと思ってね、すっかり頭を絞ったんだが、目の不自由な者が刀を集めてみてもしようがあるまいし、といってこれだけ飾ってあるところを見りゃ、たしかに刀道楽にちげえねえんだがと、いろいろ考えた末に、ようようといましがた目あきだなとにらみがついたんですよ。そこでだが、――きさま何か隠しているなッ」
「えッ」
「といっておどしてみたところで始まりますまいから、今まで手間をとらせたその償いに、ゆうべの一条をすっぱりと白状したらどうですかい」
「…………」
「黙っていりゃ、せっかく晴れかかった疑いがまた曇りますぜ」
「でも……」
「心配ご無用。見りゃ刀のどの小柄《こづか》にも血の曇りはねえし、察するところ、今まで震えていたなあ、ゆうべそのぱっちりとあいている目で、何か変なことを見たんで、かかり合いになっちゃと、心配してのことにちげえねえと思うが、的ははずれましたかね」
「恐れ入りました。そのとおりでごぜえます。じつあ――」
「見なすったか!」
「見もし、出会いもしたんで、疑いがかかりましてはと、今まで生きた心持ちもなかったんでございますが、ゆうべのかれこれ九ツ近いころでした。井上のおだんなのところから、お葉さんがお使いにみえましてね――」
「葉というは女中か!」
「へえい、ぽちゃぽちゃっとしたべっぴんなんで、年は若いし、ちっと気にかかっているんですが、そのお葉さんがお使いに来て、奥さまからのおことづてだが、おだんなが夜勤にお出かけなすって、たいくつしているから話しに来いと、こういう口上でございましたんで、夜中近いのに変だなと存じましたが、何はともかくお呼びならばと思いまして、かって知った庭先のほうからお伺いしましたところ、妙なんですよ。いま話しに来いとおことづてくださったそのお内儀のへやがまっくらがりで、おまけにいくらごあいさつを申し上げてもご返事がございませんのでな。さては持病の癪《しゃく》がにわかに起きて、気を失っていらっしゃるなと思いましたんで、手さぐりに上がりながらなにげなくお首のところへ手をやるとぺったり――」
「血がついたんで、無我夢中に逃げ帰ったといわっしゃるか!」
「へえい、そうなんです。だからもう、つえも何もほったらかして――」
「待った! 待った! ちょっと待ったり! でも、少しその話ゃ変だな。りっぱな目あきのあんたが、用もないつえを持っていったとはおかしくないかい」
「ごもっともです。いかにもご不審はごもっともですが、わたしたちあんまのつえは、和尚《おしょう》さまの衣のようなものなんですよ。むろんのことにご存じでござりましょうが、小僧は青竹、座頭は丸樫《まるがし》、勾当《こうとう》は片撞木《かたしゅもく》、※[#「てへん+僉」、第3水準1−84−94]校《けんぎょう》は両撞木《りょうしゅもく》とつえで位が違いますんで、目あきだろうとあんまなら位看板に格式格式のつえを持つんですよ。だから、あっしのつえに不思議はねえが、いまだになんとも気味わるいことには、逃げ帰るそのときに、あのお屋敷のへいのところでちらりと変なものを見たんですがね」
「何じゃ」
「猿公《えてこう》ですよ」
「なにッ。猿《えて》とな!」
「へえい、たしかに猿公なんです。でも、いくら猿公がくらやみの中から飛び出してきたって、けだものが人間をそうやすやすと刺し殺せるわけのものではなし、だからどうしたってきっと行き合わしたあっしに疑いがかかるだろうと存じましてね。つまらぬ疑いのもとになっちゃたいへんだから、ほうり出したつえも拾って帰って、どこかへ隠そうかとも思いましたが、なまじ隠して見つけ出されりゃ、いっそう疑いが濃くなるんだし、それに家のほうにもこのとおり疑いのもとになる刀も何本かあるんだから、こいつもどうしよう、隠そうか、売り飛ばそうかと迷いましたが、細工をしてまた足がつきゃ、なおさら疑いがかかるんだしと、すっかり思いあぐねて、ただもう震えていたんでごぜえます」
「いかにものう。変なことに出会ったというのはそれっきりか」
「いえ、もう一つあとで気がついたことなんですが、どう考えてもふにおちないことがあるんですがね」
「なんじゃ」
「お葉さんがお使いに来たとき、井上のおだんなは夜勤に出かけてるすだとたしかにおっしゃったのに――」
「いたというのか!」
「ではないかと思うことがあるんですよ。というのは、ポンポンと妙な鼓の音が聞こえたんですがね」
「なにッ、鼓とな! ふふうむ! ちとおかしなことになってきたようだが、鼓の音と井上の金八と、なんぞかかり合いでもあると思うのか!」
「あるからこそ、どうもふにおちねえと思うんですがね。ああいう鼓は、なんというんだか、謡の鼓でもなし、三河《みかわ》万歳の鼓でもなし、どうもさる回しのたたくやつじゃないかと思うんですが、それをまたどうしたことなんだか、井上のおだんながひどくお堪能《たんのう》でね、今までもときおりちょくちょくと夜ふけになんぞおたたきになったんですよ。ところが、その同じ鼓の音が、あとで思い出して気がついたんですが、お使いをうけてあちらへ伺おうとするとき、たしかに井上のだんなのお屋敷で聞こえたんですよ。だから、どうもいない人がいるわけではなし、といって、あんな鼓をほかに鳴らす人はこの近所になしと、いろいろ考えてみて、あんまり気味がわるいのによけい震えていたんでごぜえます」
「ふふうんのう! まて! まて! どうやらこいつあ、いろはから考え直さなくちゃならねえぞ! するてえと――?」
あごをなでなで考えていましたが、やがてこのたびこそはほんとうにさえざえとした十八番の「伝六ッ」が、あいきょう者のとこに飛んでいきました。
「大将! 兄貴! おい、伝六ッ」
「フェ……?」
「とぼけた返事をすんな! おめえのことだから、しりぬけのへまをやっていても大澄ましに澄ましていることだろうが、たぶんまだ松平のお殿さまのほうは洗っちゃいめえな」
「たぶんとはなんですかい! いいかげん人をバカにしてもらいますまいよ」
「じゃ、もう洗ってきたか」
「いいえ、はばかりさま! 別段と洗うこともなし、けっこうまた洗う必要もねえんだから、洗いませんよ!」
「しようのねえ善人だなッ。だから、かわいさ余って仲たげえもしたくなるじゃねえかッ。不審は井上の金八が証拠に見せたあの祝儀袋だ。たしかに、ゆうべ野郎も御徒歩供《おかちとも》になってお屋敷に詰めていたかどうか、はええところ飛んでいって松平のお屋敷のほうを洗ってこいッ」
「…………」
「手数のかかる兄いだな。首をひねって何をぼんやりしているんだッ。いろはから出直して、もう一度とっくりと考え直してみなよ! 井上の金八|館《やかた》は、まるで化け物屋敷みてえじゃねえか! 貧乏長屋かと思や中は存外と金満家なんだ。だのに、あれほどの騒ぎがあって見舞い客がひとりもいねえんだ。しかも、あの夫婦をみろいッ。きのどくなほどぶ細工な年増《としま》女のご亭主にしちゃ、金八|奴《やっこ》、気味の悪いほど若すぎるじゃねえかッ。おまけに、おかしな鼓の隠し芸があるっていうんで、証拠呼ばわりをして突きつけたあの祝儀袋に、きっと何かふらちな細工がしてあるにちげえねえから、とっとと洗いにいってきな」
「なるほどね。いろはだけじゃわからねえが、ちりぬるをわかまで考えてみりゃ、いかさまちっとくせえや! うなぎを食いはぐれてあぶら切れがしていやがったんで、野郎にたぶらかされたんだ。よくもだましゃがったな! どうするか覚えてろッ。地獄でまた会いますぜ!」
「まてッ、まてッ」
「えッ?」
「きょうは特別だ。急がなくちゃならんから、早駕籠で行ってきな」
「ちぇッ。たまらねえことになりやがったな! ざまあみろい! 井上の金八! おうい! 駕籠屋! 駕籠屋! 早駕籠はどこかにいねえか!」
やっこだこのようにそでをふくらまして飛び出したあいきょう者を見送りながら、
「公卿《くげ》公! 公卿公!」
のどかそうに庭先で、しきりに投げなわのけいこをしていた善光寺辰を呼び招くと、にこやかに笑《え》みつつ、右門流の命令を与えました。
「子どもは日が暮れてからひとりで遊ぶもんじゃねえ。おめえは今から大急ぎで両国までいってきな!」
「かなわねえな。造りは細かくても、気は大まかですよ。両国へ行くはいいが、何を洗ってくるんです※[#疑問符感嘆符、1−8−77]
「知れたこっちゃねえか! さっき見てきたさるしばいを洗ってくるんだ。ゆうべの九ツ前後に、きっとあの一座のさるの中で異状のあったやつがいるはずだから、抜からずにかぎ出してきな!」
飛ばしておくと、
「仙市さん――」
静かなること林のごとし――いや、むしろそれは風流といいたいくらいのものでした。
「あんたはなかなか凝っていらっしゃる。さっき流しもとで拝見したぐあいではたいへん
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