うもなくだいじな品なんだからね。そのおつもりで、よっく見ておくんなせえよ! な! ほら! こういう書きつけなんだがね」
 とつぜん妙なことをいいながら、うやうやしく懐中から取り出してみせたのは、次のように書かれた一封でした。
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「酒肴料《しゅこうりょう》   松平伊豆守家《まつだいらいずのかみけ》」
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「いきなり変なものを出したが、これはなんのお守り札かい」
「ところが、このお守り札が、なんともかとも、うれしくなるほどいわくがあるんだから、たまらねえじゃござんせんか。先ほどからたびたび申しましたように、とかく芸は細かくなくちゃいけねえと思ってね、じつあ今までとらの子のようにかわいがって懐中していたんだが、ときにだんなは、ゆうべ、上さまが、お将軍さまが、松平のお殿さまのお下屋敷へもみじ見物にお成りあそばさったことをご存じでしょうね」
「知っていたらどうしたというんだ」
「そうつっけんどんにおっしゃいますなよ。話は順を追っていかねえとわからねえんだからね。そこで、こちらの井上のだんななんだが、このとおり縦から見ても横から見てもおりっぱなご家人さまだ。しかも、大御番組のご家人さまなんだから、だんなを前に説法するようだが、お将軍さまがお鷹野《たかの》や、ゆうべのように外出あそばさるときに、お徒歩《かち》でお守り申し上げる役目と相場が決まってるんでがしょう。だから――」
「わかっているよ」
「いいえ、きょうばかりゃ別なんだから、伝六にも博学なところを見せさせてやっておくんなせえよ。ところで、こちらの井上のだんなも、ゆうべそのお徒歩供《おかちとも》となって、松平のお殿さまのお下屋敷へ参ったところ、将軍さまがたいそうもなくもみじ見物のお催しに御感あそばさって、けさの明けがた近くに御帰城なさったってこういうんですよ。だから、自然とこちらの井上のだんなもお帰りがおそくなって、ようようにご用を済まし、あけ六ツ近くにここへ帰ってみるてえと――」
「るす中に変事があったというのか」
「そ、そうなんです! そうなんです! このとおり、お内儀がふとんの中に寝たまま、ぐさりとやられていなすったので、何はともかくと、取るものもとりあえずご番所へ変事を訴えにおいでなすったとこういうわけなんですがね。しかし、物はいちおう疑ってみなくちゃなるめえと思いましたんで、差し出がましいことでしたが、ゆうべたしかにお徒歩供をなすったという生きた証拠はござんせんかと、さっき下検分に来たとき念を押してみたら、井上のだんなが、これこそその何よりな証拠だとおっしゃって、あっしにくだすったのが、つまり、この酒肴料うんぬんの包み紙なんですよ。中身はどのくれえおありなすったか、はしたねえことだから、そいつまでは聞きませんが、いずれにしてもこの包み紙は、ゆうべのお徒歩供の特別お手当としてくださった金一封のぬけがらにちげえねえんだから、とするてえと、井上のだんながおるすなさったことに疑う節もねえんだし、ほかにまたこれといって怪しいところもねえんだから、こいつ変だと――」
「ふふうむ。なるほどのう」
「ちぇッ、変なところで感心しっこなしにしましょうぜ。話やこれからが聞きどころ、眼のつけどころなんだからね。そこで、何かネタになるような怪しいことはねえかと、この伝六様がけんめいと捜してみるてえと――」
「あったか!」
「だから、鼻がたけえというんですよ。こういうもっけもねえ品が見つかったんだから、これこそは粗略にできねえと、たいせつに隠しておいたんですがね。どんなもんですかね」
 奥歯に物のはさまったようなことをいいながら立ち上がって、そこの縁先のすみから、これまたうやうやしくささげ持ちながら携え帰ったのは、一本の丸樫杖《まるがしづえ》。――しかも、そのちょうど握り太のところには、ぺっとりと生血の手形がついているのです。
「いかにものう! どこで見つけ出した!」
「どこもここもねえんですよ。ついそこの袖垣《そでがき》のところに落っこちていたんでね。こいつを見のがしたら、伝六様の値うちがさがるんだッ、――というわけで、うやうやしくしまっておいたんですが、さ! これから先ゃだんなのおはこ物だッ。へんてこなこの丸樫杖が何者の持っていた品だか、それさえ眼がつきゃ、下手人は文句なしにそやつと決まってるんだから、はええところ勇ましく、ずばずばッとホシをさしておくんなせえよ!」
 まことにしかり! かくも疑わしき遺留品があったとするなら、それなる血染めのいぶかしき丸樫杖の持ち主に、下手人としての第一の疑いがかかるのは論のないところでしたので、名人もまたそう思ったらしく、手に取りあげてもてあそぶように見ながめていましたが、ずばりと、真に勇ましいくらいの右門流でした。
「この持ち主は座頭だな!」
「えッ?」
「この杖の持ち主は、あんまの座頭だなといってるんだよ」
「たまらねえな! ピカピカッと目を光らすと、もうこれだからな。しかし、どこにもこの持ち主が座頭だなんてことは書いてねえようだが、どうしてまたそう早く知恵が回りますのかね」
「また始めやがった。眼をつけりゃ、じきとおまえはそれをやるんだからな、うるさくなるよ。青竹づえはあんまの小僧、丸樫杖は一枚上がって座頭、片撞木《かたしゅもく》はさらに上がって勾当《こうとう》、両撞木《りょうしゅもく》は※[#「てへん+僉」、第3水準1−84−94]校《けんぎょう》と、格によって持ちづえが違っているんだ。してみりゃ、この丸樫杖の持ち主が座頭であるのに不思議はねえじゃねえか」
「なるほどね。だんなの博学は、おいらの博学と見ちゃまた桁《けた》が違わあ。そうと眼がつきゃ、大忙しだ。もののたとえにも、めくら千人めあき千人というんだから、江戸じゅうの座頭をみんな洗ったってせいぜい千人ぐれえのものなんだからね。大急ぎで洗いましょうぜ! さ! 辰公! 何を遠慮してるんだッ。とッととしたくをしなよ!」
 気早にせきたて、もう駆けだそうとしたのを、
「お待ちなさいまし。座頭ならば――」
 心当たりがござります、といいたげに、もじもじしながら呼びとめたのは、あるじの井上金八でした。
「目ぼしがござりまするか!」
「はっ。ひとり――」
「ひとりあらばたくさんじゃが、名はなんと申します」
「仙市《せんいち》と申します」
「このご近所か」
「はっ。ついその道向こうの、はら、あそこに屋根が見えるあの家が住まいでござります」
「お心当たりにまちがいござりますまいな」
「はい。じつは、このつえの先の油のしみに見覚えがござりますゆえ、たしかに仙市の持ちづえと、とうに見当だけはつけておりましたが、人を疑って、もしや無実の罪にでもおとしいれては、と今までさし控えていたのでござります」
「ご当家へはお出入りの者でござりまするか」
「はっ、家内が癪《しゃく》持ちでござりましたゆえ、三日にあげずもみ療治に参っていた者でござります」
「女房持ちでござりまするか、それともまたひとりでござりましたか」
「どうしたことやら、もう三十六、七にもなりましょうに、いまだに独身でござります」
「ほほうのう! ちと焦げ臭くなってきたかな。蛇《じゃ》が出るか、へびが出るかわからねえが、ではとって押えろッ」
 心得たとばかりに、伝六、辰の両名は、横っとびでした。

     3

 しかるに、道向こうのそれなる仙市宅へ駆けつけていってみると、これが奇態でした。いや、いよいよ不審でした。ぴったりと雨戸が締まっているのです。早くも風をくらって逐電したのか、まだ八ツになるかならぬかの昼日中であるのに、どこもかしこもぴったりと戸がおろされていたものでしたから、伝六の鳴ったのは当然――。
「ちくしょうめッ。手数のかかるまねしやがるじゃねえか! だからいわねえこっちゃねえんだッ。ろくでもねえ猿《えて》しばいなんぞにいって、のうのうとやにさがっているから、こういうことになるんですよ! どこへうせやがったか、またむだな詮議《せんぎ》しなくちゃならねえじゃござんせんか!」
 おこり上戸のおこり太鼓を、柳に風ときき流しながら、いとものどかにあごをなでなで、しきりと家のまわりをのそのそやっていた様子でしたが、そこの、ちょうどお勝手口のところまでいったとき、
「ふふん――」
 とつぜん名人が、ふふんと吐き出すようにいうと、にやりとやりました。そのまたふふんなるふふんが、なんともかともいえぬふふんでしたから、鳴り屋の千鳴り太鼓がさらに鳴ったのはこれまた当然でした。
「ちぇッ、何がおかしいんです! 人がせっかく腹をたてているのに、何がおかしいんですかよ」
「控えろッ」
「えッ?」
「そうまあガンガン安鳴りさせずと、その足もとをよくみろよ」
 いわれて足もとの流し口をなにげなく見ると――、こはそもいかに! 勝手口からちょろちょろと流れ出ている水から、ぽあん、ぽあんと湯気がたっているのです。
「よッ、さては野郎め、家の中に隠れているんだろうかね」
「あたりめえだッ。湯気水の中に、出がらしの茶の葉がプカプカと浮いてるじゃねえか。やっこさんゆうゆうと茶をいれ替えて、とぐろを巻いているぜ。このあんばいじゃ、一筋なわで行きそうもねえやつのようだから、気をつけねえとやられるぞ!」
「なにをッ。きょうの伝六様は品がお違いあそばすんだッ。――ざまあみろッ」
 ドンと、もろに体当てを食わして、雨戸をけとばすと、いかさまできが違うのではないかと思われるほどの勇敢さで、七くぐり、八返りの仕掛け造りではないかともあやぶまれる暗い家の内を目ざしつつ、伝六が先頭、つづいてちんまりとした善光寺辰が、風船玉のように飛び込んだあとから名人はゆうゆうとはいっていくと、まずお公卿さまに命じました。
「目ぢょうちんだッ。目ぢょうちんだッ。はええところ辰公! 見当つけろッ」
「つきました! つきました! 床の間の前におりますぞ」
「一匹か。それとも、眷族《けんぞく》がとぐろでも巻いてるか!」
「一匹です! 一匹です! どうしたことやら、ブルブルと震えておりますぜ!」
「なんじゃい! 震えているんだとな! ほほう、またこれはちと眼が狂ったようだが、こいつ思いのほかに気味のわるい事件《あな》だぞ。ともかく、雨戸をあけな」
 あけさせてみると、いかさま座頭仙市がそりたてのくりくり頭をかかえるようにして、こちらに背を向けながら、じつに必死と震えているのです。しかも、なんたる不審! まったくどうしたというのだろう? ――その震えている向こうの床の間の上には、三本! 五本! 八本! 十本! いや、全部数えたら十七、八本もあるのではないかと思われる刀が、なぞはこれにあり、といわぬばかりに飾られているのです。
 名人は発見すると同時に、およそ不審に打たれたらしく、じっとそこにたたずんだままでした。また、これはまたいかな名人とても、考え込んでしまったに不思議はない。逐電したかと思えばちゃんとおり、おる以上はおそらく不敵なやつだろうと想像してはいったのに、案外にもブルブルとやっているにもかかわらず、もみ療治|稼業《かぎょう》の座頭ふぜいには、どう考えても不似合いな大刀が、それも十数本飾りものとなっていたんですから、まったく不審千万! ぶきみ千万――
「ちっとこりゃまたてこずりそうだな」
 つぶやいていましたが、やがてしかし床の間へ近づくと、何はともかくというように、飾ってある大刀を、一本一本と調べだしました。もちろん、調べたところは小柄《こづか》です。非業の最期を遂げた井上金八妻女の傷は小柄だな、と眼をつけたその眼の的否をたしかめようとするらしく、一本一本と鞘《さや》から抜いてはためつ、すかしつ、見改めていましたが、悲しいかな急所のその眼が狂ったらしい!――みるみるうちに、秀麗なその面を蒼白《そうはく》にさせると、むっつりと、真にむっつりとおし黙って、そこにすわり込んでしまいました。
 しかも、端然と端座しながら、床の間の不審な刀を見ては、いまだにうしろ向きで震えつ
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