来るべきはずのその勇ましいのが、どうしたことかなかなか姿を見せないのです。
「兄貴め、まさかまい子になったんじゃありますまいね」
「お門が違わあ。食いものとなりゃ、親のかたきをほっておいても駆けだすやつなんだもの、だいじょうぶ、いまに来るよ」
 ところが、どうも変なのでした。自分から先へ誘いの水を向けたことではあるし、もちろん、水金へ来ることは先刻承知のはずなんだから、だれがどう考えても、あの伝六がまい子になることはあるまいと思われるのに、半刻《はんとき》たっても、一刻たっても、奇態と姿を見せなかったものでしたから、名人も少々不審の首をかしげているとき――、ドコドコ、ドコドンと景気よく鳴りだしたのは、娘手踊りの小屋からか、それとも評判のさるしばいのほうからか、いずれにしても気のうきうきと浮かれたつ客寄せの太鼓です。――荻生徂徠《おぎゅうそらい》がいったことには、品行方正な者が、あの客寄せの太鼓を聞くと、バカ来い、バカ来い、というふうに響くのだそうで、反対にいくらか方正でないほうの側の人が耳にすると、はよ来い、はよ来いと聞こえるから、むずむずしてきて、いたたまらなくなるのだそうですが、し
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