かしあの乱ればちのさばき音というものは悪くない!
「あきれたやつじゃねえか。めんどうくさいから、おいていこうよ」
「でも、おこりますよ」
「身から出たさびだよ。いこうぜ、いこうぜ」
 辰を促すと、もちろんまず娘手踊りのほうへはいるだろうと思われたのに、さっさとさるしばいのほうへ曲がっていったものでしたから、がらはちまちましているが、お公卿《くげ》さまだとて年ごろの男です。のどかな顔に、意味深長な薄笑いをにったり浮かべると、陰にこもっていいました。
「おいら川越の山育ちなんだからな、猿公《えてこう》なんぞちっとも珍しくねえんだがな」
「控えろッ」
「えッ?」
「といったら腹もたつだろうが、町方を預かっている者は、一に目学問、二に耳学問、三に度胸、四に腕っ節というくれえのもんだ。娘手踊りなんぞはいつだっても見られるが、さるしばいをのがしゃ、またいつお目にかかれるかもわからんじゃねえか。珍しいものと知ったら、せっせと目学問しねえと、出世がおくれるぜ」
 治にいて乱を忘れず、閑にあってなおその職分を忘れず、かくてこそわがむっつり右門が名人なるゆえんです。――小屋は、さるのしばいという珍しいその評判が客を呼んで、すでにもうそのとき七分の入りでした。

     2

 さるでもしばいとならば、大根、下回り、中看板、名題と、いろいろ階級があるとみえて、最初は下回り連のありふれた曲芸。その次が鳴り物づくしに、首引き綱引き、第三にすえたのが呼び物の一つである盛遠袈裟《もりとおけさ》切りの大しばいでした。
 お定まりどおり、遠藤《えんどう》武者の盛遠が袈裟御前に懸想するところから始まって、では今宵《こよい》九ツに館《やかた》へ忍んできて夫の渡辺渡《わたなべわたる》を討ちとってくれたら、ということになり、返しとなって、盛遠が恋がたきの渡を殺す、ところがよくよく見ると、刺した相手は渡ならで、当の袈裟御前であったところから愁嘆場になって幕となるという大物でしたが、黒子の介添え人こそあれ遠藤武者も、袈裟御前も、渡辺渡も、役者はみなほんもののさるで、ことごとくそれが下座の鼓一つできまりきまりを踊りぬき、なかんずく盛遠になった雄ざるの太夫《たゆう》は、一段と器用なできばえのうえに渡と信じて思い人の袈裟御前を突き刺すあたりは真に迫っていたものでしたから、もとより満場は割れるような大喝采《だいかっさい》――。
「畜生とは思えぬくらいじゃな」
 すっかり名人も感に入って、久しぶりの目保養気保養にうっとりなりながら、あごをなでていると――、
「どきねえ! どきねえ! じゃまじゃねえかッ。[#底本には、1字あき]どきねえってたらどきねえよッ」
 ガラッ八のぐあい、かしましいぐあい、どうも聞いたような声なのです。
「さてはお越しあそばさったな」
 遠慮のないぐあいが、てっきりあいきょう者だろうと思われたので、あごをなでなでふり返ってみると、果然わが親愛なる伝六なのでした。
 しかるに、親愛なるその伝六が、来るそうそうから少しよろしくないことをいったのです。
「いくら非番だからって、あきれただんなじゃござんせんか! こんなところでのうのうとやにさがって、しばい見物とはなんのざまです! おしばい見とはなんのざまです!」
 おそくなったのをわびでもするかと思いのほかに、言いだし本人のそのご本尊が、誘いの水を向けたことなぞは忘れ顔に、あたりかまわずがみがみとやりだしたものでしたから、名人の顔色がいささか変わりました。
「人中も人前もわきまえのねえやつだな。おまえがここへ来ようと水を向けた本人じゃねえか。みっともねえ、ガンガン大きな声を出すなよ」
「声のでけえな親のせいですよ! それにしたとて、町方を預かるお身分の者が、このせわしいなかに、のうのうと遊山《ゆさん》はねえでがしょう! 治にいて乱を忘れず、乱にいて治を忘れずと、ご番所のお心得書きにもちゃんと書いてあるんだッ。人にさんざんと汗をかかして、腹がたつじゃござんせんかッ」
「変なところへからまるやつだな。おれが来たくてこんなところへ来たんじゃないよ。おめえがやけに誘ったから来たんじゃねえか。おいてきぼりに出会った腹だち紛れにのぼせているなら、大川は目と鼻の近くだぜ。ひと浴び冷やっこいところを浴びてきなよ」
「ちぇッ。血のめぐりのわるいだんなだな! のぼせているな、こっちじゃねえ、そっちですよ! レコなんだッ。レコなんだッ。レコが降ってわいたんですよ!」
「なに! 事件《あな》かい」
「だからこそ、やいのやいのと騒いでるじゃござんせんか! ご番所からお呼び出し状が来たんですよ!」
「でも変だな。おまえは髪床へいって、朝湯へ回って、たいそうごきげんうるわしくおめかしをしていたはずだが、違うのかい」
「もうそれだ。なにも人前でか
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