のなんだ。じゃ、辰の野郎をすぐひっぱってめえりますから、ちょっくらここでお待ちくだせえましよ」
 しかるに、どうも伝六というやつは、なんと考えてみても変な男です。すぐに辰をひっぱってくるといったにかかわらず、駆けだしていってから、かれこれも半刻《はんとき》近くにもなるのに、どうしたことかなしのつぶてでしたから、物に動じない名人もいささか腹をたてて、いぶかりながらふたりのお小屋へ自身迎えにいってみると、様子が少し妙でした。そうでなくても小さいお公卿さまが、いっそうからだを小さく固めて、そこの座敷のそれもすみのほうにちんまりとお上品にかしこまりながら、だれか人待ち顔に、いたってぼんやりとしていたものでしたから、あっけにとられてきき尋ねました。
「兄貴ゃどうしたい」
「え?」
「伝六太鼓はどこへ逐電したかってきいてるんだよ」
「それが、じつはちっとのんきすぎるんで、あっしもさっきから少しばかり腹だてているんですが、半年のこっちも一つ釜《かま》のおまんまをいただいているのに、兄貴の了見ばかりゃ、どう考えてもあっしにわからねえんですよ」
「やにわと変なことをいうが、けんかでもしたのかい」
「いいえ、それならなにもこうして、ぼんやりしているところはねえんですがね、今から両国へ気保養に行くんだから、だんなの雲行きの変わらねえうちに、はええところいっちょうらに着替えろと、火のつくようにせきたてたんで、いっしょうけんめいとしたくしたら、あきれるじゃござんせんか。おれゃちょっくら朝湯にいって、事のついでに床屋へ回ってくるから、おとなしく待っていなよっていいながら、どんどん出ていったきり、いまだにけえらねえんですよ」
「あいそのつきた野郎だな。あわてるときはあわてすぎやがって、気がなげえとなりゃ長すぎるじゃねえか。あいつはきっと長生きするよ。かまわねえ、ほっといて出かけようぜ」
「だいじょうぶですかい」
「あいつのことだもの、鳴らしながら追っかけてくるよ」
 まことにしかり、それと知ったら伝六太鼓がからだじゅうを総鳴りさせて、ぶりぶりしながら追っかけてくるのは必定でしたので、辰とふたりの道中もまた一興とばかりに、八丁堀《はっちょうぼり》を出たのが五ツ下がり、途中|駕籠《かご》を拾って、目ざした水金にみこしを降ろしたのがちょうど四ツでした。――むろんのこと、両国は夏のものですが、秋口に見る
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