じましたが、何はともかくお呼びならばと思いまして、かって知った庭先のほうからお伺いしましたところ、妙なんですよ。いま話しに来いとおことづてくださったそのお内儀のへやがまっくらがりで、おまけにいくらごあいさつを申し上げてもご返事がございませんのでな。さては持病の癪《しゃく》がにわかに起きて、気を失っていらっしゃるなと思いましたんで、手さぐりに上がりながらなにげなくお首のところへ手をやるとぺったり――」
「血がついたんで、無我夢中に逃げ帰ったといわっしゃるか!」
「へえい、そうなんです。だからもう、つえも何もほったらかして――」
「待った! 待った! ちょっと待ったり! でも、少しその話ゃ変だな。りっぱな目あきのあんたが、用もないつえを持っていったとはおかしくないかい」
「ごもっともです。いかにもご不審はごもっともですが、わたしたちあんまのつえは、和尚《おしょう》さまの衣のようなものなんですよ。むろんのことにご存じでござりましょうが、小僧は青竹、座頭は丸樫《まるがし》、勾当《こうとう》は片撞木《かたしゅもく》、※[#「てへん+僉」、第3水準1−84−94]校《けんぎょう》は両撞木《りょうしゅもく》とつえで位が違いますんで、目あきだろうとあんまなら位看板に格式格式のつえを持つんですよ。だから、あっしのつえに不思議はねえが、いまだになんとも気味わるいことには、逃げ帰るそのときに、あのお屋敷のへいのところでちらりと変なものを見たんですがね」
「何じゃ」
「猿公《えてこう》ですよ」
「なにッ。猿《えて》とな!」
「へえい、たしかに猿公なんです。でも、いくら猿公がくらやみの中から飛び出してきたって、けだものが人間をそうやすやすと刺し殺せるわけのものではなし、だからどうしたってきっと行き合わしたあっしに疑いがかかるだろうと存じましてね。つまらぬ疑いのもとになっちゃたいへんだから、ほうり出したつえも拾って帰って、どこかへ隠そうかとも思いましたが、なまじ隠して見つけ出されりゃ、いっそう疑いが濃くなるんだし、それに家のほうにもこのとおり疑いのもとになる刀も何本かあるんだから、こいつもどうしよう、隠そうか、売り飛ばそうかと迷いましたが、細工をしてまた足がつきゃ、なおさら疑いがかかるんだしと、すっかり思いあぐねて、ただもう震えていたんでごぜえます」
「いかにものう。変なことに出会ったというの
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