天女がお降りあそばしたんですよ!」
 ひとりで心得、ひとりでせかせかとはしゃぎながら座敷を取りかたづけると、やがて請《しょう》じあげてきた者は、まこと天女ではないかと思われる一個の容易ならぬ美人でした。年のころはどうふけて踏んでもまず二十一、二。あだめいた根下がりいちょうに、青々とした落としまゆの、ほんのりさした口紅に、におやかな色香の盛りを見せた容易ならぬ美形でしたから、いささか右門も胸にこたえたらしい面持ちで、いぶかりながら目をみはっていると、しかるにそれなる美形が、やにわになれなれしくいいました。
「しばらく……お久しゅうござんした」
「…………」
「ま! わたしですよ。お見忘れでござんすか。わたしですよ」
「…………?」
「去年の夏、お慈悲をかけていただいた、くし巻きのお由ですよ」
「えッ」
 右門のおどろいたのも道理。ご記憶のよいかたがたは、まだお忘れでないことと存じますが、第六番てがらの孝女お静の事件に、浅草でその現場を押え、悔悛《かいしゅん》の情じゅうぶんと見破ったところから、お手当にすべきところを特に見のがして慈悲をたれてやった掏摸《すり》の名手のあのくし巻きお由が、まる一カ年ぶりでいっそうのあだめいた姿とともに、ひょっくりと訪れてきたものでしたから、さすがの名人もことごとくおどろいたらしい様子でした。
「そうでござんしたか! ずいぶんとお変わりになりましたな。見れば、すっかり堅気におなりのようでござんすが、今は何をしておいででござんす」
「あの節のお慈悲が身にしみましたゆえ、あれからすっかり足を洗いまして、湯島の天神下で、これとこれの看板をあげているんでございますよ」
「なに、三味線と琴のお師匠をおやりでござんすか。ほほう、器用なおかたは何をおやりになってもご器用とみえますな。ときに、ご用向きはなんでござんす」
「じつは、ぜひにもだんなさまのお力をお借り申したいと存じまして、知り合いのお殿さまをお連れ申したんでござんすが、お会いくださいましょうかしら」
「会うはよろしゅうござんすが、いったいどういうお知り合いなんでござんす」
「お嬢さまに琴のおけいこしに上がっておりますんで、その知り合いなんでござんす」
「ふうむ、そうでござんすか。わざわざお越しなさったところを見ると、何かご内密のお頼みでござんすな」
「は、だんなさまの侠気《おとこぎ》におすがりいたしましたら、どんな秘密でもお守りくださいますからと、わたしがおすすめ申しまして、お連れしたんでございますよ」
「そうでござんすか。そう聞いては、どのようなお頼みかは存じませんが、あとへは引かれますまい。ようござんす! いかにもお頼まれいたしましょう!」
 凛《りん》としていったことばに、いそいそとして表へ出ていった様子でしたが、まもなくお由のそこへ導いてきた者は、年のころ五十がらみの上品な、だが、どことなく零落の影の濃いご高家ふうな一人のお武家でした。
 こういうときの名人は、いつもそうなんですが、ことばをかけるまえにまず、じいっとはいってきたそのお武家の姿を、底光りする鋭いまなこで、静かに見ながめました。と同時です。まことに右門流のうちの右門流でした。
「いきなり失礼なことを申しますようでござりまするが、作法のご指南あそばしていられますな」
 ずぼしをさされたようにぎょッとうちおどろいたのを軽く押えながら、微笑しいしいいいました。
「いや、お驚きあそばしますにはあたりませぬ、おみ足の運びぐあい、お手のさばき、たしかに今川古流の作法と存じましたが、目違いでござりましたか」
「ご眼力恐れ入ってござる。いかにも、今川古流を指南いたす北村大学と申す者でござる。以後お見知りおきくだされい」
「そのごあいさつではかえって痛み入りましてござります。お顔の色は尋常でござりませぬのに、一糸乱れぬお身のこなし、さだめしお名あるご高家のおかたでござりましょうと存じまして、かく失礼なこと申しましたしだいでござりまするが、して、てまえにお頼みとは、どのようなことでござります」
「…………」
「いえお隠しあそばしますには及びませぬ。てまえもいささか人に知られた近藤右門、夢断じて口外いたしませぬゆえ、ご懸念なくお明かしくだされませ」
「かたじけない、かたじけない。それを聞いて大いに安堵《あんど》いたしたが、じつは将軍家からお預かり中のお能面が紛失したのでござるわ」
「えッ、すりゃまた容易ならぬ紛失物でござりまするが、どうした子細でさような貴品、お預かりなさっていたのでござります?」
「それがじつはちと申し憎いことでござるが、知ってのとおり、当節は諸家みな小笠原《おがさわら》ばやり。そのため日増しに今川古流は世に捨てられて、お恥ずかしながら家名もろくろくささえることできぬほどの貧困に陥りまし
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