右門捕物帖
明月一夜騒動
佐々木味津三

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【テキスト中に現れる記号について】

《》:ルビ
(例)勃発《ぼっぱつ》

|:ルビの付く文字列の始まりを特定する記号
(例)右門|捕物《とりもの》

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(例)※[#疑問符感嘆符、1−8−77]
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     1

 右門|捕物《とりもの》第十八番てがらです。
 事の勃発《ぼっぱつ》いたしましたのは九月中旬。正確に申しますると、十三日のことでしたが、ご存じのごとくこの日は、俗に豆名月と称するお十三夜のお月見当夜です。ものの本によると、前の月、すなわち八月十五日のお月見には、芋におだんごをいただくから芋名月と称し、あとの月のこのお十三夜には枝豆をいただくから豆名月というのだそうですが、いずれにしても当今のようにむやみとごみごみした時代とはちがって諸事おおまかにそして、風流にできていたお時代なんですから、こういうふうな神代ながらの年中行事となると、市中をあげてみな風流人になったもので、当時の名所というのがまず第一に道灌山《どうかんやま》、つづいては上野山内、それから少しあだっぽいところになると花魁《おいらん》月見として今も語りぐさになっている吉原《よしわら》。だから、ほろりとさせる古い句にも、名月や座頭の妻の泣く夜かな――というのがありますが、しかし、それは長そで雅人風流人のみに許された境地で、無風流なることわがあいきょう者のおしゃべり屋伝六ごときがさつ者にいたっては、道灌山に名月がさえようと、座頭の美しい新妻《にいづま》が目のない夫のためにわが目を泣きはらそうと、ただ伝六には事件があって、口うるさくお株を始められる機会さえあればいいんですから、前回のへび使い小町騒動以来、かれこれ二カ月のうえもこっち、いっこう目ぼしい事件が起きませんでしたので、おりからまたあいにくの非番――、よくよくからだを持ち扱っているとみえて、鳴ること鳴ること、そこの縁先で、やお屋から取り寄せた枝豆をせっせと洗っている善光寺辰に、ガラガラとからだじゅうを鳴らしながら、八つ当たりに当たり散らしました。
「ちぇッ。兄弟がいのねえ野郎だな。あごだって調子のものなんだ。使わずにおきゃ、さびがくらあ。善根を施しておきゃ、来世は人並みの背に産んでくれるに相違ねえから、もっと仏心出して相手になれよ」
「…………」
「耳ゃねえのか!」
「…………」
「ちょッ。やけに目色変えて、豆ばかりいじくっていやがらあ。だから、豆公卿《まめくげ》だなんかと陰口きかれるんだ。――ね、だんな! ちょっと、だんな!」
「…………」
「いやんなっちまうな。だんなまで、あっしをそでにするんですかい。あごなんぞなでりゃ、何がおもしれえんですか。からだ持ち扱っているんですから、人助けだと思って相手になっておくんなさいよ」
 あちらへ当たり、こちらへ当たって、八つ当たりに鳴らしていると――、玄関先に声がありました。
「頼もう! 頼もう!」
「よッ。やけに古風なせりふぬかしゃがるぞ。羅生門《らしょうもん》から鬼の使者でも来やがったのかな」
 ガチャガチャしてさえいたら、それでむしが納まるとみえて、しきりにひとりではしゃぎながら出ていったようでしたが、まもなく引き返してくると、鬼の首でもとったように手の中で一通の書状をひらひらさせながら、口やかましくいいました。
「そうれ、ごらんなさいよ。お羽黒山の雷さまだって、こんなにいい鳴り方はしねえんだ。あっしがせっかくさっきから根気よく鳴らしたんで、このとおり事件《あな》が天から降ってきたんですよ。ね、だんな! 早いところご覧なせえましよ。松平のお殿さまからのお差し紙でござえますから、きっとまた何か突発したにちげえござんせんぜ」
 しかし、案に相違して、そのお差し紙は、あすの吉例上覧お能に、警固のため出頭しろとのご命令書でしたから、ようやく納まりかかった伝六太鼓がまた鳴りかけようとしたとき――、今度はやさしくおとなう声がありました。
「ごめんあそばせ……ごめんあそばせ……」
「おっ! いい音がしたぞ、陰にこもった声のぐあいが、どうやら忙しくなりそうだぜ。――へえい、ただいま、ただいま参ります。少々お待ちくださいまし。ただいま伝六が参ります」
 なにも伝六が参りますと特に断わらないでもいいのに、罪のないやつで、しきりと衣紋《えもん》をつくりながら、気どり気どり出ていったようでしたが、矢玉のように駆け帰ってくると大車輪でした。
「辰ッ、何をまごまごしてるんだッ。貧乏ったらしい! 枝豆なんかをそんなところにさらしておくなよ! ――だんな、また何をおちついていらっしゃるんですかい! 天女ですよ!
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