掛けの錠前をじゅうぶん堅固に掛けておいたゆえ、だいじょうぶこの中にあるじゃろうと存じて、先ほども印鑑のことは申さずにおいたが、もしやと存じて調べたところ、このとおり紛失してござるわ」
 聞きながらじいっと手文庫の錠前に鋭く目を注いでいましたが、そろそろと右門流の明知がさえだしました。
「どうやら、これはオランダ錠のようにござりまするが、これなる錠前あけることをご存じのおかたは、あなたさまおひとりでござりまするか」
「いや、ほかに用人の黒川が存じておるにはおるが、黒川ならばいたっての正直者ゆえ、不審掛けるまでもござらぬわ」
「でも、念のためでござりますゆえ、お招き願えませぬか」
 呼ばれて姿を見せたのは、それなる用人の黒川です。いかさま、主人大学の保証したとおり、一見するに目の動き、腰の低さ、高家の忠義無類な用人らしい風貌《ふうぼう》でしたが、しかし、その服装がいささか不審でした。主人大学はもとよりのこと、家具調度、なにから何までが零落そのもののようなすさみ方をしていたにかかわらず、黒川ひとりは不調和なくらい、りゅうとした身なりをしていましたので、名人がピカリ、鋭く目を光らしていましたが、だのにすこぶる意外でした。
「失礼いたしました。お疑いをかけましたのはてまえの粗忽《そこつ》でござります。どうぞ、あしからず」
 目を光らした以上は、何かきびしい尋問でも始めるだろうと思われたのが、事実はうって変わっていとも気味わるく、ていねいすぎるほどていねいに自分からそこつをわびましたものでしたから、太鼓を張りきらしていたあいきょう者が、黒川用人の立ち去るのを見すまして、所がら、人前もわきまえずに、ことごとく早太鼓を打ちだしました。
「じれってえな! また眼が狂ったんですかい! まごまごしてりゃ、夜がふけちまいますぜ」
 ずけずけといったのを聞き流しながら、はてどうしたものだろうというように、あごのまばらひげをまさぐっているところへ、ちょこちょこ縁側先から、善光寺辰がまめまめしい顔をのぞかせると、不意にいいました。
「ね、だんな! ちっと妙ですぜ。今あっしが目ぢょうちん光らしていたら、質屋のご新造がこっそりご用人さんを呼び出して、何かひそひそ打ち合わせながら、池《いけ》ノ端《はた》のほうへ消えていきましたぜ」
 聞くや同時です。待ちに待った名人のすっと胸がすくような伝法句調が、は
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