これはまた珍しや、いつになくもったいらしい顔つきをしながら、小陰へ手招くと、ものものしく声をひそめてそっとささやきました。
「ご新造が、だんなにないしょでちょっとお目にかかりたいと申しておりますぜ」
「なに? 用はなんじゃと申した」
「あの野郎のことで、お耳へ入れたい話があると、こういうんですよ」
ぐいと、十兵衛のほうへあごをしゃくってみせましたものでしたから、やさきがやさきです。ちゅうちょなく伝六に導かれていったその姿を見迎えながら、落としまゆにお歯黒染めた、まだみずみずしいうばざくらの若後家が声をひそめると、もっけもないことをささやきました。
「主人の身で、使用人のことをあしざまに申しますのは、はしたないようでござりまするが、どうも十兵衛どんがこのごろ毎晩おかしいんでございますよ」
「どのようにおかしいのでござる?」
「毎晩日の暮れどきになりますと、水茶屋者らしい女がこっそり呼び出しに参りまして、十兵衛どんがまたそわそわしながら目色を変えて、いっしょにどこかへ出ていくんでございますよ」
「なにッ、茶屋女でござるとな! ふうむ! そうか! どうやら、きょうばかりは伝六様にいい音を出されたな。――なによりのこと聞かしてくださった。じゃ、伝六ッ、辰ッ。久しぶりで立ちん坊だ。むだ口きくなよ」
がぜん、十兵衛に対する疑雲が数倍の濃度を増してまいりましたので、それと感づかれないようにあっさり引き揚げると、そこの路地奥のへいぎわにぴたりと身を寄せながら、疑問の番頭の行動監視を始めました。
と――、待つ間ほどなく、おりから雲を割った豆名月の銀光を浴びながら、あたりをはばかるように忍び近づいてきた者は、いかさま水茶屋者とおぼしき十七、八の小娘です。
「だんな、だんな! 上玉ですよ! 上玉ですよ! ね! どうです。しゃくにさわるほどあだ者じゃござんせんか」
「ほどを知らねえやつだな。口をきくなといっておいたじゃねえか。静かにしろ!」
「でも、やけにべっぴんなんだからね。出すまいと思っても、ついひとりでに音が出てしまうんですよ」
「うるせえな。聞こえて玉に逃げられたら、また手数がかかるじゃねえか。いらざるときにむだ音を出すな」
小声でしかりしかり様子をうかがっていると、女はそれとも知らずに、土蔵の陰へ回りながら、それがいつもの合い図であるとみえて、軽い呼び出しのせき払いをいた
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