か」
「うるせえな。おれがついているじゃねえか!」
いいもいったり、きりもきったり、名人得意の啖呵《たんか》をすっかり口まねしながら、そこにぽっかりとまた浮かび上がって、黒々とさかしまに大きな腹を見せたままでいる屋形船をじっと見透かしていましたが、と――たまには伝六の目もさえるときがあるとみえて、おどろいたもののごとくに、言い叫びました。
「なるほど、こりゃまごまごしていられねえや! 船の底にくりぬいたでけえ穴があるぞッ。ちくしょうめ、ふざけたまねをやりやがって、どいつか沈めやがったなッ。おいこら、船頭! 早く岸へ帰せッ」
飛び移るや同時でしりからげになると、事重大とばかりに、人波をけちらしながらいちもくさんでした。
2
だから、当然八丁堀をでも目ざして行くだろうと思われたのに、駆け向かった先はいささか意外! 土手に沿って河岸《かし》を下へ小一町|韋駄天《いだてん》をつづけていましたが、お舟宿|垂水《たるみ》――と大きく掛けあんどんにしるされた一軒の二階めざしながら、矢玉のように駆け込みました。
いっしょにそのものものしい足音を聞きつけて、広々と明け放たれた二階座敷の涼しげな青畳の上にごろりと寝そべったまま、煩わしそうに面を振り向けた者は、これぞ待たれたわれらの捕物《とりもの》名人右門です。しかし、面を向けるには向けても、いっこう気がなさそうに、ゆうぜんとあごの先をなでさすったままでしたから、あいきょう者がたちまちガンガンとやりだしたのは当然でした。
「人が暑い思いをやっていっしょうけんめい飛んできたのに、そのやにさがり方はなんですかい! しかじかかくかくで、途方もねえことが起き上がったんだから、早くおしたくなさいましよ!」
「静かにしろい。おめえの声を聞きゃ暑くならあ」
「ちぇッ。暑いなあっしのせいじゃねえんですよ! 今も申し上げたとおり、しかじかかくかくで、とてもどえれえことになったんだから、早いことお出ましくださいましよ」
「騒々しいな。ひとりでしかじかかくかくといったって、何もまだ聞かねえじゃねえか。もっとおちついてものをいいなよ」
「だって、これがおちついたり、やにさがったりしていられますかい! おまえたちふたりがそばにいりゃ暑くてしようがねえからとおっしゃいましたんで、辰の野郎と河岸《かし》へ降りてめえりましたら、しかじかかくかくで小町の屋形がぶくぶくとやりましたんでね、さっそく舟をつけて調べましたら、屋形の底に刀かなんかでくりぬいた穴があるんですよ。おまけに、娘の行くえがまだわからねえというんだから、これじゃあわてるのがあたりまえじゃござんせんか!」
と、――むっくり起き上がったようでしたが、まことにどうもその尋ね方がじつに右門流でした。
「人足どもあ、みんなとち狂って、川下ばかり捜しているんだろ。だれかひとりぐれえ上へのぼって調べたやつあいねえのかい」
「ちぇッ。お寝ぼけなさいますなよ。墨田の川はいつだって下へ流れているんですよ。聞いただけでもあほらしい。この騒ぎのなかに川上なんぞゆうちょうなまねして捜すとんまがありますものかい? 沈んだものでなきゃ、下へ流されていったに決まってるじゃござんせんか!」
「しようのねえどじばかりだな。だから、おいらは安できの米の虫が好かねえんだ。頭数ばかりそろっていたって、世間ふさぎをするだけじゃねえか。せっかく久しぶりで気保養しようと思ってやって来たのに、ろくろく涼むこともできゃしねえや。ちょっくら知恵箱あけてやるから、ついてきな」
慧眼《けいがん》すでになにものかの見通しでもがついたもののごとく、一本|独鈷《どっこ》に越後《えちご》上布で、例の蝋色鞘《ろいろざや》を長めにしゅっと落として腰にしながら、におやかな美貌《びぼう》をたなばた風になぶらせなぶらせ、ゆうぜんとして表のほうへやって参りましたので、すっかり悦に入ったのはあいきょう者です。ことに、自分が先に手を染めて、屋形船の底の穴を見破った自慢がいくらかてつだっていたものでしたから、ことごとく鼻高の伝六でした。
「どけッ、どけッ。安できの米の虫がまごまごしたって、道ふさぎになるばかりじゃねえか。暑っくるしいから、やじうまはどぶへへえれよッ」
すぐともう名人のせりふを受け売りしながら、肩で風を切り、ありったけの蘊蓄《うんちく》を傾けて、いらざることをべらべらとしゃべりつづけました。
「ね、だんな、それであっしゃこう思うんですがね。聞きゃ、あの小町美人、たんざく流しで婿選みするっていうんでしょう。だから、きっと、あの式部小町に首ったけのとんまがあって、思いは通らず、ほっておきゃ人にとられそうなんで、くやし紛れにあんなだいそれたまねしたんだろうと思うんですがね。どうでしょうね。違いますかね」
「………
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