うなのも道理、声の主、姿の主はだれならぬ、われらのあいきょう男伝六でした。つづいてそのわきの下をくぐりぬけながら、まめまめしく飛び出したのは、のどかなお公卿《くげ》さまの善光寺|辰《たつ》でした。だのに、すこぶる不思議、ふたりの太刀《たち》持ち露払いが姿を見せた以上は、当然そのあとに名人右門が、あの秀麗かぎりない面にゆうぜんとあごをなでなで立ち現われるだろうと思われたのに、どうしたことかその姿がないのです。いつまでたっても見えないのです。
 けれども、ふたりの者には来ない理由がよくわかっているとみえて、必死に人込みを押し分けながら、岸べまで駆け降りていった様子でしたが、伝六が例の調子で、ガンガンとどなりながらいいました。
「伝馬《てんま》ッ、伝馬ッ。やい! そこの伝馬ッ。何をまごまごしてるんだッ。早くこっちへつけねえかッ」
「べらぼうめッ。おうへいな口ききゃがるねえ! おめえたちやじうまを乗せるためにこいでいる伝馬じゃねえや! こっちへつけろが聞いてあきれらあ!」
「なんだとッ。やじうまたあ何をぬかしゃがるんでえ! 八丁堀《はっちょうぼり》の伝六親方を知らねえかッ」
 まことに伝六の名声広大とも広大――といいたいが、実は八丁堀といった啖呵《たんか》がものをいったとみえまして、通りすがりの伝馬船が倉皇《そうこう》としながら舳先《へさき》を岸へ向けましたので、ふたりはひらりと便乗――まだ混乱のままでいる現場へこがしていってみると、しかるにこれがすこぶる奇態です。屋形がぶくぶくとやりだすと同時に、乗り合わせていた船頭はいうまでもないこと、もよりの舟からもいっせいに舟子《かこ》どもがおどり込んで必死と水へもぐり、必死と流れを追って、三方五方から時を移さず救助を開始いたしましたのに、父先生の神宮清臣と介添え役の小童《こわらべ》はすぐに揚げられましたが、どうしたことか、式部小町の琴女だけは、流れたものか沈んだものか、いまだに行くえ不明であることがわかりましたものでしたから、うろたえて促したのは善光寺辰でした。
「こりゃいけねえ! な、おい伝六あにい! どうやらおれたちだけじゃ手に負えねえようだから、早くだんなに知らそうじゃねえか!」
「待てッ、待てッ、そう騒ぐなよ」
「だって、何かいわくがありそうだから、おれたちがまごまごするより、早いところだんなの耳へ入れたほうがいいじゃねえ
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