硯《まきえすずり》を介添え申し上げると、深窓玉なす佳人がぽっとほおを染めながら、紅筆とって恋歌を書きしたためる。そのたんざくを葉笹《はざさ》に結わいつけてあかり燈籠《とうろう》を添えながら水に流してやると、二、三町下った川下に前髪立ちの振りそで若衆が待ち構えていて、われ先にと拾いあげる、それから舟を上へこがして、拾った恋歌を目あてに、思いのたけをこめた返歌を流して贈る――一口にいうとただそれだけの遊びですが、これにたずさわる人々が、粒よりの風流人ばかりですので、優雅も優雅なら、情趣ふぜいの夏らしい点からいっても、なかなか評判とった催し物でした。
ことに、七日の宵《よい》がまたうってつけのたなばた晴れで、加うるに式部小町とあだ名をされた上野山下の国学者|神宮清臣《かんみやきよおみ》先生の愛女《まなむすめ》琴女《ことめ》が、その夜のたんざく流しに三国一の花婿選みをするという評判でしたから、物見高いはいつの世も同じ江戸っ子のつねです。たなばた流しのなにものであることすらもわからない無風流人までが、涼みがてらと小町娘をかいま見るためにわいわい押しかけまして、まだ日の暮れきらないうちから、両国河岸は身動きもならないほどの人出でした。水上もまた同様で、見物客を満載した伝馬船《てんません》が約二十|艘《そう》、それらの間をおもいおもいな趣向にいろどった屋形船が、千姿万態の娘たちをひとりずつすだれの奥にちらつかさせて、銀河きらめく暗夜の下を右に左に縫っていく情景は、見るからに涼味|万斛《ばんこく》、広重《ひろしげ》北斎がこの時代に存生していたにしても、とうていこのすがすがしい景趣ふぜいは描破できまいと思われるほどの涼しさでした。
かかるところへ、わけても涼しげな飾りつけで、奥宮戸のあたりからゆらりゆらりと流してきた一艘は、これぞ今宵《こよい》のぴか一、才色兼ね備わっているところから、式部小町と評判されたあで人|琴女《ことめ》が座用の屋形船です。遠くてよくはわからないが、年のころならまず十七、八歳、面長中肉江戸型の美貌《びぼう》はまことに輝くばかりで、そばに控えた父先生の神宮清臣、ひとひざ下がって介添え役の小童《こわらべ》。おりから青空高らかにのぞいた七日の月の光をあびて、金波銀波を水面に散らしながら、静々と下ってまいりましたので、両側土手のわいわい連が、見たとてどうにもなるわけ
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