が投げ出されたかと見えましたが、いまし、名人の胸板めがけて窮鼠《きゅうそ》の一箭《いっせん》が切って放たれようとしたそのときおそくこのとき早く、実に名技、弓矢もろともぱッとからめ取ってしまいましたので、あとはもう名人の草香流でした。
「みろ! 痛いめに会わなくちゃならねえんだッ。他言をはばかる吟味だから、へやへ帰れッ」
手もなく引っ立てられて、烱々《けいけい》とにらみすえられましたものでしたから、宗助も今はどろを吐くよりしかたがなくなりました。
「恐れ入ってござります。いかにも、てまえが先ほどおやじの家へ化けてまいりまして、千両ゆすり取りましてござりますゆえ、お手やわらかにおさばき願います」
「バカ者ッ。そんなこまけえ科《とが》をきいているんじゃねえんだ。なんのために、恐れ多くも品川宿で、あんなだいそれたまねしやがったんだッ。手間を取らせずと、すっぱり吐いちまえッ」
「…………」
「このおれを前にして、強情張ってみようというのかい! せっかくだが、ちっと看板が違うよ。早変わりを売り物にするくれえのおまえじゃねえか。時がたちゃ、こっちの色も変わらあ。痛み吟味に掛けねえのを自慢のおれだが、手間取らせると、きょうばかりは事が事だから、少々いてえかもしれんぜ」
「し、しかたがござりませぬ。では、もう申します。いかにもお供先を乱したのはてまえでござりまするが、でも、あの毒矢を射込んだおへやさまってえのは、こう見えてもあっしの昔の情婦《いろ》なんでごぜえますよ」
「だいそれたことを申すなッ。かりにもご三家のお殿さまからお寵愛《ちょうあい》うけているお手かけさまだ。下司《げす》下郎の河原者なんかとは身分が違わあ」
「でも、あっしの情婦だったんだからしようがねえんです。できたのは一年まえの去年のことでしたが、駿河屋のおやじからは勘当うけるし、せっぱ詰まってとうとう江戸を売り、少しばかりの芸ごとを看板にして、名古屋表のこの一座の群れにはいっているうちに、お喜久といった茶屋女とねんごろになっちまったんです。するてえと、できてまもなく、ぜひにも百両こしらえてくれろと申しましたんで、八方苦しい思いをやって小判をそろえて持っていったら、それきり金だけねこばばきめて、どこかへどろんを決めてしまったんですよ。くやしかったが、人気|稼業《かぎょう》の者が、そんなぶざまを世間に知られちゃと、歯を食いしばってそのままにしているうちに、忘れもせぬついこないだの桃のお節句のときです。ご酒宴のご余興の上覧狂言に、尾州様があっしたち一座を名古屋のお城にお招きくだせえましたので、なにげなくお伺いしてみるてえと、おどろくじゃござんせんか、一年知らぬまに茶屋女のお喜久めが、いつのまにか尾州様のけっこうな玉の輿《こし》に乗って、あっしとらにゃめったに拝むこともならねえお手かけさまに出世していたんですよ。だから、その晩でござりました。あっしを生かしておいちゃ、昔の素姓がわかってうるさいと思ったんでごぜえましょう。お喜久のやつめが――じゃないお喜久のお方さまが、あっしに三人刺客を放ってよこしたんです。でも、さいわいに西条流の半弓を少しばかりいたしますんで、どうにかその晩は殺されずに済みましたが、うっかりしてたんじゃ命があぶねえと思いましたんで、さっそく一座を勧めて、この江戸へやってめえったんでごぜえます。するてえと、因果なこっちゃござんせんか、参覲交替で尾州さまが、あっしのあとを追っかけるように、お喜久の方さまともども江戸へお越しと人づてに聞いたんで、見つかりゃあっしの昔の素姓を知っているかぎり、いずれまた刺客をさし向けられて、笠《かさ》の台が飛ぶは必定、いっそのことに先手を打って、こちらからお命をいただいちまえと、去年の苦しい百両をだまされて取られた腹だち紛れもてつだって、とうとうきのう、あんなだいそれたまねをしたんでごぜえます。親の金を千両いたぶったのは、むろん高飛びの路銀。――蝦夷《えぞ》へでも飛ぼうと思ったところを、とうとう運のつきに、だんなさまのお目にかかってしまったしだいでござります。それにつけても、器量よしの女は、あっしが看板ぐれえの七変わりや百変わりではござりませぬ。いつ、どんな者に早変わりするかわからねえんだから、もういっさいかかわり合いはくわばらくわばらでごぜえます」
聞き終わるや、ややしばし捕物名人が、じっと考えに沈んでいましたが、まことにこれこそは右門流中の右門流。そこにあった矢立てをとると、懐紙へさらさらと、次のごとき一書をかきしたためました。
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「――尾州さまご家老殿へ上申つかまつりそうろう。八丁堀同心近藤右門の口は金鉄にござそうろうあいだ、おん秘密にすべきお喜久の方様のご条々は生々断じて口外いたすまじく、さればこれなる下人一匹、些少《さしょう》ながらご進物としてさし上げそうろうまま、一服盛りにでもご手料理くだされたくそうろう
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[#地付き]頓首《とんしゅ》再拝」
したため終わると、伝六、辰に命令一下。
「近所の自身番へこいつをしょっぴいていって、軍鶏駕籠《とうまるかご》へぶちこんでから、この手紙をつけて尾州様の上屋敷へ届けるようにいってきな」
そして、ふたりの配下が命令どおりに手配したのを見すましながら、あごをなでなでゆうぜんと引きあげていきました。けれども、あとからついていったお公卿さまが、しきりに首をひねるのです。
まめやかにちょこちょこと従いながら、いとものどかにひねり出したものでしたから、いつものように早くも見つけて、何か名人がきき尋ねるだろうと思われたのが、これはまたおよそ変わったことがあればあるもので、珍しく伝六がいたって兄分顔に気取りながらいいました。
「みっともねえな。何がふにおちねえんだい」
「でもね――」
「なんだよ」
「あれほどのだいそれた[#「だいそれた」は底本では「だれそれた」]まねをしたっていうのに、なんだってまた尾州さまは、おらのだんなに手入れすんなとおっしゃったんだろうね」
「ちぇッ。しょうのねえどじだな。それだから、おまえなんぞ、いつまでたっても背が伸びねえんだよ。知れたこっちゃねえか。道々お小姓姿におやつしなさって、お連れ申し上げたくれえもご遠慮したんだもの、おへやさまの素姓が世間へ知られりゃ、何かとお家の名誉にもかかわるじゃねえか。だからこそ、だんなも一服盛って、早く宗助の野郎をやみからやみへかたづけてほしいと、わざわざお書面をお書きなすったもんだ。もっと食い養生をして、りこうになれよ」
すっかり口まねをして、とんだ説法をしたものでしたから、破顔一笑、腹をよらんばかりにいったのは名人でした。
「偉いところで、今度は伝六兄いが、おれに早変わりしちまったな。思いのほかに変わり方があざやかだから、おめえにも軍鶏駕籠《とうまるかご》を雇ってやろうか」
よき主従のなごやかなやりとりをめで喜ぶかのように、大川渡った初夏の江戸風が、そよそよとさわやかに吹き通っていきました。
底本:「右門捕物帖(二)」春陽文庫、春陽堂書店
1982(昭和57)年9月15日新装第1刷発行
※誤植は、『右門捕物帖 第二巻』新潮文庫と対照して、訂正した。ただし、底本、新潮文庫版ともに「牽馬」は「索馬」とあるが、「牽馬」とした。「おいてをや」もともに「おいておや」とあるが、「おいてをや」とした。
入力:tatsuki
校正:M.A Hasegawa
2000年4月22日公開
2005年7月20日修正
青空文庫作成ファイル:
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