勘兵衛が走っていったのはいうまでもないことでしたが、あいきょう者がまたじつにおどろいたとみえて、目をぱちくりさせながらお公卿《くげ》さまにいいました。
「な、辰、おっかねえだんなの眼力じゃねえかい。おら、一年もこっちくっついているが、だんなながらちっと今夜は気味がわるくなったよ。な、おい、どうだろうな、このあんべいじゃ、おれとおめえが、ゆうべだんなにないしょで吹き矢の帰り道に、ふぐじるを食べたことも、ひょっとするともう眼がついているかもしれねえから、いっそ思いきって白状しちまうか。おら、隠しておくのがおっかなくなったよ」
「ああ、いえよ、いえよ。割勘にしたことも隠さずにいっておきなよ」
「じゃ、いうからな。――ね、だんな! ちょいと、だんな!」
「バカ」
「えッ」
「子どもみてえなこというな」
「だっても、隠しておくとおっかねえからね」
「かわいいやつらすぎて、あいそがつきらあ。みろ! 次郎松が来たじゃねえか」
眠そうな目をしてそこに次郎松少年が勘兵衛に連れられながらやって参りましたものでしたから、名人がいかなる責め方をするかと思われましたが、じつにこういうところが右門流でした。
「そらそら、次郎松! おまえの口ばたに塩豆の皮がくっついているぜ!」
不意にいわれて、ぎくりとなったようにあわてながら口のはたへ手をやったところへ、名人の間をおかないやさしいことばが飛んでいきました。
「な、次郎松、むっつり右門のおじさんは、そのとおり何もかも知っているんだからな、隠さずにみんな話しなよ。このおじさんは強情っ張りがいちばんきらいだからな。すなおにいえば、どんなにでも慈悲をかけてやるゆえ、みんないってしまいな。ここへ奉公に来るときも、おまえの父《ちゃん》とおっかあが、金を扱うところへ奉公に行くから、小判の毒に当てられるなよ、といったはずだが、どうだ、おじさんのいうことはまちがっているか」
いわれて、強く胸を打たれでもしたかのごとく、じわり、と目がしらをうるませていましたが、しゃくりあげ、しゃくりあげいいました。
「申します、申します。まことにおわるうござりました。いかにも、わたしがあの三千両をこの蔵から盗み出して、弥吉どんのまくらもとへ置きました。かんにんしてくださりませ。かんにんしてくださりませ」
「よし、泣かいでもいい、泣かいでもいい。そうとわかりゃ、けっしてこのおじさんはとがめだてをせぬが、でも、どういうわけで、おまえがそんなたてひきしたんだ。おじさんが思うには、きっとおまえは弥吉からつね日ごろかわいがられていたんで、そのお礼心に、一つまちがやどろぼうの罪も着ねばならぬほどのことをしたと思うが、どうじゃ、ちがうか」
「そのとおりでござります。隣のへやで、だんなさまがお妙《たえ》さまをおしかりなさっていたのを聞いていましたら、美しいお嬢さまもおかわいそうでござりましたが、やさしい弥吉どんも、金がないばっかりにつらい思いをせねばならぬかと、ふびんでふびんでなりませなんだゆえ、あの晩土蔵へのお供を仰せつかったをさいわい、こっそり塩豆を穴にうめて、錠のかからぬようにしておきましてから、夜そっと弥吉どんのまくらもとへお金を運んでおいたのでござります」
「千両箱といや、十三や四のおまえひとりでは運ばれぬ目方があるはずじゃが、だれかに力を借りたか」
「子どもだとて、そのくらいな知恵がつかぬでどういたしますか! 封印を破って、少しずつ少しずつ、気長にひとりで運んだのでござります」
「ほほう、そうか。ねずみのまねをしたと申すか。目から鼻へ抜けるというたが、いかさまその賢さならば、右門のおじさんの弟子《でし》になっても、ずんとまにあいそうじゃな。では、それほどおまえがふびんに思うて、日ごろの、お礼心を返す気になった弥吉どんじゃがの、今どこにいるか、その居どころを知っているじゃろうな」
「…………」
「なに? 黙っているところをみると、そればっかりはいえぬというのか。おまえの親切がかえってあだとなって、そのためにこのうちを追われた弥吉どんじゃもの、おまえとてもそのまま黙っているはずはあるまいし、また弥吉どんじゃとて、よし、あだになった親切じゃろうと、うけた親切は親切じゃもの、何かその後おまえと行き来があったと思うが、どうじゃ、おとなしくいってしまえぬか」
「…………」
「ほほう、そればっかりは強情張っているところをみると、なにかまだ大きな隠しごとがあるかもしれぬな」
いいつつ、あの鋭い烱眼《けいがん》で、じろじろ小さな義少年の次郎松を見ながめていましたが、そのとき――ふと名人の目に強く映ったものは、いぶかしや次郎松少年の腰のところに、いとたいせつなもののごとくつりさげられている一個の腰ぎんちゃくでした。それも普通の品ではなくて、ひと目にそれと見られる金襴地《きんらんじ》の小袋でしたから、発見するや、鋭い声がとんでいきました。
「そりゃなんだッ。おまえがたには分にすぎた腰ぎんちゃくじゃが、どれ見せろッ」
見とがめられて、ぎょッとしたように必死と両手で押えつけましたものでしたから、いかでわれらの捕物名人が許すべき!――。
「ちっと痛いが、こらえろよ」
いいつつ、草香流でもぎとってよくよく見ると、こはなんたる奇怪ぞ! プンと鼻を打ったは、線香――、お寺さんで用いる上等の線香のにおいです。
「ほほう、これはどうやらすばらしくおめでたいことになってきたぞ」
およそここちよげな微笑をもらしもらし、守りぎんちゃくの中を改めていましたが、と――はしなくも現われてきた一通は、次のごとくに書かれた紙片でした。
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「そなたのうれしきあの夜の心尽くし、生々世々忘れまじく候《そうろう》。されど、今は親しくお目にもかかれぬ身、お礼のかわりにこの守り袋お届け候まま、わが身と思うて、たいせつにご所持なさるべく、はよう年季勤めあげて、ご立身なさるよう、陰ながら祈りあげ候。次郎松どの――」
[#ここで字下げ終わり]
読みおろすと同時でした。じつに意外ともなんとも言いようのないことを、ずばりと名人がいいました。
「人形大尽! 十七、八の島田がつらを一つ用意しておきなせえよ」
「えッ※[#感嘆符疑問符、1−8−78] まだなにかそんなものを用意して、娘の供養をせねばならぬのでござりまするか」
「さようじゃ。ちっとこんどの供養は大金がかかるが、だいじないか」
「金ゆえに失った娘でござりますもの、それで供養ができますならば、いかほどかかりましょうとも惜しくはござりませぬ」
「でも、この近江屋の身上がみんなじゃぞ」
「みんなじゃろうと、どれだけじゃろうと、喜んでさし上げまするでござります」
「すこぶるよろしい! では、あすの朝にでも河岸《かし》へ行って、江戸一番の大鯛《おおたい》をととのえてな、それから灘《なだ》の生一本を二、三十|樽《たる》ほどあつらえておきなよ。そうそう、特にこのことは忘れてはならぬが、これなる次郎松少年は、じゅうぶん目もかけ、いたわってもつかわせよ。こういう賢い奉公人というものは、そういくたりもあるものではないからな」
「なんじゃやらいっこうに解せませぬが、しろとおっしゃれば、どのようにでもいたしまするでござります」
「ますますよろしい! では、伝六ッ!」
「えッ?」
「夜通しではちっと眠いが、今から青葉見物にでも出かけようじゃねえか」
「…………※[#疑問符感嘆符、1−8−77]」
「黙って首なんぞひねらなくたっていいんだよ。ほら、小判で五両やるから、これで酒手もなにもかも含めてな、大急ぎに遠出|駕籠《かご》を三丁雇うてこいよ」
「ゲエッ――と、ようようこれで声が出やがった。まあそう矢つぎばやとものをおっしゃらずに、しばらく待っておくんなせえよ。――な、辰ッ。おりゃ、こんどばかりは、だんだんだんながおっかなくなってきたからな、お供は断わりてえが、おめえ行く気かい」
「…………」
「なにをもがもがと、死にかけたふなみてえな口つきしてやがるんだ。おめえもあんまりおどろいたんで、声が出ねえのか!」
「で、で、出るよ、出るよ、このとおりりっぱに出るが、だんながああおっしゃるんだから、青葉見物とやらに行ったらいいじゃねえかよ」
「ちぇッ、こいつ、おまえの目は夜が夜中でも青葉が見えるかしらねえが、おらの目はこう見えたって人間並みにまっとうなんだぜ。つまらんところで、できそこないの目を自慢するない!」
「おいこら、伝六ッ」
「えッ!」
「なにをいつまでむだ口たたいているんだ。駕籠はどうした!」
「あきれるな、またなんか化かす気でいるんだからな。ほかのところじゃ慈悲ぶけえだんなだが、いつもこの手ばかりゃ、ほんとに伝六泣かせですよ」
いいつつも、屈強なのをそろえてそこに来たのをみると、ゆうぜんとうち乗りながら、名人がこともなげにいいました。
「おまえたちもあとのに乗ってきな。――おい、駕籠屋、行く先は青梅《おうめ》の宿だぞ!」
5
それっきり、名人は本来のむっつり右門にかえりながら、伝六がいかほどおしゃべり屋の面目を発揮して、うるさくうしろの駕籠から呼びかけましても、まったくもう唖《おし》のごときものでした。
夜の大江戸を徐々にあとへ残して、青梅街道口《おうめかいどうぐち》へさしかかったのが、春の東雲《しののめ》――、西へ西へと一路街道を急がせて、堀《ほり》の内《うち》にかかったのが、目にまぶしやかな青葉の朝の五ツ下がり。ここで徹夜の疲れたからだに名物のきゃらぶき茶づけをゆっくりとって活を入れてから、駕籠の揺れるにまかせてうつらうつらと春眠の快をほしいままにむさぼりながら、菜の花、げんげ、咲き乱れるのどかな春の日中の道を武蔵境《むさしざかい》にたどりついたときがちょうど午《ひる》の八ツ下がり――あれから街道をいよいよ青梅の宿に向かって、ようように目的の地へ行きついたのは、かれこれもう落日に間のないころでした。
しかるに、行きつくとただちに右門の目ざし向かったところは、関東尼僧寺の総本山なる青梅院《おうめいん》です。禅宗|曹洞派《そうどうは》の流れをうけた男禁制の清浄このうえない尼僧道場で、当時ここに仏弟子《ぶつでし》となって勤行《ごんぎょう》観経《かんきん》怠りない尼僧たちは、無慮二百名にも及ぶと注せられたほどでしたが、それかあらぬか、広大なる堂宇|伽藍《がらん》は、いまし、迫った落日の赤々とした陽光に照りはえて、伽藍を囲む築地塀《ついじべい》は、尼僧の清さそのものを物語るかのごとくに白々と連なり、しかも、伽藍のあわいあわいにおい茂る春の木、初夏の木、常盤木《ときわぎ》は、まこと文字どおりの青葉ざかりでした。
このようなところへ何しに、と思われましたが、しかし、院内へはいるかと思うとそうではないので、名人の微笑しいしい行き向かったところは、ちょうどその尼僧寺青梅院を一望のもとに見おろされる位置になっている院の裏の小高い丘でした。
ここは、塀《へい》も築地塀《ついじべい》ではなく生けがきで、その生けがきのところに、裏の丘がほとんど肩をすれすれに並べ、もし、院の表へ道ならねど、とがめえられぬ人の世の恋を追う男があって、男禁制の聖禁を犯そうと心がけたら、必ずしも僧房に忍び入るのが困難ではなく、反対にまた院内の尼僧たちの中において、道ならねど、これもあるいは許しえられる人の世の春を追おうとするものがあったとしたら、また、必ずしも裏の丘に忍び出ることがあまり困難ではない天の与えた一つの情けが丘でした。
名人は微笑しいしい、先にたってその情けの掛け橋とも思われる青草原の丘へ上っていくと、木立ちの影に身を潜めながら、じっと下の僧院内に目をそそぎました。
と、見よ!
おお、見よ!
丘の上から見おろされる尼僧院内に、今ぞ展開されつつあるその情景のすばらしさ!
――まことなんたる清浄な、そしてまたさわやかな美観でありましたろう! まさに沈まんとする落日の赤々とした陽光を浴びて、青葉がくれ、葉がくれに、あちらこちらの僧院内
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