妙《たえ》よ、妙よ。わるかったな。おとうさんはもうすっかり了見を変えたから、おまえもよく見て迷わずに成仏しろよ。かわいそうにな、かわいそうにな……」
いいつつ、涙すらも流して、そこにあった黄金の山の中から小判をわしづかみにすると、気味わるがっている花魁の前へ近づいていっては、ひとりあたり二両ずつ、それも正確に小判を二枚ずつ、祝儀としてきってまわりましたものでしたから、たちまちまた噴水のように吹きあげたのはあいきょう者でした。
「世の中にゃ、変わったキ印もあるもんじゃござんせんか。まさかに、あのおやじ、稲荷《いなり》さまのお使いじゃござんすまいね。どこかそこらに、おっぽが下がっちゃおりませんか」
聞き流しながら、じっといぶかしい老人の行動を最後まで見守っていましたが、なに見破りけん、名人がずばりと断定を下しました。
「芯《しん》からの気違いじゃねえや。なにか悲しいことにぶつかって、逆上しているんだぜ」
「えッ※[#疑問符感嘆符、1−8−77] じゃ、あの、まだどこか脈がござんすかい。見りゃ目も血走っているし、言うこともろれつが回らねえようですが、このごろはああいう花魁《おいらん》の揚げ方がはやりますのかね」
「次から次へと、よくいろんなとんきょう口のきけるやつだな。ひとり頭に小判を二枚ずつとかぎって、祝儀にしたところが、芯からの気違いじゃねえなによりの証拠だよ。ほんとうに気がふれてりゃ、三両も五両も金の差別はわからねえや。まてまて、今おれが気つけ薬を飲ましてやらあ」
いいつつ、ずかずかとそれなるいぶかしき老大尽の身近くに歩きよったかと思われましたが、こはそもいかなる気つけ薬を飲ませようというつもりでありましたろう――やにわに、ぎらりと鞘《さや》ばしらせたものは、あの蝋色鞘《ろいろざや》の細身なる一刀でした。しかも、抜くや同時に大喝《たいかつ》!
「ふびんながら、命はもらいうけるぞ!」
叫びざまに、老大尽の面前五分の近くへ、光芒《こうぼう》寒き銀蛇《ぎんだ》を一閃《いっせん》させたものでしたから、並みいる花魁群のいっせいにぎょッとしながら青ざめたのはいうまでもないことでしたが、しかし、その驚愕《きょうがく》はただの秒時――。
心底からの狂人ならば、白刃が鼻先へ襲ってこようと、矢玉が雨とあられに降ってこようと、びくともするものではあるまいと思われたのに、名人の看破どおり、一時の逆上であったものか、たじたじと老大尽がうしろに身をひくや、ふッと我に返ったもののごとく、きょときょととあたりを見まわしましたので、また噴水を始めたのは伝六です。
「へへいね。命がほしかったところを見ると、やっぱりへその中は暖かかったのかね」
いったことばに、老大尽がいぶかしそうに右門主従を見つめていましたが、辰のからめとっている黒ねこを発見すると、おどろきながら呼びかけました。
「おお、黒か、黒か! おまえもここにいたか」
その声に答えるもののごとく、怪猫がニャゴウと鳴きたてましたものでしたから、名人の口辺に静かに微笑がのると、物柔らかな問いが発せられました。
「そなたのねこであるか」
「へえい。なくなった娘が、命よりもたいせつにかわいがっていたやつにござりまするが、どうやらお見かけすれば、その筋のかたがたのようなご様子。どなたさまにござりましょう」
「わからぬか」
「と申しますると、もしや、あの、むっつり右門の……」
「さようじゃ。右門とわからば、こわうなったか」
「いえいえ、だんなさまにござりますれば、このようなうれしいことはござりませぬ。できますことなら、ふびんなこのおやじめがただいまの身の上をお話し申し上げ、お力にもおすがり申したいと念じてござりましたゆえ、こわいどころではござりませぬ」
「なに、右門の力にすがりたいとな。では、先ほどそれなる京人形をかかえて八丁堀へ参ったのも、そのためじゃったか」
「この二、三日こちら、わが身でわが身がわからぬほど心が乱れておりましたゆえ、よくは覚えておりませぬが、もしお屋敷のあたりをさまよっていましたとすれば、だんなさまにお会いしたいと思うた一念が知らずに連れていったやも存じませぬ」
「よほど心痛していることがあるとみえるな。そう聞いては、聞くなというても聞かいではおられぬが右門の性分じゃ。いかにも力となってやろうから、ありのままいうてみい!」
「そうでござりまするか。ありがとうござります、ありがとうござります。では、かいつまんで申しまするが、てまえは日本橋の橋たもとに両替屋を営みおりまする近江屋《おうみや》勘兵衛《かんべえ》と申す者にござります。今から思いますれば、そのような金なぞをいじくる商売を始めたのが身のおちどにござりましょうが、なんと申しましょうか、拝金宗――とでも申しまするか、金を扱っているうちに、だんだんと小判に目がくらみましてな、人さまから因業勘兵衛だの、ごうつく勘兵衛だのと、いろいろ悪口をいわれるのも承知で、ようよう三万両ばかりため上げたところへ、たったひとりの娘がちょうど十八になったのでござります。自分の口からいうは変でござりまするが、その娘の妙《たえ》めが、どうしたことやら、少しばかり器量よしでござりましてな、それゆえ、いくらか人さまの目にもついたのでございましょう。おやじのこのてまえめは、人から因業だの、ごうつくばりだのと、ろくなことはいわれておりませんのに、いざ養子を捜そうとなりましたら、われもおれもと十人ばかりの相手が現われてまいりましてな、競って養子になろうと、手を替え品を替えて話を持ち込んでまいりましたゆえ、つい欲にくらみまして、そんなにだれもかれも養子になりたいならば、持参金の多い者をいただきましょうと、われながら情けないことを一同に言い渡したのでござります。すると、たちまち三百両、五百両、八百両とめいめいがせり上げてまいりましてな、あげくの果てに、同じ両替屋商売のさる次男坊が、とうとう三千両持参金にしようとこのようなことを申してまいりましたゆえ、内心喜んで、さっそくその者を養子に取り決めてしもうたのでござります。ところが、いざ婚礼をしようとなってから、どうしても娘がいやじゃというて聞きませなんだのでな。だんだんその子細を問い正してみると――」
「ほかに契り合うた恋人があったというのじゃな」
「へえい。まだおぼこじゃ、おぼこじゃと思うて、気を許していたうちに、いつのまにか、親の目をかすめまして、それも言いかわした相手がうちの手代の弥吉《やきち》じゃ、とこのようなことを申しましたのでな、腹が立つやら、情けないやらで、むやみとがみがみしかりつけたのでござります。だのに、どうしても娘は弥吉でなくてはいやじゃと申しまして、たとえ十万両持ってこようと、業平《なりひら》のような男であろうと、わたしが二世と契ったは弥吉以外ないゆえ、添わしてくださらなくばいっそ死にまするなぞと、思いつめたらしいことを申しましたので、ついてまえもカッとなりまして、それほど弥吉のようなやつが好きなら、三千両持たして連れてこいといってやったのでござります。すると、だんなさま、どうでござりましょう。そのあくる朝、弥吉めが、どこで才覚いたしましたか、正銘まちがいない小判で三千両持ってまいりましたのでな、手代ふぜいが、はていぶかしいと思いましたゆえ、もしやと存じましてうちの土蔵を調べましたら、案の定、千両箱が三つなくなっていましたのでな、てっきりもう弥吉めが盗んだのじゃろうと存じまして、ずいぶん手きびしゅう責めたてたのでござりまするが、弥吉が申しますには、朝起きてみると、だれが置いていったのか、まくらもとに千両箱が積んでありましたゆえ、婚礼はもう迫っているし、娘を人にとられるはくやしいし、つい気味のわるいも承知しながら、天の授かりものじゃと思うて、いちじ拝借しただけでござります、とこのように申しまするのでな、では、娘の妙めが弥吉かわいさで、そんなまねをしたのじゃろうかと、このほうもずいぶん入念に調べてみましたのでござりまするが、不思議とそれらしい様子が見えませなんだゆえ、いっそもうめんどうと存じまして、しゃにむに弥吉めに盗賊の名を着せて、家を追い出してしもうたのでござります。さすれば、自然日がたつうちに、去る者日々にうとしで、娘の思慕も薄らぐじゃろうと思うたからでござりまするが、どうしてどうして、今度は妙めがあとを追いましてな、ふいっとどこかへ家出をしたのでござりまするよ」
「なるほどのう。そのあげくに、とうとうこの丈長《たけなが》に見えるような戒名となってしもうたというのじゃな」
「へえい。ひと口にいえばそうなんでござりまするが、ちとそれが妙なんでござりましてな。家出をしたとて、まさかに死にもいたすまいと、捜しにも行かずにほっておきましたら、その晩ひょっくりと船頭衆のようなおかたが、どこからかお使いにみえましてな、この紙包みをお嬢さんから頼まれましたと申しますので、なにげなくあけてみましたら、だんながお持ちのその髪の毛なんでござりますよ。においをかいでみましたら、娘が好んで日ごろ使っておりました丁子油の髪油がかおりましたゆえ、こりゃ、どっちにしてもただごとではあるまいというので、急に騒ぎだしましてな、所々ほうぼうと人を派して、だんだんと捜すうちに、あろうことかあるまいことか、深川の先で死体となって揚がったのでござります。入水《じゅすい》するときけがでもしたか、顔は一面の傷だらけで、娘かどうか、ちょっと見ただけでは見分けもつかないくらいでしたが、着物のがらも娘のものだし、年ごろも十七、八でござりましたし、それになによりの証拠は、形見によこした髪の毛が根元から切られて、ざん切り坊主となったおなごでござりましたのでな、泣くなく野べの送りをしたのでござります」
「いかにものう。だが、それにしても、京人形をあつらえて、小判をまきに吉原へ来たとは、ちといぶかしいな」
「いいえ、それが今のてまえの心持ちになってみれば、ちっとも不思議ではないのでござりまするよ。だんなさまをはじめ、花魁《おいらん》がたにも特にここのところをしっかりと聞いていただきたいのでござりまするが、たったひとりの娘に死なれて、千両万両の金がなにたいせつでござりましょう! こうなるまでは、この世に小判ほど尊いものはあるまいと存じたればこそ、人にも憎まれるほどな拝金宗となりまして、あげくの果てには娘の器量までも黄金に売り替えんばかりのあさましい了見になったのでござりまするが、つまらぬてまえの心得違いから、だいじなだいじなひと粒種の娘に仏となってしまわれてみて、翻然とおろかな悪夢から目がさめたのでござります。ほんとうに、ほんとうに、はじめて目がさめたのでござります。人の尊い、いいえ、かわいいかわいい娘の命が、万両積んだとて、億両積んだとて、卑しい金なぞで買い替えられるものですか! 娘がなくば、小判なぞいくらあったとて、なんの足しになるものか、なまじ手もとにあれば、てまえのあさましさ、娘のふびんさが思い出されてならぬと存じましたゆえ、一つは仏へのせめてもの供養に、二つには不浄の金ができるだけ役にたつよう、使い果たしてやろうと存じましたので、ふと思いつきまして、その日に、さっそくこの吉原へまず五千両を携えてまいったのでござります。と申しただけではまだご不審かも存じませぬが、おなごはやはりおなごどうし、娘へのたむけには、この廓《くるわ》でままならぬかごの鳥となっておられまするおかわいそうな花魁《おいらん》衆へ、わずかながらでもおこづかい金をもろうていただいたならば、これにました金の使い道はあるまいと存じたからでござります。さればこそ、形見の髪で人形をあつらえ、せめてもそれを娘と思うて、小判の供養をしたつもりでござりまするが、それさえあまり悲しゅうて、つい心が乱れていたあいだにしたことでござりますゆえ、どのようなお恥ずかしいとこをお目にかけましたやら、こうして気が晴れてみますると、ただただもう赤面のほかはござりませぬ」
「なるほど、そうか、よくあいわか
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